文部科学委員会は「審議」をしていない

佐賀大学 豊島耕一

昨年の第155臨時国会で,私立大学にまで文部科学大臣の認証を受けた評価機関の評価を義務づける問題法案,学校教育法の改正案が可決されました.これを「審議」したはずの衆議院の文部科学委員会の議事録を見ると,実は審議などほとんどしておらず,単に「調査」に始終しているだけということがわかります.と言うのは,会議の時間と発言のほとんど(約210回の発言)は,政府関係者への「質疑」であり,「討論」での発言はわずかに2回に過ぎません.しかも驚くべきことに,この2回はどちらも反対討論であり,賛成討論は全くありません.つまり賛成の意見は全くなかったにもかかわらず議案が可決されたという,全く不可解な会議になっています.

同委員会の日程と議事形態,発言数は次のようになっています.

 10月30日 遠山文部科学大臣による提案の趣旨説明のみ
 11月 1日 質疑 約110回の発言(委員長を除く)
 11月 8日 質疑 105回の発言(委員長を除く)
        討論 2回
 http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/0096_l.htm#155

ふつう「審議」と言うとき,会議のメンバーが互いに意見を述べあい,論争することを想定します.しかしこの委員会は,単に政府関係者を問いつめるだけで,メンバー同士での議論は全く行っていないのです.またこのようなやり方では,質問側が次々と交替するのに対し,答弁側,特に大臣はそれに一人で対応しなければなりません.どうしても無難さを第一に考えた発言にならざるを得ないのは,大臣や官僚の不誠実さのせいだけとは言えないでしょう.そして会議は政府側の時間浪費型の答弁で占領され,実質的内容の薄いものになってしまいます.

もちろん「質疑」という形態の中でも,委員自身の意見を表明することは可能でしょう.しかし「政府への質問」(あるいは参考人への質問)という形式に縛られた発言では他の委員への質問は不可能で,委員どうしの議論につなげることは出来ません.

このような委員会のありかたは,その「説明責任」という観点からも重大な問題を含んでいます.もし委員会が提案を可決するのであれば,少なくとも委員メンバー自身の賛成の発言がなければ,なぜ委員会がそのような判断をしたのかを理解することはできません.つまり,与党委員と委員会は,なぜこの法律案を可決するのかという文字通りの「説明責任」を全く果たしていない,ということになります.ただの一人も賛成討論はしないが賛成投票だけはする,というのでは,与党議員は単に「党議拘束」によって作動する投票マシンに過ぎないということになります.マシンには「説明責任」はありません.(2003.5.3)