国立大学の学部新設の際の設置審による審査という手続きは適法か? (V1.0)

 国立大学の組織再編において,学部の新設に際しては大学設置・学校法人審議会の
審査にかけられるというのが常識のようにされてきたが,実はこれには法的根拠が全
くない疑いがある.
 学校教育法4条は学校の設置等が監督庁(文部大臣)の認可の対象となることを規
定しており,その括弧書きの中に大学の学部の設置も同様とされている.そして同じ
く60条の2で,監督庁はこれを大学設置・学校法人審議会に諮問しなければならな
いとあるので,一般には確かにそうである.しかし,国立大学の場合は設置者も監督
庁も国であり,同一となるのでこの条文の対象にはならないと理解されている(例え
ば,学陽書房の「教育法規便覧」’95年版参照).したがって「国」内部での権限
関係がどうなっているのかという問題になる.
 レベルの高いところから行くと,国立学校設置法3条に大学と学部の一覧表がかか
げられており,学部存立の最終的な根拠はここにある.つまり国会が決めるというこ
とになるのだが,大学自治の建て前を認める以上,大学側の意向と関係なくこれがな
されるということはあり得ない.まず「国」内部での意思形成のステップをふんだ上
での最終的な立法手続きであるはずだ.
 それでは国会の審議にかかる前の,「国」内部での実質的な意志決定権はどこにあ
るのだろうか? 文部省か,大蔵省か,それとも大学にあるのか?
 「国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則」という省令がある.「暫定措
置」と言いながらほぼ42年間も生きている規則である(’94年版,学陽書房の
「教育小六法」にも収録されている).その第6条に,評議会の権限として,「学部,
学科その他の重要な施設の設置廃止に関する事項」を審議するとある.審議権がある
ということは実質的な決定権があるということである.ちなみに関係法令で「決定」
の語を私は見つけられなかった.大学設置・学校法人審議会の項目でも「調査審議」
とだけあり「決定」の語はない(学校教育法69条の4).また教授会についても,
重要な事項を「審議」するとだけ書かれている(同59条).だから教授会は何も
「決定」できないなどという話は聞いたことがない.もちろん「施設」を建物のこと
と誤読してはいけない.
 以上より国立大学の学部の新設・廃止は大学評議会で審議・決定できることがわか
る.このように大学には絶大な自治権が与えられていたのである.にもかかわらず文
部省が設置審にかけることを大学に強制しているのは重大な違法行為である.文部省
設置法6条2項には「文部省は,その権限の行使に当たって,法律に別段の定がある
場合を除いては,行政上及び運営上の監督を行わないものとする」とある.その「別
段の定」が見つからないのである.したがってこの条文にも違反していると思われる.
 法的な根拠がないことの間接的な証拠もある.設置審の書類手続きなどの変更を通
知する文書の数行にわたる宛名の中に国立大学がないのである.これに文部省が一枚
の紙を上乗せして,国立xx大学学長殿という体裁にしているのだ.設置審じしんは
その審査の対象に国立大学が含まれていないのをはっきり意識しているのだろう.
 私立大学の場合は学校教育法4条によって審査にかけられることになるので,もし
国立大学にそのような権限があるのなら国立と私立で「自治権」に格差がありすぎる
という疑問も生まれるかもしれない.しかし国立に自治権がありすぎるというよりは
むしろ,私立に対する規制が強すぎることのほうが問題ではないだろうか.
 かりに国立大学の評議会にこのような権限があるとしても,予算措置がなされなけ
れば実質的に意味がない(タダで出来る再編というのもあるかも知れないが).この
予算案の準備をするのは文部省である.しかし文部省設置法4条に書かれている文部
省の「任務」は,学校教育等に関する「国の行政事務」を遂行することにあり,また
教育基本法10条で行政の目標が「諸条件の整備確立」に限定されている以上,大学
の決定を無視した予算案作成は許されないのではないか.もちろん国に無限にカネが
あるわけではないので調整が必要だが,それは国会と大学との間でなされるべきもの
であろう. 豊島,1/3/95(95年3月7日佐賀大学教職員組合ニュース掲載)