N氏のメモ「大学,文部省,大学設置・学校法人審議会」について

                               豊島耕一
                           1995年4月12日

 先の私の二つの文章に対して,教育行政の専門家N氏から,「大学,文部省,
大学設置・学校法人審議会」(文書3)というA4で5頁にもわたる長文のメモ
をいただいた.それをそのままここに再録するすることはできないが,その論
点を短く紹介し,それに対する私の意見を述べたい.
 N氏のメモはきわめて詳細で専門的なもので,一素人の文章にこれだけ綿密な
検討を加えていただいたことに対し,この場を借りて厚くお礼を申し上げます.
 なお私はこの問題で包括的なやや長文のものを現在準備中です.

I.N氏の意見の要約(豊島による)
(1)大学設置・学校法人審議会は国立大学について「審査」する権限は付与
されていない.文書1で「審査」とされているのは,文部大臣による「意見伺い」
に対応する「調査審議」類似行為である.文部大臣は国立大学の学部新設のため
の法案立案に先だって慎重を期すため設置審の意見を聴くことがあってもよい.
むしろ「窓口指導」の方が問題である.

(2)大学自治を評議会中心に考えることはできず,その権限はもともと教授
会に由来し,その承認の下に大学全体に関わる重要事項について審議できるので
ある.「国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則」が規定する「学部,
学科その他の重要な施設の設置廃止に関する事項」などの審議事項の列挙は,評
議会の審議権がこの規則に由来するというのではなく,むしろ学長が評議会に審
議させなければならない最低限の範囲を明確にするためのものである.

(3)評議会または教授会の決定の効力のおよぶ範囲は,その事柄ごとの性質
に応じて異なり,学内において完結する事項と予算措置や法律改正を伴う事項と
では同一の扱いはできない.後者に関する評議会または教授会の決定は大学・学
部としての意志表示ではあっても,「『国』内部での実質的な意志決定権」の行
使とはなしがたい.

II.私の意見
1.現行法令の枠内に限った議論
 a)「審査」か「意見伺い」か
 N氏の指摘のとおり正確には「意見伺い」である.しかし文部官僚らが執筆した
マニュアル(文書4)には「審査を経る」という表現がなされており,また私の
属する教授会でも同様の説明がされたことがあり,少なくとも教授会レベルでは
(他の学部,大学も同様と思われる)完全に後者のように信じられていたのであ
る.「大した違いではない」という性質の問題ではないので,このことの責任は
曖昧にできない.つまり文部省が大学を故意に誤解させたのか(はっきり言えば
騙したのか),それとも大学上層部が教授会を騙したのか,ということが解明さ
れなければならない.もちろん騙された方の責任も含めて.
 では「意見伺い」なら正当化できるのか? 次にこれを考察しよう.

b)国会提案内容の「決定権」はどこにあるのか?
 「絶大な自治権」という言葉を使ったため誤解を与えたが,もちろん最終的な
決定権は国会にあることはいうまでもない.問題は国会への提案内容を決める権
限は大学にあるのかそれとも文部省にあるのかということである.(国会の役割
がほとんど形式的なものにすぎず,実質的に提案イコール法律という現状ではこ
のことは特に決定的な意味を持つ.)文部省が設置審への「意見伺い」をするの
は当然という考えは暗黙にこの権限が文部省にあるという前提の議論である.こ
れがないのなら「意見伺い」をする必要などありえないからである.(国会がそ
の審議のために設置審に意見を求めるのなら理解できる.)
 「国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則」に評議会の権限としての
記述があるのに,これをこえる法令が見当たらないのである.たとえ省令という
下位の規則であっても,これより効力の強い上位の規則にこれに反する規定がな
い以上,前者が有効であるのは法治主義の原則だろう.それとも「学校教育法」
あるいは「文部省設置法」の中にあるのだろうか? 
 もし「国立学校設置法」第1条の2の「国立学校は,文部大臣の所轄に属する」
という規定をその根拠とするならそれは暴論というべきだろう.「所轄」をこの
ように解釈するなら,国立学校のことは何でも文部省で決めてよいことになって
しまい,教育基本法の「不当な支配」の排除の条項など吹き飛んでしまうどころ
か,およそ法治主義の名にも値しない文字どおりの官僚独裁制度となってしまう
だろう.この条文は,たんに,国立学校のことは通産省ではなく文部省で担当し
ますよと言っているにすぎない.
 残されるのは「指導・助言」権に基づく行為と言うことになるが,それならそ
うと文部省ははっきり言ってくれないと困る.ところが現実の行政は,設置審に
かかることを前提に,「そんな案は『審査』に通らないぞ」と言って難癖をつけ,
「改革案」を官僚の言いなりに誘導しているのが実態である.(しかも「審査」
の内容そのものにも違法性がある.)このような「指導・助言」権の運用は明ら
かに濫用であり違法である.

c)評議会か教授会か
 私の理解は「教授会の権限に由来する評議会の決定」と言うことであって,教
授会に超越する評議会の権限ということではない.つまり複数学部の大学では,
このような大きな問題を一つの学部の教授会単独では決定できないと言っている
だけである.また,一つの学部しかない大学も「国立大学の評議会に関する暫定
措置を定める規則」の第1条の2で評議会を置けるとある.つまり大学の総意と
して「学部,学科その他の重要な施設の設置廃止に関する事項」を決定(もちろ
ん国会への提案内容を)できることを保障したのがこの省令の意図であると理解
すべきである.
 評議会にこのような権限があると仮定した場合,設置の構想・内容はもちろん,
教員の配置やその資格にかかわる資料なども国会審議のために大学が準備しなけ
ればらない.(設置基準への適合性もここで主張される.)このために,大学側
の自発的な選択として「設置審」に依頼するというのならそれなりにスジはとお
る(最も安易な方法ではあるが).しかし次に述べるような設置審の実態を考え
ると,これは避けるべきであり,文書2でふれたような独自の審査制度を工夫す
べきである.

2.憲法・教育基本法にてらしての「設置審」制度の問題点
 私大に関する文部省の「許認可権」自体は当然のことかも知れないが,その権
限は憲法や教育基本法に合致するように限定して行使されなければならない.し
かし現行の「設置審」はあくまで行政機構の付属物であり,そのメンバーはすべ
て文部大臣の任命による.したがってこの制度で文部大臣や官僚の恣意性が排除
できるというのはよほど幸運な偶然が重なった場合だけだろう.実際,文書2で
指摘したように,行政権力の意向を受けての違法な運営が見られるのである.行
政とは独立な,たとえば大学基準協会に諮問するというのならそれなりにスジが
とおるかもしれない.あるいは,「設置審」のメンバーを大学関係者の選挙で選
ぶのなら正当化できるだろう.

文献
文書1 豊島耕一,「国立大学の学部新設における設置審による審査という手続
きは適法か?」,佐賀大学教職員組合ニュース35号,'95.3.7.または
	[reform:23] legal procedure for faculty reformまたは
	ftpサーバーpegasus.la.saga-u.ac.jpのディレクトリpub/UniversityIssues
にある	ファイルlegal-procedure.txt
文書2 豊島耕一,「責任ある対応とは何か−−国立大学の学部再編の手続きに
ついて」,佐賀大学教職員組合ニュース36号,'95.3.15.または
	[reform:27] legal procedure (part 2)または
	ftpサーバーpegasus.la.saga-u.ac.jpのディレクトリpub/UniversityIssues
にあるファイルlegal-proc2.txt
文書3 N氏,研究メモ「大学,文部省,大学設置・学校法人審議会」,
1995年3月24日,私信.
文書4 文教ニュース社,「大学事務職員必携」,1978年6月.