国立大の独立行政法人化・教育基本法・水戸黄門

教育基本法全国ネットワーク,ニュース7号(03.2.5)掲載

国立大学独法化阻止全国ネットワーク事務局長
豊島耕一(佐賀大学教授)

 メディアでは,国立大学の「独立行政法人化」(行法化と略)がすでに決まったことのように報道されています.またそれは「大学の独立性が増し,その代わり責任も求められる」ものだそうです.ところが,このどちらも意図的に事実を歪め,世論をミスリードするものです.

 まず,これはまだ決まったことではなく,文部科学省が法案の準備を進めているに過ぎません.国会が審議さえしていない事を「予定」として報道することは国会無視であり,国民に予断を与えるものです.また,行法化は大学の改革などではなく,その名前のとおり教育機関を「行政」機関に変えるもの,つまり大学を大学でなくするものなのです.

 教育基本法10条は「不当な支配」を禁止しています.ところが行法化とはその最大の潜在的加害者である国家機関が大学を直接支配することなのです.すなわち中央官庁が大学に「中期目標」という命令を出す制度が新設されます.それに沿って大学は「中期計画」を作って大臣の認可を受けなければなりません.そしてこの達成度で次年度の予算が決められたり,あるいは大学そのものの廃止までもが検討されます.言い換えれば,大学の教育と研究を丸ごと文部科学省の「許認可事項」にしてしまうのです.教育基本法だけでなく,憲法が保障する「学問の自由」と,そのための制度である「大学の自治」もその根本で否定されるのです.このような恐ろしい実態が,知識人にさえまだ十分に認識されていないのというのは深刻です.また,国立大学には著名な左派知識人もたくさんいるはずなのに,そのほとんどが沈黙しているのも大きな謎です.

 行法化は10条を国立大学に関して有名無実とするものですから,教育基本法改悪反対運動とも密接に関連します.教育基本法の条文そのもの改悪阻止は最も重要ですが,しかし実質改悪,解釈改悪の問題も決して軽視できないからです.(現行では,このような大学の基本的な計画はそれぞれの大学の評議会で審議されることが法定されています.また,国立大学の改廃は法律で,つまり文部科学省ではなく国会で決められます.)

 このように大学というものの本質を全く無視した制度であるため,当初は文部省(当時)も,またすべての国立大学も反対を表明していました.同種の学部どうしの連絡会議,例えば「国立大学理学部長会議」も99年に反対声明を出しています.この声明文は名古屋大学理学部のホームページに,当時の理学部長,野依良治氏の名前で今も掲示されています.

 ところが,文部省が00年に「転向」するや,大学側は総崩れとなり,無力感が支配しています.何を言ってもクビになる心配もない最も自由な職業の一つである大学教員がなぜ沈黙するのでしょうか.私見では,一つにはこれは文化的な背景によるものだと思われます.それは「水戸黄門イデオロギー」と名付けるのがふさわしいようなものです.水戸黄門ドラマが意識下に送り込むメッセージは「権力は究極的には善である」「中央権力には決して逆らってはならない」というものです.どのような悪人も,かりに数と力で勝っていても,一旦「葵の御紋」が示されると一斉にひれ伏してしまいます.この「テレビの中高年への悪影響」は計り知れないものがあると思います.

 もう一つは,同じく10条が規定する「国民に直接責任を負う」制度が存在しないことがあります.そのため大学首脳部は「行政機関に責任を負う」ことしか考えられないのです.あれほど騒がれた「大学紛争」はその形ある成果を何一つ残していません.「国民に直接責任を負う」よい方法を見つけださないと,常に「お上への依存心」が頭をもたげるでしょう.