「週刊金曜日」03.12.12号掲載(投稿時のタイトル:「脳内リベラル」への退化)
強まる国立大学への官僚支配 豊島耕一 (大学教員。独法化阻止全国ネット事務局長) 10月初め、国立大学法人化の準備の一環として、各大学の「中期目標・中期計画」の案が公表され、いくつかの新聞がこれについて論評を出した。一般の人にとって、この文書は大学自身がその未来像や理念を社会に明らかにするものとして映るであろう。
しかし実は中期目標とは、国立大学法人法三十条で「文部科学大臣が定める」とされた文書であり、今回公表された文書はいわばその下書きである。そして中期計画とはこの目標を実行するために各大学が大臣に認可を求める文書なのである。
このように各大学の基本的な方針にまで文部科学大臣に事実上の命令権を与えるのは、大学の自治や学問の自由を侵すとして、全ての野党がこの制度に反対した。それもあって参院の付帯決議第5項では、「中期目標の実際上の作成主体が法人である」とし、何と自ら可決したばかりの法律の条文の一つを否定してしまった。
立法府の名に値しないお粗末さと言うほかはないが、もちろん付帯決議に法律を否定する力はない。つまり中期目標が最終的に文部科学大臣が「定める」文書であることに変わりはないのである。
法律が定めているのは何かと言えば、この作成に際して文部科学大臣に課せられている「あらかじめ、国立大学法人等の意見を聴き、当該意見に配慮する」義務である(三十条二項)。
この条文に忠実であれば、大学は文部科学大臣に対して自由に幅広く意見を述べるべきであった。すなわち、このような下書き作業だけではなく、大学の自主性、自律性を守る立場から、中期目標に書くべきではないことについても注文を付けるべきであった。(もちろんまだその時間と機会はいくらでもある。)
ところがそのような発言は私の知る限り皆無で、それどころか、この文書作成の過程にまで文科省が介入した疑いが濃厚である。
すなわち、逆に大学が「あらかじめ、文科省の意見を聴き、当該意見に配慮」したと思われる。その結果、多くの大学の文書に見られるのは、学長の権限拡大や産学共同偏重など、文科省に気に入られそうな項目のオンパレードである。
その一方で、大学のかかえる本当の問題点や、危険な兆候についての関心は無いに等しい。たとえば、学校教育法は教授会を「重要な事項を審議する」機関と定めているが、その権限を骨抜きにする事態が進行している。それへの警戒心はほとんど見られない。
今回の国立大学の法人化は、中期目標という戦前にさえなかった官庁から大学への命令制度だけからみても、大学への極端な官僚支配の制度化である。比喩的に言えば、官僚がミューズ(文芸・哲学の女神)をレイプすることであり、そしてこの「中期目標・中期計画」文書はレイプの手順書である。
「法人化」とはこのような大学の本質に関わる重大問題であったにもかかわらず、国立大学の教員で何らかの意思表明を積極的に行ったのは全体から見ればわずかで、「合意されたレイプ」とも言えよう。
大学教員には自らをリベラルだと思っている人は多いだろうが、行動を避ける単なる「脳内リベラル」になっていないだろうか。