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「調査検討会議」参加による行政法人化協力は許されない

佐賀大学 豊島耕一
Ver. 1.1

1. はじめに

 文部省の「調査検討会議」への国大協の参加の問題については,組合サイドの反応は少ないようだ.明確にこれに反対を述べているのは,東京大学職員組合第97回臨時総会(6月29日)の「声明」で「国大協は調査検討会議への参加を撤回すべきである」としているほか,国公労連書記長談話として,総会の決定は文部省の方針に一定の譲歩を示したものと位置付け,「世論と運動を背景にしないまま、『調査検討会議』へ参加するだけでは,国大協が願っている『高等教育と学術研究の健全な発展に資する』ことは困難」と暗に批判している.一方7月20日付けの「『首都圏ネット』全体会議報告」では,「独法化の具体化が、文部省調査検討会に移り,数年がかりの取組みとなります」とあり,国大協の参加自体を問題とする姿勢は今のところ見られない.

 しかし,北大の辻下徹氏を代表とする国大協会長への「要望書」(7月27日送付,注1)の署名者が指摘するように,この問題は見過ごせない重大な性質のものであり,既成事実化すれば反対運動の8割方の敗北を意味するのである.すなわち,国大協自身が国立大学教職員の抵抗姿勢を挫き,全大学一網打尽の行政法人化のための媒介装置になることを意味するのだ.「参加してできるだけ大学に有利なように努力する」と言うのは,「ユダヤ人評議会」がガス室の壁の色について注文を付けるようなものだろう.

2. 「調査検討会議」の性格は明白

 「調査検討会議」が行政法人化推進のための道具以外の何物でもないことは,文部省の7月19日付けの文書「『国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議』について」に書かれたこの会議の目的を読めば明かである.

1 目的
 独立行政法人制度の下で、大学等の特性に配慮しつつ、国立大学等を独立行政法人化する場合の法令面や運用面での対応など制度の具体的な内容について、国立大学関係者のほか、公私立大学、経済界、言論界等の有識者の協力を得て、必要な調査検討を行う。

 長ったらしく係り結びのわかりにくい文なので,修飾語を除いてその構造だけを取り出すと次のようになる.

 「独立行政法人制度の下で、国立大学等を独立行政法人化する場合の制度の具体的な内容について、必要な調査検討を行う。」

 「独立行政法人」とあるのは,”政府から相対的に独立してはいるが,しかし行政(府)とは関連を持つ法人格を有する団体”などという意味の普通名詞ではもちろんない.「中央省庁等改革基本法」と「独立行政法人通則法」で定義された特定の制度に付けられた固有名詞である.そしてそれは,国大協がこれまで国立大学に「なじまない」と言い続けてきたまさにその制度である.この文章によれば,国立大学を独立行政法人化するための作業を専らとする会議なのであり,参加者にはこれへの協力が求められているのである.文部省のリストにある「協力者」の中にはこの制度への反対者(少なくともタテマエ上の反対者)もいるかも知れないが,その人たちは「反対」から「協力」への転向をどう弁解するつもりなのだろうか.これに沈黙したままの「協力」では「説明責任」を果たしたことにはならないだろう.もちろん,これに組織として参加を表明した国大協も然りである.

3. 「会議」への参加は正当化できない

 参加を正当化する理論のいくつかは予想できるので,それについて考察してみよう.

[理論1] 独立行政法人化は避けられないので,それができるだけ「大学等の特性に配慮し」たものとなるようにするには,これに参加して意見を言う方が得策である.

[批判] 「避けられない」という判断をする前に,そのためのどれだけの努力をしたのか,また今後する余地がないのか,ということが問われる.学長や国大協会長らがみずからテレビに出演してこの制度の問題点をわかりやすく国民に説明する努力をしたのだろうか.それどころか,国大協総会の4項目を「独立行政法人化容認」として報道されるという絶大なアナウンス効果に対しても,何の対策も打っていないではないか.

 あるいは著名人であれば,その名声という「文化資本」を社会全体に役立てることを考えてほしいものだが,そのような努力をどれだけやったのだろうか.「お上」から声がかかれば何でも出ていく,という態度は政治的に非常に偏った態度と言うべきである.

 また,国会に提出される法案の骨格さえ出来ていない段階での「避けられない」(注2)ものという決定論的な判断は,判断者の「自分(たち)は何の行動も起こさない」という態度と組み合わせないかぎり極めて難解である.

 ずっと独立行政法人反対と言っていたのが,文部省が態度を変えるや否や,避けられないものと見方を変えるのでは,国大協は「親方日の丸」的性格をマル出しにしたことになろう.文部省による長年の訓育の成果だろうが,このような態度こそまさに「改革」されなければならない.

[理論2] 会議に出て阻止する,あるいは「換骨奪胎」する.

[批判] このような主張をする人はまずいないとは思う.もしそれができれば大したものだが,できなかった時は会議を盛り立ててしまったという「結果責任」が問われる.

[理論3] 情報収集のため.

[批判] その情報をどこに持っていって,何のために使うのだろうか.国大協が独立行政法人化を阻止すべき有力な「対案」を作る気概があり,そのようなセンターが存在するのであれば,なにがしか役に立つこともあるのかも知れない.しかし国大協にはその気力もないように見える.国大協内部の「設置形態検討特別委員会」も文部省の「会議」の下請けになる公算が大である.また大学教員にスパイ活動は似合わないし,正攻法で行くのには公開された情報で十分である.

4. 巻き返しの余地はある

 「調査検討会議」が上のような性格のものであり,それへの組織参加が事実上の行政法人化容認であり,「敵に塩」を送る行為であることは誰でも理解できるはずだ.(これへの参加を国大協は文部省から「懇願」されたという.)私は所属する教授会でこのことを指摘し,「会議」からの離脱を主張したが,隣の席からは「あなたの言うとおり」と囁かれ,出席者の多くに理解されやすい話だと感じたものである.実際この決定の直後メディアはそれを見抜いてそのように報道したのである.もしこれが誰にも分かりやすい話だとすれば,今回の「要望書」は多くの人に説得力を持ち,したがってこの「敗北」を巻き返すチャンスは十分に残されているはずである.にも関わらずこれから目をそらし,「転進」のような言い方がされるようになるとすれば残念だ.

 いろいろな団体も,何かの「声明」を出しておけばアリバイは作れるというような態度ではなく(もしそれだけで絶大な影響力があるというのなら別だが),どうすれば実際に効果が出るだろうかということに関心を向けて欲しいものだ.さもなければ単に「事務的な遠吠え」に終わるだろう.もし「調査検討会議」参加者の中に組合に縁のある人や科学者会議のメンバーがいるのであれば,それらの団体は,彼らに文部省への協力を止めるよう説得してみたらどうだろうか.「転向者」文部省の手伝いをする時間があるくらいなら,国大協でも科学者会議でもいいから独自案作りに努力して見たらどうか,と.

 「事ここに至っては」とか「大勢には逆らえない」と感じている人も多いと思う.しかしほんのわずかの抵抗が実は多くの命を救い,些細な無関心が多くの命を奪うのに手を貸すという歴史の教訓はどのような場面でも当てはまるのではないだろうか.「学問の自由」という大学にとっての「命」に関しても同じだろう.当事者には勝ち負けを「予測」するより重要な役割があるのだ.(2000.7.31)

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(注1)http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/3141/dgh/007/27-houkoku.html

(注2)私の母校九州大学から「後援会」設立の呼びかけが数日前に届いたが,その中で総長は「国立大学の法人化が避けられない状況になった」と述べている.かつては米軍板付基地撤去のデモに学長が先頭に立つという意気と気概を見せた大学だが,それに比べてのこの落ちぶれように落胆するのは私だけではないと思う.もちろんその原因の少なくとも半分は批判勢力の腑甲斐無さにある.