国立法人法Q&A

 (個人的関心を中心とした回答です。多くの方の意見を求めます。)

Q  法案を分析する上で,私学についての知識が必要のようです.
「国立大学法人」の「経営協議会」と「教育研究評議会」が学校法人の「理事会」と「評議員会」にそれぞれ対応するように思われます.私立学校法では評議員会に教学についての権限を特には認めていないように思われます.ところが「国立大学法人」では「教育研究評議会」が強い権限を持つことになります.つまり「学校」ではなく「法人」が実質上の教学分野の支配権を握るように思えるのですが,この理解は正しいでしょうか?

A ご質問の答は、「この法人は設置者としての法人と学校が区別されていない」ということです。この法案では大学は法人に対しての独自性は保障されていないと思います。別な言い方をすれば、法人即大学です。はじめから一体化しているのです。一体化している時に独自性の存在する余地はないというべきでしょう。

前にも書いたと思いますが、学校教育法では設置者と設置される学校を区別しています。学校教育法では「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定めのある場合を除いては、その学校の経費を負担する」(第5条)とあります。ここでは学校の設置者と設置される学校とは区別された存在です。

しかし「国立大学法人」では、第2条では、「「国立大学法人」とは、国立大学を設置することを目的」として、単なる設置者のように書いていながら、第1条では、「国立大学を設置して教育研究を行う国立大学法人」と規定しています。ここでは明らかに「教育研究を行う」ことは目的になっています。私立学校法の第3条では、「「学校法人」とは、私立学校の設置を目的として、この法律の定めるところにより設立される法人」と規定されています。学校法人は直接、教育研究を行うことを目的としていません。

 国立大学法人法案では、その他の条項でも法人が判断する部分が教学にもわたっています。これは「「法人」が実質上の教学分野の支配権を握る」というよりも(この認識は一応両者が別物という前提です)、法人と学校の区別がないということを示すものと考えます。

これは他のところにもあらわれています。たとえば国立大学法人には理事長はおいてありません。そして学長が全権限を握っています。他の理事には学校法人の理事のように代表権も認められていません。したがって学長が事実上の理事長であり、オールマイティです。教育研究評議会の設置とその機能も、法人に対する大学の独自性を認めるものとはなっていません。これまでの国立大学に対する批判のようであれば、大学に教育研究評議会をおいてもいいのですから。

ですから、この法案が法人と大学を区別したという批判は全く当たっていないのです。文部科学省は現行法の規定に形を合わせるために、第2条だけを設置者として書いたにすぎません。これが文部科学省の目くらましなのかどうか、それとも意識しないでそうなったのかはわかりませんが、内閣法制局という役所もあるのですから、意識的なだましのテクニックというべきでしょう。

法人と学校の一体化は、たとえば早稲田、慶応などにも残っています。しかしこれらは基本的に大学の教員が法人と学校の経営を行うものですからまだ救われます。しかし戦後に作られた私学などでは理事長と学長がひとりで、ワンマン経営のところがあります。それらでは教学の問題を理事長である学長が勝手に決める場合があります。しかし経営者ですから、民主的かどうかは別にして、大体はつぶさないようにする注意は働くでしょう。

しかし今度の国立大学法人は、大学関係者以外が半数以上を占める経営評議会が関わります。これらの人は大学経営には素人である可能性が大なのです。しかも自分の財産ではないのでどこまで真剣に大学のことを考えるでしょうか。それは文部科学省自身も危惧しているようで、解任規定までも用意しているという周到さです。しかしそんなことは、法令違反でない限り、それぞれの法人の定款で決めればいいのではないでしょうか。このような状況で運営される大学は一体どこを向いて進むのでしょうか。

私立学校では、設置者たる学校法人の責任は、財政と財産管理、対文部行政の仕事が中心です。教学は学問の自由を尊重して、基本的に大学の自治にゆだねられているのです。今回の国立大学法人法案はそのことを全く顧慮しないものです。

ところで私立学校法との対応ですが、私学の理事会はここでは役員会になるのではないでしょうか。しかし国立大学法人の役員会は大学執行部の役割も兼ねています。私学の評議員会の相当するものは経営評議会です。教育研究評議会はこれまでの国立の全学評議会ではないかと思いますが。私学では教授会です。ただし全学の教授会は頻繁に開けるのではないので、全学レベルでのこの問題での意志決定手続きがどこでも問題になっています。学校教育法第59条には「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」。この規定とかさなる規定が法人法第21条です。ですから教育研究評議会は、私は、本質的に教授会に相当するものと思います。すなわち事実上、教授会の機能はこの組織の下請けになるということでしょう。これでは教授会の自治はありません。文部科学省もさすがに教育研究評議会のメンバーは、その大学の教職員が多数を占めるようですが、全員参加でもないし、選挙による選出でもありません。

国立大学法人の組織については、文部科学省との関係での批判とともに、学長が事実上オールマイティであることをもっと指摘すべきかと思います。この法案では、理事とは事実上、副学長の役割です。現在でも、教学担当副学長や経営担当副学長をおくところがありますから。そして二つの評議会にもこれらの理事が「学長が指名する理事」として事実上の責任者として入っています。

学校と法人の一体化の問題は、歴史的にはかなり重要な問題となってきて、その反省の上に立って戦後の改革で学校とその設置者を区別することになったのです。その詳しいことを調べたいと思っていますが、経営のやりくりにおわれて教育研究を安心して進められないということが大きな理由だったようです。いいかえれば設置者は学校や教職員にお金の心配をさせずにやりくりをするものだということなのです。教職員のお金の心配をさせる設置者は、設置者としての資格に欠けるというものです。いま国がやろうとしていることは、設置者としての資格に欠ける行動だといわなければならないでしょう。

Q=豊島,A=蔵原

続編にご期待