川合章,室井力編,「教育基本法 歴史と研究」,267ページ,新日本出版社,1998
(2)「不当な支配に服することなく」について
「不当な支配」の主体の中心は「政治的官僚的支配」の主体、すなわち、政権党を中心とする政党・党派などの政治的勢力や文部省を中心とする官僚的勢力であり,この文言の核心は国家権力・公権力による教育−−特に内的事項の不当な支配の禁止である。国家権力を動かし、事実上、教育を根底から支配する財界の教育介入も「不当な支配」に当たる。当時の文部省内研究会著作の『教育基本法の解十』(一九四七年一二月)は、「教育に侵入してはならない現実的な力として、政党のほかに、官僚、財閥、組合等の、国民全体でない、一部の勢力が考えられる」とのベ、「政党、官僚、財閥、組合」を「不当な支配」の主体の典型として例示し、それらの教育支配をきびしく警戒している。
「不当な支配」の主体と関連して形式が問題になる。「不当な支配」とは政治的・官僚的教育行政という形式自体の不当性を含むといえよう。すなわち、「政治的支配」とは政治的権力・圧力による政治的要求の強要はもとより、政治的多数決による法律・条例の強行採択、政治家による教育支配機構(例一党人文相)などにわたるであろう。また「官僚的支配」とは指揮監督、拘束的基準設定、官僚的行政・人事・給与管理(論)のような教育内容や教員に対する定型的・恒常的な管理統制作用に及ぶとみなされる。当時の文相、田中耕太郎は「不当な支配」についてこう解説していみ。「『不当な支配』というのは…その規定こ『教育行政』という表題がついている以上は、これは国および地方公共団体という、教育について公権力を行使する権限をもっているものが対象になっていることは疑いがない」と。田中は「官僚的支配」に特段に注意を促している。これに対し、教職員団体や父母・国民の団体の教育への関与は、「不当な支配」とならないかぎり、教育の自主性を強め、「国民に直接に責任を負う」ルートとしての意義をもつ。
「不当な支配」禁止の原理は教育全般に適用され、内的事項の領域のみならず、外的事項にも及び、外的事項による内的事項の「不当な支配」も許されない。いいかえれば、教育行政当局は、財政部局や一般部局等による教育の外的事項の財政的行政的侵害を排除し、外的事項の整備では内的事項を侵害しないという二重の責務を負う。例えば、政治的・財政的事情による教育予算の不当な抑制削減、教育財政による教育統制はこの原理に抵触する。