「理学部長会議」は研修会か?

理工学部 豊島耕一

1.原著講演のない学会

先日,理工学部教授会で「14大学理学部長会議」の報告がなされましたが,それを聞いて想像されるあいも変わらずの風景には,予想はしたもののやはり驚かされました.

国立大学の理学部長会議というのは3つのグループに分かれており,旧帝大系が一つ,地方大学が2種類に分かれて別々に会議を開いており,年1回はこれらがまとまって全体で会議を開くことになっているようです.わが佐賀大学理工学部は,地方大学グループの方の一つに属しており,その会議が5月28日に信州大学で開催されました.(当学部は全国工学部長会議にも参加しています.)

日程の実に半分近くが文部省の事務官による「あいさつ」というなまえの「大学改革講習会」であったようです.参加者による教授会での報告と私の質問への応答などから受けた印象は次のようなものです.すなわち,文部省や大学審議会の政策を学部長の頭に刷り込み,「乗り遅れてはいけない」という強い暗示をかけ,一部の無邪気な参加者には「詳しい情報を手に入れて得をした」と思わせる,という風景,この十数年来のならわしとなってきた風景です.教授会に戻ってきた学部長らは,巫女となって文部省という名の神の意志を示し,今度は教授らに暗示をかけるのです.「何か批判的意見は出なかったのか」と質問したのに対し,ある大学の学部長の,「なぜ我々だけが(改革,改革と迫られるという)こんな目に遭わなければならないのか」という愚痴が紹介されました.

日程の後半には一応もっともらしい議題が2つ設けられていますが,参加者の話を聴いた印象では,ほとんど内容らしいものは感じられませんでした.つまりあくまでもウェイトは「あいさつ」にあり,「理学部長会議」とは名ばかりで実体は文部省による講習会,いわばヤマギシズムの「特講」だったのです.このように実体が名目からずれてしまっている行事のために,はたして公金としての旅費が支払われていいものでしょうか.学会に行ったつもりがまともな原著講演が一つもなかったとしたら,それでは「学会出張」をしたことにはならないでしょう.市民オンブズマンから声が上がる前に,このような会議はすぐに廃止すべきではないでしょうか.

文部省の政策を聴くことは必要ではないか,などと無邪気に反論したい方もおられるかも知れないので念のために付け加えますが,私が指摘しているのはその会議を支配している雰囲気と議論の中味のことです.「課長補佐」に学問の府の長たちが頭が上がらないような会議では困る,ということです.文部省の人が来るか来ないかということではありません.この種の,「業界の全国会合」に中央省庁の官僚が出て何か言うというのは普通のことかもしれませんが,日程の半分もそれに費やされ,しかもそれに何の批判も意見も出されないというのはちょっとひどすぎるのではないでしょうか.われわれ大学教員は,授業での学生の反応の少なさに戸惑うことがありますが,この会議の様子というのはその上を行っているのかもしれません.

これだけ世間で官僚批判が盛んだというのに,なぜか大学だけが(本当は一番うるさい存在であるはずなのに)これに忠実に追従するのを止めないというのは全く不可思議な光景です.この点については,数ある「大学改革本」の中でも異彩を放っている「立命館の挑戦」(中村龍兵著,株式会社エトレ,1997年2月)の中で鋭く指摘されており,また「人間を幸福にしない日本というシステム」の著者ウオルフレンもくり返し日本の大学人の腰抜けぶりをなじっています.

大学運営上のいろんな努力が必要な時だけに(あえて「改革」という言葉は使いません.これは「革命」という言葉と同じく,あらゆる不合理を正当化し本当の問題を見えなくさせる呪文となってしまいました),同じ学部どうしの全国的な交流の必要はあるわけですから,官僚支配の窓口でしかないような「学部長会議」に代わって,大学の問題点を掘り下げ,大学関係者の知恵を集めることの出来るような実用的・実際的な「業界団体」を作る必要があります.その際,年令や職階構成が偏らないこと,学生の意見反映の仕組みを作ることなどか重要なポイントだと思います.「長」の肩書きの人ばかり集めたのではろくな事はない,という重要な経験則を生かすべきです.そしてその新しい団体は,閉鎖的にならずにいろんな学外の団体や個人とも接触を持つようにすべきでしょう.

他の学部の「学部長会議」の様子はどうなのでしょうか.もしかすると「理学部長会議」と似たり寄ったりなのでしょうか?

2.「教育科学技術省」の重大問題

問題の文部省の課長補佐の「演説」については,教授会で長々と説明され,そしてそれが「発表ジャーナリズム」としてそれなりの効果を教授会メンバーに与えたと思われます.(とはいえ報告してもらわないと困るわけですが.)実はその中に重大なことが隠されていました.それは,今回成立した「省庁再編法」の「教育科学技術省」を規定した部分です.課長補佐は「『大学改革』が法案の中にも明記されている」と述べたという事ですが,確かにそのとおりになっているのです.しかしこれが教育基本法違反なのです.法案を作った官僚の無知を示すのか,それとも意図的にこれに挑戦しているのでしょうか.

実際,法案を見てみると次のようになっています.

第二十六条(教育科学技術省の編成方針)教育科学技術省は、次に掲げる機能及び政策の在り方を踏まえて編成するものとする

の第4項は

 四 国立大学の組織、運営体制等の改革その他高等教育の改革を行うこと。

となっています.「機能」という言葉,そしてそれが教育「行政」の改革ではなく直接,高等「教育」の改革である点に注意して下さい.これでは行政が明白に大学の管理運営に介入することが合法化されます.いやそれどころではなく,国立大学は単なる文部省あらため「教育科学技術省」の地方出張所に成り下がります.最近流行の「規制緩和」や「自己責任」,「地方分権」などの美辞麗句とも正反対です.これでは「エージェンシー化」の方が100倍もましです.

この条文は,この法案を受けて制定されることになる「教育科学技術省設置法」の目的や任務の条項に反映ないし移されることになるでしょうが,現行の文部省設置法では,その「任務」を第4条で「・・・国の行政事務を一体的に遂行する行政機関とする」として,「事務」に限定しているのです.この第4条を受けて次の第5条で「所掌事務」として103の項目があげられていますが,いずれも事務的なことや指導・助言や調査研究に限られており,もちろん「改革を行う」などという直接介入の表現は全くありません.その上,第6条の2で「権限の行使に当たって,法律に別段の定めがある場合を除いては,行政上及び運営上の監督を行わないものとする」として,教育基本法の言う「不当な支配」への歯止めを示しているのです.

成立したこの法律について教育行政を専門にしておられる方の意見を聞きたいと思います.文部省廃止論こそが議論に上るべき時期にあるのに,これとは正反対の,権限が強化された役所に生まれ変わるなどもってのほかではないでしょうか.

法案は次のアドレスにあります.
http://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/980303houan.html

また,問題の「理学部長会議」の議事と出席者は,そのレジュメによれば次のようになっています.

協議事項

 1 大学院定員の確保について(提案大学 山形大学)
 2 理学部における入試のあり方について(提案大学 山口大学)
 3 次期当番校について

意見交換

 1 地方大学の理学部の在り方について(提案大学 愛媛大学)

出席者

 文部省 高等教育局大学課 課長補佐
 14大学の学部長クラス,事務長クラス計28名
 千葉大学の学部長と事務長

1998.6.25.