大学審の「中間まとめ」におけるアジェンダ・セッティング問題

 綿々とメリハリのない審議会調の文体のため,この「まとめ」が,大学問題のどの範囲をどのような深さまで分析しようとしているのかが明確でありません.しかし「はじめに」で,「これまでの改革を総括した上で,21世紀の大学像を明確に示すとともに,今後の改革方策として (中略.3つの改革を) 総合的かつ具体的に調査審議するよう要請された」ものに答えるとされているので,大学のあり方すべてにかかわる包括的なものであると理解していいでしょう.そのような,物事についての総合的,包括的な分析において最も重要なことは,いわゆるアジェンダ・セッティング,つまり物事の重要性に順番をつけることです.分析の内容や方策の提言が仮に正しくても,もしこの点で妥当性を欠いていれば,その「まとめ」が暗黙に提示するところの「優先順位についてのメッセージ」は誤っていることになります.しかも,繰り返しますがこのメッセージこそが「総論」においては最重要なメッセージなのです.「まとめ」の検討においてはこの点の批判的分析こそが肝要です.すぐに,「部分的には生かせる提言もある」などと,いわゆる「相手の土俵での議論」にはまらないようにしたいものです.具体的には,「『まとめ』に書いてないこと」についての議論が重要です.

 そのような,大学に関する教育行政の上で何が最重要な事柄かについて述べた過去の文書に,重要な指摘を見つけましたので紹介したいと思います.

講座 日本の大学改革 青木書店,1982年
8章 現代における大学の自治と学問の自由(渡辺洋三) 第2節から引用します.

----引用----
(212ページ)
 右のことは、研究の側面のみならず、教育の側面についてもいえるのであり、学部や大学院の編成にたいして、文部省の国家目的が色濃く影響することはさけられない。学部・大学院の新設、改組等のばあいには、文部省の承認、さらにひいては大蔵当局の賛成を取りつけなければ実現されないのであるから、大学は、これら行政当局の意向に服従せざるをえない。
 このようなシステムを前提とするかぎり、現代における大学の自治には大きな限界があるといわなければならない。これを改革するためには、第一に、大学財政の自治の確立が必要である。理念的にいえば、大学が行政当局に迎合しないで、自由に金を使えるようなシステムを確立するのでなければ、真の意味で大学の自治が確立したとはいいがたい。第二に、学部・大学院その他大学の研究教育組織の編成についても、行政当局の実質的介入を排除するようなシステムを確立する必要がある。このためには、根本的には、文部省という行政庁の権限を弱め、文部省から独立した第三者機関を設置して、これに行財政の権限を付与するような構想を考えるべきであろう。
 高校以下の学校においては、周知のとおり、戦後になってから文部省の権限を弱め、文部省から独立した行政委員会として教育委員会が設けられた。その後、文部省の権限強化と教育委員会の形骸化が進んできたとはいえ、それにもかかわらず文部省の直接的支配が及びえないという点で、教育委員会制度の意義はなお重要である。ところが、大学にはこの種の制度がないので、行財政権限や行政指導をつうじる文部省の直接的支配が高校以下のばあい以上に及んでいる。大学の自治の実質的保障のためには、大学関係者によって構成されるこの種の行政委員会(大学委員会)を設け、個別大学の枠を超えた国立大学全体の自治を確立することが必要である。
----引用おわり----

この問題,つまり大学の自治にかかわる部分については,「まとめ」では3章の「21世紀の大学像と今後の改革方策」の「1 大学改革の基本理念」に「教育研究システムの柔構造化 ―大学の自律性の確保―」としてとりあげられていますが,内容のある文章とは思えません.(1998.7.27)