Date: Wed, 16 Jul 2003 16:29:52 +0900
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Subject: [he-forum 6020] 学長クーデターの横行か


学長クーデターの横行か

佐賀大学 豊島耕一

(2003年7月16日「高等教育フォーラムに投稿)

 いつもの,日本人の好きな「非常時」が来たようだ.メディアも「生き残り」を喧伝している.「危機感がない」と言われるのを恐れて多くの人は「狼が来るぞ」という類の言説に反論することを怠る.もちろん個々の大学の存続は重要な問題だ.しかし「大学」という文化,概念の「生き残り」こそが,わが国全体としては最重要課題であるということを忘れていないだろうか.

 私学高等教育研究所主幹の喜多村和之氏は,「大学は生まれ変われるか」(中公新書,2002年3月刊)という本の中で,「学問の自由とその制度化としての自治を喪失した大学は,もはや大学の名に値しない.仮に大学の形態は保ち,生き残りは保てたとしても,それはもはや大学ではないと著者は考える」と述べている.

 今日の大学人に最も欠けているのは,まさにこのような危機感である.これが「法人法」の安易な国会通過を許してしまったのではないか.

 しかし,事態はあたかも「戦時中」の雰囲気が復活したかのような方向へ進んでいる.「東大総長の所信表明」*なるものが公表され,24日に「信任投票」**が行われるそうである.この「所信」の中には喜多村氏のような意味での危機感は全く見られない.

 この所信が出されるに至った詳しい背景は全く知らないが,文面から判断する限り独裁政権が求める信任投票に似ている.必要な権限の付与はよしとしよう.しかしその範囲については「相当包括的な授権」などという言葉で全く曖昧にしか定義されていない.これでは「敬愛される将軍様になりたい」と言うのとあまり変わらない.

 権限の強化が行われるならば同時にそれとのバランス,すなわち権限に対するチェック機能,例えばリコール制のようなものが必要だが,それが示されなていないのも,独裁政権樹立の疑いを持たせる.少なくとも,大学運営の原則をその構成員による民主主義を基盤とするのであれば,構成員によるチェックは不可欠である.そうではなく,会社と同様の,経営陣によるトップダウンに切り替えようとするのであれば,経営陣の中だけでのチェックでいいのかも知れない.「トップダウンかボトムアップかという議論は意味がない」などとごまかすのではなく,どちらの原則を取ろうとしているのか,明白にすべきであろう.さもなければこれはまさしくクーデターとなるであろう.

* http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030716toudaisutyou.html
** http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030716yomiuri.html

+「所信」の中に,「勿論、総長についても法人全体の管理運営能力の観点から評価がなされ、解任の手続きをとることが学内的にできることは周知の通りです。」とあるが,東大の方によるとこの意味は不明とのこと.