「国立大学関係者の歴史的役割」という考えは誇大妄想でしょうか?

7.3強行採決阻止を訴えます

佐賀大学 豊島耕一

 国立大学の独法化がいよいよ決定的な段階を迎えています.今,ここでどうしても国立大学の教職員の同僚の皆さんに訴えたいことがあります.少なくとも3日の強行採決を止めさせるために,何かの行動を起こしていただけないでしょうか.

 政府の当初のもくろみではとっくに法案が国会を通過していたと思われるこの時期,それを前提にしたと思われる文書が公表されており,独法化されたらどうなるかということがはっきりと目に見えるようになってきました.例えば,「国立大学法人教職員数試算基準(案)」によれば大幅な教職員リストラの可能性が見えています.筑波大学で配布された文書には,すでに言われていた「理事」への大量天下りや,高額の給与支払いによる財政圧迫という未来が具体的に読み取れます.
 国会の論戦もこの法案の重大な問題点をさまざまに明らかにしました.また,櫻井よしこ氏をはじめとして,ジャーナリストも問題の核心に迫るリポートをしています.

 ところが,当事者である国立大学教職員のこの問題への発言や行動の規模は,これに対して大きく見劣りがするように思われます.さまざまなキャンペーンへの参加者は,増えているとは言え数千人規模に留まっています.このような決定的な時期に,当事者である教職員の皆さんに是非ともお願いしたいのは,少なくともこの法案が何を意味するかを国民全体に向かって証言していただきたいのです.さらには,この悪法を--われわれ国立大学に職を持つ者にとってだけでなく,国民全体にとっての悪法を--阻止するために,何かの行動を起こしていただきたいのです.これだけで阻止できるかどうか分かりませんが,少なくとも必要なことではないでしょうか.

 参議院文教科学委員会の与野党差は圧倒的ではなく,委員長を除くと11対9と二名差です.また,保守新党の熊谷代表は記者会見で,「結果としてこれら大学の自治や学問研究の自立を損ない,官僚支配になってしまうのではないか」と述べて,この法案に問題があることを認めています[1].委員会メンバーへのファクスは,大きな効果を持つと思われます.私は先週末,与党メンバーに「国立大学教官有志要望書 」[2] をファクスで送りましたが,話し中はほとんどなく,この時期にもかかわらずあまり使われていないと感じられました.

 ここで,「法人化」というものが一体どのような性質の問題なのかを,今一度考えていただけないでしょうか.業績評価が一層厳しくなるだろうとか,天下り役人が来るだろうとか,独立採算を迫られるだろうとか,あるいは実益に結びつかない基礎学問が衰退するだろうとか,はたしてそれだけの問題にとどまるのかどうか,ということを是非考えていただきたいと思います.これらもたしかに重要な問題ではありますが,私は,独法化にはこれらのレベルをはるかに超えた,全社会的な重大問題が含まれていると思います.つまり,もし独法化が実施されれば,そのような「大学」を持つこの社会というものは恐ろしく劣化した社会になってしまうというという意味で,全社会的な問題ではないかと思うのです.学問の発展が阻害されるだけではありません.その根底にあるべき「学問の自由」が阻害されるということは,社会のあらゆる分野・場面において,長期的に様々の文化的,社会的,政治的な後退現象を引き起こすと思われます.

 裁判所が「独立行政法人」化されることを想像して下さい.「裁判・判決の質の向上に関する事項」が法務大臣(?)から「中期目標」として与えられ,それを法務省が評価し,それによって裁判所の予算が決められる,あるいは改廃も検討される.このようなシステムは,中学校で教わった「三権分立」を覚えている人なら,すぐに馬鹿げたことだと思うでしょう.そして,もしそんなことが行われれば,社会の恐ろしい劣化をもたらすということを,自由が奪われた恐ろしい社会をもたらすであろうことをだれでも容易に想像するでしょう.しかし「国立大学法人法案」が規定する国立大学への文部科学省の統制は,「学問の自由」という憲法的原理を覆すという点で,何らこれと違うところはないのです.

 他の様々な問題点が平面的に並べられたことで,これまでこの問題の重大性が見えなくなっていたのではないでしょうか.しかし国会審議はそれを暴き出しました.法案審議の冒頭,4月3日の衆議院本会議の質問で民主党会派の山口壯議員は,「中期目標」制度について,「戦前の日本にも存在しなかった,文部科学省が大学をコントロールし得る仕組み」であり,憲法二十三条の学問の自由及び大学の自治を侵しかねないと断じました.
 「学問の自由,大学の自治」はこれまで長い間,単なるお題目と受け取られていたように思います.しかし今やこれが国会審議の焦点となっているのです.問題の核心は誰の目にも明らかになったのです.大学関係者にとって,その擁護がまさに目の前の現実的課題になっているのです.
 アメリカの60年代の公民権運動の指導者,マーティン・ルーサー・キング牧師の次の言葉を,我々は今や深くかみしめるべきではないでしょうか.

「究極的に悪いのは,悪人の残忍さではない.良識ある人々の沈黙である.」

 私たち大学関係者は,これから,実に歴史的な数日間,あるいは数週間を迎えようとしているのです.国立大学を「大学」として存在させ続けるのか,それとも外見は変わらないが,単なる文部科学省系の特殊法人に変えてしまうのか,という明治以来の重大な岐路において,私たちはその当事者の役割を与えられているのです.それともこのような危機感は,この問題に関わりすぎた者たちの幻想なのでしょうか,誇大妄想なのでしょうか?

 最後に,この文書を目にされた国会議員の皆様に申し上げます.特に,法案に賛成しておられる,あるいは賛成されるかもしれない与党議員の方々に訴えます.皆様は,どれほど恐ろしい決定にコミットしようとしているのかを理解して頂きたいと思います.それに気付かれたとき,はたしてそのような無謀な決定であっても,「党議拘束」の方が優先されるべきなのでしょうか.どうか,個人の良心を最終的な判断基準としていただくようお願いします.(03.6.30)

[1] http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/web030518hosyusintou.html
  http://www.hoshushintoh.com/kisha/k030513.html
[2] http://ac-net.org/dgh/03/626-youseisho.php