大学・文部省・議会

Ver. 1.0                教養部 豊島耕一

 前の論文(注1)で,大学の組織再編の実質的な意思決定権は大学評議会にあると述べたが(注2),これには疑問を持たれた方もあったようだ.しかし今回の「国立学校設置法改正案」の文教委員会での審議内容を見ると(注3),私の考えに大きな間違いはなかったと感じる.参議院の同委員会の審議で平成会の浜四津敏子氏は,国立大学の組織再編問題をいちいち法律事項として国会で審議する必要はないと述べている.そして,法律事項としないとすれば省令または政令にすると言うことも考えられるが,それでは文部省の裁量権が大きくなりすぎて問題があるので,各大学の自主性にまかせるべきだ,と発言している.他の委員の発言を見ても,衆参両院とも組織再編の内容そのものに踏み込む実質的な議論はほとんどなく,文部省の提案をただ鵜呑みにしているだけで,審議の意欲すらほとんど感じられない.ちなみに審議時間は両院合わせてもわずか101分,大学の講義にすれば一コマ分ほどしかない.
 このように「法律事項」であることが形骸化して実質的に「文部省の裁量」となってしまっているのである.こうしてみると「文部省の意向」に異を唱えることさえ思いもよらないことと考えて,ただその「下請け業」になり下がった感のある国立大学の滑稽さが一層浮き彫りになる.
 文部省の委員が佐賀大学の「文化教育学部」の意義について「文化と教育の融合によります新しい教育研究を推進し云々」と説明させられているのには同情してしまう(衆院委員会での雨宮氏の答弁).この「文化と教育の融合」というスローガンは意味不明だとして教養部の教授会でも問題になったが,これを説明する気の毒な役は文部省の担当官であった.おそらく官僚というのは全知全能であって,どんな大学のどんなアイデアも,それを「承認」したあとは100%理解できるという建て前なのだろう.しかし本来は,この改組案の佐賀大学での起草責任者かあるいは学長が委員会に出て説明すべきものだろう.
 このような,いわば「官僚=全知全能」を仮定したようなシステムは他にもよく見られる.たとえば,概算要求の学内での順位を決める「ヒアリング」では,直接要求を出している教員ではなく事務官が,何千万かする機械の専門的な説明をしたりするようだ(もちろん教員が書いたものを棒読みするのだろうが).また,SSC(高エネルギー物理学のための大型加速器)での日米交渉に関してだったか,そのたぐいの交渉でのエピソードとして聞いた話では,アメリカ側代表に学者らが含まれているのに対して日本側は官僚だけで,素人の日本側代表にアメリカ側の物理学者が楽しそうに物理の内容を説明していたということである.
 組織改編にせよ予算配分にせよ,このような「官僚による代行」という方法は,わが国にふつうに見られる便利な責任回避のシステムである.前の論文(注1)でも述べたが,結果が思わしくないときには「文部省の指示があったから」と言えば大学には責任がなくなると思うのだろう.または内部の利害対立などさまざまの理由で大学がじゅうぶんに自信を持った政策を出せない時,文部省のカゲに隠れようとするのかも知れない.
 大学の責任だけに言及して文部省のことに触れないのは片手落ちになる.文部省がその予算編成の実務を握っていることを濫用して国立大学を支配しているというのは大学関係者にとっては常識である.問題の「教員任期制」にしてもこの「財政誘導」というものを使って大学に押しつけてくることは目に見えている.しかしわが文教委員会はこのような今日の大学のリアリティには全く鈍感なようである.委員のだれ一人としてこの問題に触れていない.93年4月の国会の,「教養部改組等を含め,大学改革を進めるに当たっては,各大学の自主性を尊重し..」という付帯決議は何のためだったのだろうか.
 これだけ官僚批判,官庁批判が盛んなご時世だというのにひとり文部省だけは平穏無事のようである.しかし文部省という役所が日本中にまき散らして来た教育支配の公害の深刻さは量り知れない.これもまた翻れば,アカデミズムの最上位に位置して,当然行政をチェックすべき立場にあるはずの大学があまりにもふがいないからだろう.ある国立大学の学長が,文部大臣ではなく,なんと事務次官から辞令を交付してもらって,そこで「全力を尽くす」と誓ったという新聞記事を見た.このように学長まで官僚に軽くあしらわれているのを大学関係者は不思議とも思わないようになっている.
 「改革」に関して言えば,組織改革を大学改革と取り違えるのはもうそろそろやめにした方がいいと思う.今なお問題とされている教育学部縮小についても,教員の需要減を当然の前提とするのか,それとも小中高の学級定数減により教育の充実をはかる方向で対処するのか,国民的な議論はほとんどなされていないではないか.当面の改革の大きな課題はむしろ,大学における学生の発言権の保障と,教職員の「多忙化」状態の解消だと思う.特に前者の課題を実現してこそ本当の改革の方向が見えてこようというものだ.
(注1)「文部省の違法行為・従順な大学」,科学・社会・人間,53号,95年7月,
(注2)もちろん教授会の承認が前提である.
(注3)第136回国会衆議院文教委員会議録 第6号,同じく参議院文教委員会議録 第5号,各院事務局,1996年3月.

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