理系人間特有の素朴な三段論法

  −−有馬朗人氏の大学教員任期制に関する文書について
            (Ver. 2)

                  佐賀大学教養部 豊島耕一
 大学審議会組織運営部会の部会長である有馬朗人氏が任期制について書いた文章が「現代の高等教育」1996年2-3月号(IDE発行)のp5-10に掲載された.有馬氏は原子核理論の分野で著名な業績をあげた人でもあるので,影響力は少なくないと思われる.しかしこの文章に関する限り,理系人間に特有の単純で素朴すぎる思考形態の表れの見本のようなもので,とても評価できるものではない.とりあえず思いつく素材で私なりにこれをバッシングしておきたいと思う.

 これは,研究機関の活性化のためには人事の流動化が必要で,流動化のためには大学や研究所に任期制を導入すべきだ,という極めて単純な三段論法を,”理屈抜き”で述べているにすぎない文章である.なぜ人事の流動化が必要か,あるいは現状はどの程度流動的かの定量的な検証,そして流動化させるとしても任期制以外の方法ではなぜだめなのか,ということの論証はない.たしかに,これらのことは「なんとなくそうかも知れない」と思えることではある.しかし小学生の作文ならともかく,いやしくも政府の中の機関としての大学審議会が,全国的かつ長期にわたる政策を立案提言しようと言うからには,「なんとなく」をベースにするのではあまりにもお粗末である.また,有馬氏がもし今も科学者であるのならば,自分の専門外のことだからといって科学的方法論において盲目になってもらっては困る.

 この「なんとなく」で人を煙に巻こうという手法は,外国の例を引用する時も同様に使われている.有馬氏は任期制はアメリカとドイツで成功していると言うが,何をもって「成功している」とするのだろうか.ノーベル賞受賞者が多いことを言っているのだろうか.はたして学問の自由が侵された事例は取るに足らないほど少ないのだろうか.また,流動的な雇用形態が普通のアメリカであっても,失業の不安が人々にとって大きな精神的ストレスであることにかわりはないだろう.アメリカのことだから何でもまねをすればいいという態度ではなく,綿密な調査の上でものを言ってもらいたいものである.関係者からの事情聴取も含む調査はこれらの国でも多様な観点から実施すべきであろう(注1).

 この文章で有馬氏が「財政誘導」を公然と要求しているのには恐れ入る.(彼の論法によれば,任期制を導入した研究機関はそれだけですでに活性化するのだから,むしろお金は減らしてもいいくらいだろう(注2).)国立大学に限らず日本のすべての大学において,「財政誘導」がいかにその自発性だけでなく責任感をも喪失させているかということについての認識が有馬氏にはないのだろうか.もっとも,国立大学の中ではいろんな意味で有利な立場にある東大に30年も−それこそ「流動」せずに−いつづけた有馬氏であれば,この種の問題は感じにくいのかも知れない.かりに研究費の「重点配分」のような手法を認めるとしても,それが政治の介入や官僚支配につながらないための確実な仕組みが前提でなければならない.

 また,この文章には,各方面から懸念が表明されている「学問の自由」の問題との関連については全く触れられていない.自然科学者にとって,なかでも基礎科学に従事するものにとっては,幸いなことに「学問の自由」とはせいぜい研究費がもらえるかもらえないかの問題でしかない.ガリレオの時代とは違って,たとえば「量子力学」が政府から弾圧される心配など今日まずありえないからである.理系の人間がこの種の問題に敏感でないように見えるのはこのためかもしれない(一種の平和ボケ).しかし社会科学や人文諸学ではそうではない.現に「教科書検定」という名の検閲によって正面から「学問の自由」が踏みにじられているのである.(「学問の自由」が大学だけのものと誤解してはいけない.)根強い儒教的イデオロギーと官僚支配の強いわが国では,「任期制」,つまり権力者・年長者にとっての解雇の権利がこの種の支配の道具になりやすいという要素が,アメリカなどよりもはるかに強いだろう.

 有馬氏は,原子核研究所や京大基礎物理学研究所の任期制を持ち出して,彼の主張を正当化しているが,私の理解では,これらの制度は,それらの施設を全国的な研究交流の拠点とすることと,当時としては特別に恵まれた研究環境を特定の人間に独占させないということがその趣旨ではなかったかと思う.それをすべての大学や研究所一般に普遍化するためには,いくつかの論理的階段を踏みのぼらなければならないはずである.また,研究者コミュニティーの自発的な紳士協定として発足したこのような制度と,彼の審議会のお墨付きで「財政誘導」をテコとして行政的・権力的に進められるであろう「任期制」とでは,その性格はおそらく180度異なったものになるだろう.

 「任期制」論議とは切ってもきれない問題に研究者の評価をどうするかということがある.採用時や昇任時以外にも実施するのか,もしやるとすればどのようにするかということは大変難しい課題であるが,十分な議論を尽くして取り組まなければならない.しかし「任期制」と連動するシステムでは,あえて同僚をクビに出来るほどのタフさをわれわれの社会は文化として持っていないので,そのための教員「評価」は単に同僚をクビにしないための手続きのうちの一つになろう.この問題でも「教養部解体」の場合と同じように,制度さえ変えればなんとかなる,という粗雑な態度に再び陥ることになりかねない.また,有馬氏の議論は,ある一点だけに注目してバランスよく他を見ないという,これまで大学関係者がしばしば陥った罠のパターンに当てはまるように思われる.かつて,いわゆる「難問奇問」追放にばかり気を取られて「共通一次」を導入した結果,受験戦争を精密戦争に拡大したという国大協の過去の失敗に学んでいない.

 「研究者の任期制」の問題に関わるときのわれわれ研究者の心理状態についてひとこと述べておこう.この問題は自分自身に関わることでもあるので,研究者はこれに反対したくないというある種の虚栄心のようなものが働くことは間違いない.少なくともネームバリューがあるほどのりっぱな業績を持つ人以外はそうだろう(注3).つまり自分はちゃんと研究をやってるから「任期制」などこわくないぞ,という態度で世間に自分を表示したいという欲求である.言い換えれば,これへの反対論を表明することは自信のなさの表れと受け取られるかも知れないという心理的圧力にさらされるのである.しかしそのような個人的な感情論にばかり付き合ってはならない.なぜならこれはアカデミズムの独立や研究の質・水準の本質的な維持の問題に拘わる,あくまで「公的な」問題だからである.そもそも任期制問題に論理的・科学的な意味での「正しい答え」というものは存在しない.どのようなシステムを好むのか− 論文の生産量を上げるためにあえて失業の不安を容認するのか,それとも,リスクの大きい研究テーマに時間をかけて取り組む余裕を確保するために,起こりうる怠け者の保護はコストとして受け入れるのか −という,われわれ自身の(あるいは社会全体の)選択の問題である.

 最後に,「研究の活発化」ということがここで問題になっている以上,私なりの方策を示すことがこの小文の読者への礼儀であろう.
 まず,活発でありさえすればいい,というものではない.何をどのように研究するか,という問題がある.これは研究者個人が常に自らに問うべきことだろう.忌避すべき極端な例として軍事研究をあげておこう.
 実際的な問題では,まず「研究者にもっと時間を与えよ」いうのが第一である.大学院,学部の授業,全学「出動」の一般教育,さらに「改革」のための会議,そして私の場合はこのような文章を書くこと,という具合に,万事が忙しくなりすぎている.「改革」を中止することが最大の改革,と皮肉りたくもなる.具体的に言えば,授業ノルマの見直しが必要である.最近よく言われる,授業の質を高めるということのためには,これは必須の条件だろう.
 次に,予算管理を大幅に大学自身にまかせて柔軟化させること.たとえば旅費と物品費の互換,単年度主義のみなおし,物品の学内中古市場の創設などがあげられよう.
 焦点の人事面では,採用におけるインサイダー人事を実質的に廃止する有効な方策を見つけること(注4),そして差別撤廃が重要である.後者に関しては,募集要項にしばしば年齢制限の項目が見られるが,その場合には合理的な根拠を明示することが必要である.
 学問の自由との関連では,国立大学教員を「国家公務員」として一般の行政に従事する公務員と一律同様に縛っている国家公務員法102条と,それに関連する人事院規則14-7(注5)を,大学教員に対しては適用しないことが重要である.(一般公務員に対してもこの法律は問題である.)
 国家からの独立という点でわが国のアカデミズムの基盤がきわめて脆弱であるというのはよく指摘されている(注6).このような環境の中で実行される「任期制」,つまり管理者・使用者にとっての解雇の権利は,活性化というよりはむしろ被害をわが国の研究者コミュニティーもたらすだろう.前にも指摘したように(注7),道に落ちている十円玉を拾うためにトラックに轢かれるかもしれない危険を冒すことになるのである.(1996.7.8. 97年2月,第7段落を改訂)

(注1)この種の,あるいは先に述べたわが国での研究者の流動性の現状など,もし調査データがあるのなら大学審はそれも公表して議論に委ねるべきである.もし独占しているのなら密室審議ということになる.
(注2)もちろんこのレトリックはあまり強力ではない.研究が活発になれば余計にカネがいる,という答えが多分返ってくるだろう.
(注3)したがってネームバリューのある人はこの問題で率直に自分の意見を表明する義務がより大きいと思う.
(注4)インサイダー人事が絶対ダメということではなく,そのことをはっきりと明示した上で世間の評価に委ねるのであれば,それも一つのやり方ではある.もちろん国公立ではおそらく「禁じ手」であり,私立に限ってのことではあるが.
(注5)「国家公務員の政治活動の制限・禁止について」を参照下さい.
../UniversityIssues/PoliticalActivities.html
 人事院規則14-7とその運用方針は次のファイルを参照下さい.
ftp://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/pub/law/kisoku14-7
ftp://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/pub/law/housin14-7
(注6)たとえば井口和基氏の「三セクター分立の概念 日本社会の構造的問題とその解決の方向」(近代文藝社,1995年)を参照下さい.
(注7)「民間大学審議会」の提唱
../UniversityIssues/daigakushin95