これは1993年8月に九州大学での原子力問題でのシンポジウムで発表した ものです.数字など少し古くなっているもののあるかも知れませんが,おおすじでは現在でも通用する議論だと思っています.筆者はエネルギー問題の専門家ではありません.お読み頂いて,中味についていろいろご指摘頂ければ大変ありがたいと思います.

豊島耕一(toyo@cc.saga-u.ac.jp)
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エネルギー変換図
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エネルギー需要と環境調和型エネルギーの展望

                                佐賀大学理工学部 豊島耕一

1.まえおき

原子力発電の是非を論じるばあい、それだけを議論していても結論は出ないのであって、当然他のエネルギー源との利害得失や実現可能性の上での比較、そしてどれだけのエネルギーが必要なのかということとの関連で論じられなければならない.このためには原発が議論されているのと同程度の労力と時間をかけて,これ以外のエネルギー源についての検討がなされなければならないし,またエネルギー消費が今後増大するのは避けられないのかどうかについても学際的で 掘り下げた研究が必要である.私はこれから述べることがらについての専門家というわけではないが,この数年間上に述べた事との関連でいわゆる代替エネルギーの問題について関心を持ち,多少文献調べなどもしていた.その結果,原発に代わってかなりの量のエネルギーを供給でき,いろんな点で原発に勝る技術がすでに存在していると考えるようになった.シンポジウムのためにエネルギー消費についての追加的な文献調べをしてまとめたのが本報告である.

2.エネルギー問題とは

地球全体としては常に太陽からエネルギーの供給を受け,ほぼ同じだけの量を地表面から宇宙に放出しており,一定の流れの中にある.また地殻には化学あるいは核エネルギーを持つ物質が存在する.これらに途中でどのように人間に有用な形の迂回路あるいはバイパスを作るか,というのがいわゆるエネルギー問題である.水力発電は雨水の持つ重力位置エネルギーを電気エネルギーに迂回させる方法であり,化石燃料は太陽光の地球史的な時間を超えてのバイパス,原子炉は宇宙史的スケールでの原子核に閉じ込められたエネルギーのバイパス方法と言えるだろう.

迂回あるいはバイパスの時間スケールの大小によって,エネルギー資源を次の二つに分類できるだろう.

1.定常型

人間生活と同じくらいの時間スケールでリサイクルしているエネルギーで,バイオマス,気象現象(水力,風力など),太陽光などである.

2.資産取り崩し型

地球史的あるいは宇宙史的時間スケールでリサイクル(あるいは一回限り?)しているエネルギーで,化石燃料,原子力などをこの分類に入れることができる.

これらはまた,物理学で言うエネルギー形態によっても分類することができる.エネルギー消費についても同様である.これらの利用の流れは図のようになるだろう.

エネルギーを利用する場合,その形態を様々に変える必要があるが,その変換の効率によって次のように2つに大別することができる.

(イ)秩序を持ったエネルギー

動いているもの,高いところある物体(物質),電気,石油などの化学エネルギーがこれに含まれる.これはほとんど全部を有効に使ったり,他の形に変換することができる.[以下04年6月追加] もし熱を発生するときは,ヒートポンプの動力として使えば100%をはるかに超える効率が可能である.例えば家庭のエアコン暖房は300%程度の効率を持っている.[ここまで]

(ロ)熱エネルギー

火や熱いものが持つエネルギーである.そのまま熱として利用すれば全部が有効に使えるが,(イ)の形に変えるときはその効率に次のような限界がある(カルノーの原理).

              熱源の温度とまわりの温度との差

      理想効率 = --------------------------

              熱源の温度 + 273

このため,もし石油を燃やしていったん「火」にしてしまえばそのエネルギーの全部を別の形に変換することは出来ず,半分以上を「廃熱」として捨てなければならない.したがってこの熱も利用するようにすることが望ましい(いわゆるコージェネレーション).また,絶対零度(約−273度C)でない限りどんな物体でも熱エネルギーを持っている.したがって常温の物体からでも,もしもっと冷たいものがそばにあれば「秩序を持ったエネルギー」を取り出せる.例えば冬の雪や氷を大量に夏まで保存できればそれは立派にエネルギー源となる.

エネルギー問題を考える場合,次の3つの側面から対応することが重要であると思う.

1.技術による対応

これが必要なのは言うまでもないことだろう.様々なエネルギー源の開発,末端の機器の省エネルギー化,変換の高効率化などが含まれる.技術の問題を無視して「自然に帰る」という考えは,もしそれが実行されると地球温暖化や原発事故の比ではない大災害を人間と社会にもたらす恐れがある.

2.社会・経済的対応

生活スタイルの見直し,省エネルギー型の経済システムを実現することなどが考えられる.もっと根本的に,経済成長とは何かということを考えてみることも重要だろう.「経済成長」はほぼ「GNP成長」を意味するが,GNPとはしょせん貨幣経済の規模をあらわすにすぎず,これを拡大し続けなければならないというのは自明ではない.例えば,会社員が残業をやめてボランティア活動を始めたとするとこれはGNP成長にとってプラスではない.しかしどちらが良いかを簡単に言うことはできないだろう.

3.個人のモラル

たとえば「もったいない」という言葉にもっと高い地位を与えるべきだろう.かつて「交通道徳」という言葉があったが,それにならって「エネルギーモラル」という言葉を宣伝するのも良いかもしれない.ただしこの種の問題に政府があまり口を出すと厄介なことになる.この問題では教育の果たす役割が大きいだろうから,なおさらそうである.

重要なことはこれらの3つにバランスよく対応することで、どれか一つを偏重すると社会全体に災いをもたらすことになりかねない.

しかしここでの話題は主にテクノロジーついてである.その中で、環境調和型のエネルギー源に関して、量的に原子力に代わる現実的可能性を持っている太陽光発電とバイオマスについて述べてみたい.前者については、最近専門家やマスコミが取り上げているところであるが、まだ一般の共通の認識になっているとは言えないようである.

3.太陽光発電

太陽電池は素材別にはSi(シリコン),GaAs(ガリウムヒ素), AlGaAs, CuInSe2,CdTe, CdSなどから作られ, 結晶形では単結晶,多結晶,アモルファスの3つの形がある.それぞれに特徴を持っているが,現在電力用として用いられるのはシリコンの単結晶,多結晶の素子である.しかし今後太陽光発電で注目されるのはアモルファスSi太陽電池である.単結晶Siやガリウムヒ素に比べて効率は高くない(実験室で13%,市販品で光劣化後5%)が,少量の素材で安価に,投入エネルギーも少なく製造できる.問題であった光劣化についても,鐘淵化学によれば劣化後でも10%の効率が得られるようになったとのことである .同社は将来これを製品化する予定であるという.太陽電池が話題になると常に言われることは「コストが高い」という事であっ

たが,これももはや時間の問題である.浜川氏によれば ,量産規模が250MWpになれば,'90年現在の数分の1になるという(次表参照).

   

発電コスト(文献2)

'90年現在(量産規模16.8MWp/yr)  量産規模250MWp/yrの場合

モジュール       ¥650/Wp      ¥100〜200/Wp

周辺装置         ¥500/Wp       ¥200/Wp

(Wp・・・ピークワット)

地表面での太陽輻射エネルギーの量は最大1.0kW/m^2 であり, 8%の太陽電池モジュールでは1m^2 あたり80Wの電力が得られる.もちろん夜間は発電しないし昼間も天候に左右されるため,これだけを電力源にしようとすれば大規模な電力貯蔵技術が必要となり,現実的ではない.したがって当面は既存の電源と併用し,その燃料使用を減らすような利用のしかたになるだろう.その場合,集中型の「太陽光発電所」を設置するのは,必要となる面積の広大さから考えて得策ではないだろう.例えば,東京の水平面全天日射量4.507×10^9J/m^2・年 をもちい、太陽電池モジュールの効率を8%、インバータの効率を90%とすると、水平に設置した太陽電池1m2当たり、年間3.24×10^8J(90.14kWh) の電力を発生するが,これで1991年度の電力10社の発電量6.65×10^11kWhの半分をまかなうとすれば3,689km^2(国土の0.98%)が必要になるのである.

そこで考えられているのが家庭の屋根に設置して利用するという分散型である.単独で用いるにはバッテリーが必要だが,日本のように火力等の発電システムと電力網がある場合には,「逆潮流あり」の系統連係システムが最も良い選択であろう " .即ち,バッテリーは使わずに余剰電力は既存の配電網に「送電」し,不足時にはこの同じ電力網からの供給を受ける.昼間は家庭が発電所となってオフィスや工場に電力を送り,夜間は電力会社の発電所からの電気が家庭に送られる.バッテリーがいらないためコストや資源が少なくてすむのである.日本の戸建て住宅3千万戸で先ほどの3,689km^2を割ると1戸あたり123m^2(37坪)とやや大きな値になるが,この半分程度なら無理なく実現できるだろう.これは大きな資源量と言わなければならない.現在の原発に匹敵する量が太陽光発電で置き換えられるのである.驚くべきことに原発推進の新聞広告で電力会社自身もこのことを認めており ^1,「電力需要の4割程度」まかなえると言っている.

このような逆潮流ありの系統連係システムについては,関西電力総合技研六甲新エネルギー実験センターで研究が進められ,その feasibility は十分実証されている #.また,'92年4月からは家庭から電力会社に電気を売る制度も整えられ,そのための技術基準も整備されている , .配電網といういわば「無料のバッテリー」が使用可能となったのである.

太陽光発電がエネルギー資源たりうるためには,その製造と運転に必要なエネルギーより大きなエネルギーを生みださなければならない.もちろん太陽光自身は面積さえあれば手にはいるし,メンテナンスもほとんど不要なので運転のためのエネルギーはゼロと見なしてよいだろう.しかし製造のためにはかなりのエネルギーを投入しなければならない.三洋電気の桑野幸徳氏によれば $ ,年間1万kWのアモルファス太陽電池を生産する場合,太陽電池1Wあたり太陽電池本体に0.18kWh,他の素材や原料に1.5kWh,合計1.68kWhが必要であるとされる.これを日本で稼働させると,エネルギー回収期間は1.68年である(多結晶シリコンの場合は4〜5年).これに必要な周辺機器,すなわち架台やインバータ,配線などのためのエネルギーの回収年数は1年程度とされ,電池本体との合計で総合的に約3年と見積られている.電池の寿命を20年とすると十分なエネルギー利得があることになる.結晶系太陽電池の場合は投入エネルギーが大きいため,回収年数は長くなるが,それでも十分正味のエネルギーが得られることにはかわりはない.

残る問題は必要な資源の量が十分かということだが,シリコン自体は地表面に豊富に存在する元素である.とはいえふつうの石や土から作られるのではなく,純度の高い珪石を100%輸入して製造している.珪石の資源賦存量がいくらか,そしてもし「ふつうの石ころ」から作った場合エネルギー投入量はどのくらい増えるのかについて検討したわけではないが,必要な量が現在の消費量に比べても極めて小さいので,問題はないと思われる.厚さ1ミクロンに必要な面積3,689km^2 を掛け,さらにシリコンの密度2.33g/cm^3を掛ければ8,595トンとなり,寿命20年では年産430トンが必要となる.どのくらいシリコンが使われているかについては,多少古いデータで '81年の金属シリコンの需要67,000トンとという数字があるが,これと比べてもわずかな量である.残されたほとんど唯一の「問題」は政策的な決断だけのようである.

4. バイオマス

毎年地球全体で生産されるバイオマス中の炭素の量は730億トンで,これは熱量に換算すると6×10^17 kcalとなり '89年の世界の一次エネルギー消費の約8倍にものぼる.そのうち森林の純生産量は3.35×10^17 kcalで同じく4.38倍である % .日本における資源量については本多淳裕氏によれば&C純生産(排出)量として樹木・笹・解体廃木材・各種廃棄物などの合計で年間1.805×10^15 kcal(7.56×10^18J)で,そのうちエネルギーとして利用可能な量は5.14×10^18J,これは '90年の一次エネルギー供給の25%に達する.現在('85年)利用されているのは1.36×10^17Jで,利用可能量のわずか2.6%にすぎない.

バイオマスをエネルギー資源としてみた場合,エネルギー密度が低く,原料の重量当り経済価値も低い.このため集中処理では集めるための大量のエネルギーと広い集積地が必要になってしまうので,分散利用が適している.前出の本多氏は次の4段階で利用推進の提案をしている.

1.有機性廃棄物を利用すること(ゴミ発電など).コストのかかるゴミ処理を一部兼ねることになるので経済性が確保されやすい.

2.林地残材,農業廃棄物の収集利用.

3.自生バイオマスの収穫.

4.エネルギー作物の栽培.

先に挙げた 5.14×10^18 J/年という数字は第3段階までで達成される数字である.セルロース系資源からの省エネルギーエタノール生産技術を待たなくても,われわれはかなりのエネルギーを手にすることができるのである.にもかかわらずその利用開発が進まないのは,太陽光発電同様国の政策がそちらを向いていないからというのが最大の原因のようである.

5.エネルギー需要について

かりに公害がなく安価で無尽蔵の理想的なエネルギー源を開発したとしても,消費が野放図に伸びたのでは何にもならない.ほかのあらゆる環境への悪影響を防げたとしても,地域または地球そのものの熱汚染を避けられるのは魔法だけだろう.もちろん近い将来の技術は魔法以前の問題で悩まなければならない.消費の規模の問題では,テクノロジーはエネルギー利用効率の向上に責任があるが,より多くの仕事は社会・経済的対応の側面でなされるべきだろう.

現在のエネルギー供給を燃料別に,また需要を産業分野別に見ると図のようになる.

供給グラフではエネルギーの石油依存があらためて確認できる.需要グラフで注目したいのは,輸送部門の占める割合の大きさである.「マイカー」の占める割合もかなり大きい.伸び率では製造業部門がこの20年来横ばいなのに対し,この分野では伸びが著しい ' .言うまでもなくマイカーの増大と,貨物輸送分野では小口分散化と輸送頻度の増大がこれをもたらしている.自動車産業(製造)の消費するエネルギーは加わっていないので実質的にはもっと大きな割合を占めることになる.忘れてならないのは,この部門が年間1万人ちかくの人命の犠牲まで要求していることである.

もう一つ伸びの大きいのは民生部門である.この中には家庭でのエネルギー消費も含まれる.この事実と,経済企画庁の'90年の世論調査 ) とを比べてみると面白い.生活水準とエネルギー消費との関係について、53.5%が「生活水準もエネルギー消費も現在の水準でよい」または「エネルギー消費を減らすためには生活水準の低下もやむを得ない」と答え、「生活水準を上げるためにはエネルギー消費の増加もやむを得ない」の31.7%をかなり上回っている.また、「経済成長率を低下させることになっても資源・環境保全に努めるべき」と「資源・環境保全は経済成長と所得水準の上昇を妨げない範囲で行なうべき」との間でも、前者の意見の方が多い.私には健全な常識に思えるが,現実には消費者は(私自身も)これとは反対の行動をとっているのである.「わかっちゃいるけど‥‥」なのかあるいは「消費を押しつけられている」のか,おそらくその両方だろう.

家庭での消費の問題も重要だが,最大の問題は産業構造自身をエネルギー消費の観点から見直すことだろう.例えば巨大な自動車産業はこのままでよいのかといったことである.(この人員と設備の多くをそっくり太陽電池産業に転換するなどということができればいいのだけれども.)

今後のエネルギー需要の予測はいろいろな機関や研究者によって行なわれているが,アメリカの場合についてその予測値自身の年変化を調べたものがある * .それによると1972年から1983年の間に西暦2000年の需要の予測値がほぼ半減している.我が国の政府機関の予測でも同様の傾向がある.予測値が控えめになったとはいえ政府の「総合エネルギー調査会」が '90年に発表した「長期エネルギー需給見通し」では今後22年間で37%もの増加を予測している.前に紹介した世論調査では国民自身に「エネルギー消費縮小もやむなし」の覚悟ができているにもかかわらずである.

このような予測はおそらく,GNPの成長率をまず設定して,それにエネルギー弾性値を掛けて必要エネルギーをはじくという,大まかに言えばこのような手法をとっているのではないかと思われる.GNPが成長を続けなければならないかという問題も含めて,また予測値自身が変動していることからも,これを簡単に信用することはできない.むしろ,環境制約からエネルギー消費を計画する時代に入ったと考えるべきではないだろうか.全地球的にはエネルギー消費は第三世界を中心に増大するだろう.すでに物質的な豊かさを手にいれた先進国はこれ以上増やすべきではない.

先進国において果たして本当にエネルギー消費の拡大が避けられないのかどうかを考えるうえで重要なヒントとなる統計がある.これらの国では'79年から'86年の間のエネルギー消費は -0.3%というマイナス成長を記録しているのである.しかしこの間そのために経済・社会的カタストロフィーと言うほどの現象が起きたとは思えない.このように,社会はエネルギー供給量の変化に対してはある程度みずからを調整する柔軟性を持っていると考えるべきであろう.

6.結論

すでに存在する技術により,太陽光発電とバイオマスの両方で年間6.347×10^18Jのエネルギーをまかなうことが可能である.これは'90年のエネルギー消費の約半分にあたる.したがって原発に依存しなくても石油の消費を削減することができる.

6.347×10^18Jという値はしかし現在の世界平均をわずかに下回る程度であり,長期的にはこの程度の水準に落ち着かせるべきなのかも知れない.原発の是非に関しては「安全性」に関する果てしない議論があるが,これに代わるものがある以上,まず,主要なエネルギー源としては「原発に頼らない」という決断こそが先行すべきではないだろうか.いかに安全な原発が開発されようと,これが大量の放射能という「毒物」を扱うということには変わりないのである.同じ意味で太陽光発電においても,効率は高いが毒物であるガリウム・ヒ素を素材とした太陽電池も採用されるべきではないだろう.

原発推進はエネルギー消費の野放図な拡大をもたらしかねない.いったんそうなってしまえば,これを「環境調和型エネルギー」で置き換えることはますます困難になるだろう.原発へのイエス,ノーは人間社会が今後「抑制された行動」を選択するかどうかという分岐の象徴のようにも思える.