物理とその隣接分野へのつながり

物理科学科ニュース,2011年4月1日号より

<はじめに>

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。みなさんの旺盛で真摯な勉学意欲に応えるべく、物理科学科のスタッフ一同、授業はもちろん、みなさんと接する様々な局面で、みなさんのために最善を尽くしていきたいと思っています。
 どの学問も同じでしょうが、物理学は決して易しい学問ではありません。敷居の高さは飛び抜けていて、また「積み重ね」という性質が強く、何階建てかの建物に喩えられるでしょう。基礎工事はもちろん、1階部分がしっかりしていないと、2階の工事はできません。分からないことをそのままにせず、先生を訪ねて遠慮なく質問して下さい。オフィスアワー以外は絶対ダメというわけでもありません(忙しい時期は別として)。そして、段階を上がるごとに開けていく眺望を楽しみながら、しっかりと自分の物理学を築き上げて下さい。

<危険を内包する技術>

さて、いつもならウキウキするような素晴らしい季節のはずなのですが、今は3月11日の東北関東大震災と、それが引き金となった福島原発の重大事故という、悲しくまた衝撃的な事件が私たちの心に重くのしかかっています。後者の危機は現在も進行中で、収束の目処さえ立っていません。もしかしたら、皆さんの中にも、家族や友人で地震や津波の災害に遭われた人もおられるかも知れません。原発事故に関しては東京など関東圏も影響を受けており、このエリアにはほとんどの人が縁者を持つでしょうから、誰もが気が気ではありません。
 大震災は人間の営みと大自然とのスケールの違いをあらためて我々に気付かせました。他方、原発災害はあきらかに人災です。我々が発達させてきた「科学と技術の成果」とされたものが、多くの人々に甚大な被害と苦痛をもたらしています。
 事故を起こした福島第一原発や、地元佐賀の玄海原発1号機が運転を開始した時期は、私が学生の頃と重なります。手塚治の漫画「鉄腕アトム」の人気に代表されるように、原子力は時代の旗手として、もてはやされていました。私自身、物理学ではなく原子力工学の分野に進んでいたかも知れません。その分かれ道は大学院進学と、そしてその後の就職の際と二度もありました。
 また、わが物理科学科も約40年前(当時は物理学科)、わざわざカラーのパンフレットを作って玄海原子力発電所建設推進の宣伝を買って出ています。そもそも核分裂という原子力発電の中心となる現象は物理学者が発見したものです。
 このように、物理学と原子力工学とは密接な関係を持つ隣接した分野だと言えます。したがって、現在福島で起こっていることに物理学者が無関係でいられるということはないでしょう。広い意味で私たちも「当事者」です。

<専門家と隣接分野>

今回の事態についての原因や責任の追求は今後なされていくでしょうが、「当事者」としての物理学者にとって、そしてこれから物理を学ぶ皆さんにとっても、いま読み取れる教訓があるように思います。
 それは、大きな危険を伴うような技術を、ただ「専門家まかせ」にしてはいなかったか、ということです。一つの業界というものができあがると、そこには自然に「ファミリー」が出来ます。それらの人々が大企業と結びついたり、政府で大きな発言力を持つようになるなど、何らかの権力的な要素が加わると新たな問題が生じます。つまりその集団に対する有効な社会的チェックがおろそかになると、「ファミリー」は「マフィア」と言えるほどの利権集団に成長するでしょう。じっさい、今回の事態に関して新聞には「原子力マフィア」という言葉が見られます。
 危険なシステムをそのような閉鎖社会に任せてしまわないためには、特に隣接分野の専門家のチェックと介入が必要だったと思われます。つまり、原子力の専門家と物理学者とは隣接していたのですから、物理学者はその「第三者」的な役割をもっと果たすべきだったのではないでしょうか。

<幅広く学ぶことの意味>

このような、非専門家による介入や批判というものは、なにも原子力の分野に限ったものではありません。複雑で難解な技術的要素を持ったシステムは社会のあらゆるところに存在し、それぞれが何らかのリスクを抱えていますので、あらゆる業界に対して必要でしょう。もちろん、非専門家でも問題の分野に全く無知ではだめで、それなりの知識が必要です。さもないとただの床屋談議に終わってしまいます。
 理工学部のカリキュラムの中には「専門周辺科目」というグループがあります。これは本学部が掲げる「理工融合」のスローガンを体現したものですが、しかしこれには実は上のような意味を読み取る、あるいは投射することができるのではないでしょうか。さらにこのような非専門の分野への批判や介入は、特に理系の分野だけに限るものではありません。理系・文系を超えた教養教育科目は、そのような意味で受け取ることも出来るでしょう。

<物理学を学ぶ者の特権?>

 それにしても、物理学という学問は、自然界をその最も根底的なところで理解しようとするものですから、その魅力は抜群です。自然界は、原子よりも小さいミクロのレベルから、原子・分子、地球、星、銀河など巨大なスケールへと、そして一方では生命活動に目を転じると、タンパク質・DNA等の高分子、細胞、個体、そして群れや社会というように、より複雑なレベルへと、様々な存在様式があります。それぞれのレベルで新しい法則性が「出現」すると理解され、このようなあり方は「階層性」と呼ばれています。
 面白いことに、階層の異なるレベルの現象の間にパターンの類似性が見られることがあります。これは別のレベルの現象を理解するヒントになります。物理学は物質(時空間も含め)という最もベーシックな存在を対象としているので、他のあらゆるレベルの事象を理解する最も豊富なヒントを蓄えている、そう言えないでしょうか?
 みなさんには、物理学をしっかり学ぶと共に、物理学が生み出したものが人々に、災いではなく幸せをもたらすようにするにはどうすればいいのか、ということについても、折に触れて考えていただくようにお願いします。単に「それは技術を使う人の責任だ」と考えるのではなく。