防弾チョッキは純粋に自衛の道具か?

 

「アエラ」の副編集長を務めたこともある田岡俊次氏が,最近の著書[1]で,自衛隊の幹部がもともと「ミサイル防衛」の導入に消極的だったことを紹介している.見込まれる経費が自衛隊の全装備費の1年分以上になりそうなことから,ある高官は「まるで私の家のフロに象が入るような話」と言ったそうだ.この膨大なお金を医療や福祉に使ったらどれだけのことが出来るか,メディアでも是非議論してもらいたいものだ.しかしお金の問題だけではない.平和と安全に役立つどころか,逆に戦争に近づきかねない.

 

ミサイル防衛は,飛んできたミサイルを打ち落とすものだから純粋に「防衛」の兵器だと思われるかも知れない.しかしことはそれほど単純なものだろうか.銃砲点に防弾チョッキを買いに来た人に,これは純粋に防衛のためのものだからと,だれ構わずに売っていいものだろうか?たしかに防弾チョッキそのものが人を殺すことはない.しかし,もしその人物が暴力団の組員だとしたら,そして対立する暴力団を襲撃するための装備の一つだったとしたらどうだろう.

 

今わが国が進めているミサイル防衛もこれと同じ事ではないだろうか.もちろん自衛隊自身が今すぐに他国を侵略や攻撃をしようとしているとは全く思わないが,しかし自衛隊は米軍と一体的に行動させられる構造になっている.その米軍はといえば,アフガンやイラクに見られるように,「先制攻撃」という病気にかかっている.そして中国や北朝鮮が持つよりも数十ないし数千倍もの圧倒的多数のミサイルでこれらの国に狙いをつけているのだ[2].そのような軍隊と連携している自衛隊が持つ「盾」は,襲撃を準備する組員の防弾チョッキと同じだろう.

 

かりに米軍がもっとおとなしくなり,あるいは自衛隊が米軍から独立性を強めたとしても,ミサイル防衛は平和につながるのではなく,逆に軍拡競争を加速するだろう.これは相手の立場になって考えればすぐに分かることだ.相手側は「攻撃したあとの反撃の効果を減らすためのもの」,つまり安心して攻撃を仕掛けられるようにするためのものと考えるだろう.そして,逆にその防衛網を突破できるような方法を考えるだろう.

 

われわれ漢字文化圏の人間は,おそらくだれでも「矛盾」という熟語とそれが由来する故事を知っている.だから,ミサイル防衛システムを売り込む側の「どんなミサイルでも撃ち落とせる」という宣伝自体の「矛盾」をすぐに感じ取ることができる.これと対をなす,「どんな防衛網でも突破できるミサイルが出来た」という宣伝文句をすぐに連想するからだ.欧米人にはこの「矛盾」と悪循環とがどの程度意識されているのだろうか.もしかしたらこの中国の故事をもっと広める必要があるのではないだろうか.

 

実はそう思って,数年前から自分のウェブサイトでこの故事の英語版を宣伝している[3].以下,それを転載する.

 

Once upon a time there was a proud merchant who claimed that his halberd was so powerful that it could pierce any shield, and that his shield was so strong that it could repel any halberd in the world. Then came along a wise man and queried: "What happens if your irresistible halberd strikes against your impenetrable shield?" The merchant considered this dilemma at great length. At last he exclaimed: "Golly! That must be a contradiction!" In this way, mujun came to mean contradiction for all ages to come.

 

万人がこの矛盾をしっかり認識しさえすれば,軍拡競争はすぐに止められると思うのだが・・・.

 

[1] 田岡俊次「北朝鮮・中国はどれだけ恐いか」,朝日新書,2007年,97ページ.

[2] 核弾頭の数で比較すると,アメリカの9,962に対して中国は200,北朝鮮はたかだか数個.

[3] http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/reldocs/mujun.html

(または maytime mujun 矛盾で検索)