「非暴力直接行動」とのであい

「市民の意見30の会・東京」ニュース56号(99年10月1日発行)に掲載

豊島耕一

 イギリスとデンマークの中高年の女性3人が去る6月8日午後7時,グラスゴーにほど近いゴイル湖(入り江)の原潜研究整備施設に侵入した.彼女らは水上に浮かぶ実験室にボートで乗り込み,コンピュータを海中に投げ込み,操作盤などを家庭用のハンマーで破壊するなど3時間余りにわたって活動した.この施設は,ミサイル原潜の隠密行動を可能にするために原潜の音響・磁気特性をテストし,改良するための研究開発の主力部分で,これなしには原潜は「まる見え」となり武器としての能力は低下する.したがって彼女らはこの行動を「非武器化(disarm)」と呼んでいる.

 これだけでは過激派による破壊活動と思われそうだが,決してそのような簡単なものではない.「トライデント・プラウシェア2000」(以下TP2000と略)というのが彼女らの属する運動の名前で,70年代のアメリカに起源を持つ「プラウシェア運動」という非暴力直接行動の流れを汲む.「プラウシェア」というのは農具の鋤のことで,イザヤ書の「剣を鋤に鋳直せ」という言葉にちなんでいる.昨年夏に開始されたこの運動は極めて総合的,系統的で,ハンドブック,ビデオなどの教材が完備しており,「講習」も行われている.しかし最も重要な特徴はその公開性であろう.今回のような「やむを得ない事前の秘密性」を除いて,すべての直接行動(座り込みや基地への侵入など)はその内容や日時が事前に公表される.メンバーの名簿も毎回公開され,イギリスのブレア首相にも届けられる.そして非暴力と安全の原則,つまり自分も誰も決して傷つけないことを行動の基本にしている.またTP2000は「直接行動」自体を目的としているわけではない.政府に交渉を求め,当局が責任ある態度を示さないために自ら行動を起こしたのだ.

 今回の場合も,「説明」のために彼女らは事件後直ちに警察に行き,そこで拘束されている.私はある偶然によってこのゴイル湖の3人の女性たちの支援活動を始めることになった(注).

 話は3年前に遡る.イギリスの4人の女性が,インドネシアに輸出される予定だった戦闘機をハンマーで壊してこれを阻止するという事件があった.これに対してリバプールの裁判所の陪審は「輸出先での虐殺防止のための正当な行為」として完全無罪の評決を下したのである.「輸出先での虐殺」とは東チモールでのインドネシア軍による住民虐殺のことだ.私はこの画期的な裁判に強く興味を引かれたが,同時にこれが本当かどうかを疑った.そこで関係者に電子メールで問い合わせ,TP2000の報道担当の人から,この事件の中心人物であるアンジー・ゼルターさん本人が事件について書いた「市民社会と地球人の責任−−武器貿易と東チモール」という長い文章を受けとった.

 その文書が大変魅力的だったため,私の知人が訳したものをいろんな人や出版社に送ったところ,岩波の「世界」から掲載の申し出があった.私が著者と「世界」との仲介のような事をやり,その原稿の手直しも終わってほっとしていた矢先,TP2000からのメールが入っていた.事件から3日後のことである.それには,アンジーさんを含む3人の女性が「偉大な非武器化を実施した」と書かれていたのである.こうして私はこの事件のネット上での「目撃者」になった.原稿をめぐっての彼女とのメールのやりとりの最中,本人は今回の行動の準備に忙しかったはずだ.メールの返事が遅いのにイライラしたことも確かにある.最後のメールには,「6月4日以後は多分刑務所にいるので,それ以後原稿の手直しはやりにくくなる」と書かれていたのだが,それが新しい行動の事だとは知る由もない.

 じっとしていられなくなった私は勝手に彼女らの「公報担当」になり,この事件のことを広く知ってもらうため,メールや手紙を著名人,マスコミ,知人など思いつく限りの人々に送った.それには3年前の無罪判決のことも付け加えて,決して彼女らを「過激派」と見ないでほしいと付け加えた.私の送ったメールがきっかけとなって共同通信が事件を報道し,それが28日の朝日の記事になった.その記事は,彼女らの行動に「犯行」という言葉を使ってはいるものの,核兵器は違法との主張を伝え,しかも3年前の戦闘機破壊での無罪評決にも触れていたので,私は大いに満足した.

 彼女らの属するTP2000の目的はイギリスの核兵器を平和的に廃絶することである.大量破壊兵器として当然違法であるとの確信,また「核兵器は一般的に国際法に違反する」とした1996年の国際司法裁判所の勧告的意見にも強く根拠付けられて,「世界市民が国際法の下に行う核廃絶行動」であると自らを位置づけている.しかも彼らは,「違法であると知っていて,かつ,それを何らかの方法で防止する機会があるものは誰であれ,犯罪が行われるのを防止する行動をとらなければ,国際法のもとでは潜在的犯罪となる」という東京裁判の文書によって自分たちを強く動機づけている.つまり自分たちが何もしないことが潜在的な犯罪であると思っているのだ.

 イギリスの核兵器は4隻のトライデント原子力潜水艦に搭載されているものが全てであり,これを廃棄すれば目的が達成される.それを市民の力で2000年までの「期限を切って」実現しようというものである.

 TP2000は自らの行動形態を「非暴力直接行動」と呼んでいる.これについて「ハンドブック」は次のように説明する.すなわち,不正な現実を擁護するような,またはそれ自身不正であるような法律に挑戦する(つまり破る)ことは,それがもしオープンでしかも責任ある方法であれば,民主的プロセスの大事な要素であり得るし,また,普通の市民が社会的変化を引き起こす正当な方法でもある,と.また,これは従来の運動形態に取って代わるものではなく,それを補うものだとも言う.

 3年前の事件についての前に述べたアンジー・ゼルターの文章「市民社会と地球人の責任」の最後の方に自身の法廷での最終弁論が書かれているが,これは今日の社会であらゆる所に見られる問題点を鋭く突いているように思われる.

 「私たちの行動の物理的及び精神的な影響や私たちの決定の人間的な効果から遠くなればなるほど,道徳的責任が感じられなくなる,ということに注意する必要がある.事柄の鎖がより長くより複雑になればなるほど,それだけ道徳的責任は,赦され衰えさせられる.だから,体制は人間性に反する恐ろしい犯罪について有罪かもしれないが,個々には誰もその結果に責任を負うべきだと感じない,という場合こそが肝心なのだ.インドネシア政府はその責任を否定し,ブリティッシュ航空宇宙も,イギリス政府もそれぞれ自らの責任を否定した.従って,私たちが責任を取らなければならなかった.」

 軍事問題に限らず,今日では多くの人に影響するような現象のほとんどが組織による行為なので,一人ひとりはそれについての責任をほとんど感じることがないという状況がある.どのような分野であれこの矛盾にどう立ち向かうかが問われているのだ.

 彼女らの勇気ある行動が私たちに示すものは,何かを「護る」ために最も重要なのはそれを侵すものを「攻撃する」という積極的な姿勢だ.今より悪くならないため,という印象を与えるスローガンや行動形態では人々に希望を与えることはできない.(佐賀大学理工学部教授,toyo@cc.saga-u.ac.jp)

(注)「ゴイル湖の平和運動家を支援する会」のホームページ 
http://www003.upp.so-net.ne.jp/maytime/goilsupt.html