世界のNGO(非政府組織)と全国の市民団体,長崎市民・県民が連帯して,核兵器廃絶のための国際集会が2000年11月17日〜20日、長崎で開催されました。その中のたくさんの分科会の一つ「NGOの役割」の内容を,このセッションのコーディネーターでパネラーもつとめられたピースデポ事務局長の川崎哲さんのメモで紹介します.
「核兵器廃絶 - 地球市民集会ナガサキ」については次のページをご覧下さい.
http://www.jca.apc.org/2000campaign/Nagasaki.htm#top
川崎哲(ピースデポ事務局長)
目次
ビジョン、持続性、組織 ジャネット・ブルームフィールド
世界法廷運動から中堅国家構想へ ケイト・デュース
NGOと外交官の相互理解 バーノン・ニコルス
日本のプルトニウム政策こそNGOの緊急課題 大庭里美
市民の観点からの調査・研究 川崎哲
創意あふれるわくわくするような運動を
発言者は、ジャネット・ブルームフィールド、ケイト・デュース(国際平和ビューロー副会長、ニュージーランド)、バーノン・ニコルス(NGO軍縮委員会会長、米国)、大庭里美(プルトニウム・アクション・ヒロシマ代表、日本)、川崎哲の5名でした。
以下、各発言者の発言要旨を紹介します。(紙幅の関係上、抜粋・要約です。見出しと文責は川崎にあります。)
(発言の冒頭に、英国の核兵器基地が市民の力によって開放地にいたるまでの「グリーナム・コモン」運動の過程を写した短いビデオ「そしてフェンスが崩れ落ちた」が上映されました。アトミック・ミラーによって制作されたこのビデオは、学校、大学、若者グループそしてテレビ用として、公式には2001年に公表される予定のものでした。そういうわけで、本集会が世界初の公開となったものです。)
グリーナム・コモン運動から学ぶべきことがらとして三つのことがあります。ビジョン、持続性、組織、の三つです。
ビジョンについて。グリーナム・コモン運動は、英国の巡航ミサイル反対という個別課題から始まって、土地を人々に開放するという幅広いビジョンに発展したことが重要でした。軍事化反対運動、環境運動、女性運動、精神性、民主化の促進などが、その中に含まれたのです。核兵器禁止条約の早期締結を求めている世界的NGOネットワーク「アボリション2000」は、その設立声明と補足の「モオレア宣言」によって、非常に幅広いビジョンを提示しています。いわゆる「現実主義者」の運動が、核兵器廃絶を求めながらも、運動の目標を、法律や政策の非常に細かな点にどんどん狭めていく傾向には、常に警戒しなければなりません。
持続性について。2001年の夏で、グリーナム・コモン運動が社会的運動としての引き金を引いた平和行進から実に20年が経ちます。「私たちは悪夢によってここまでやってきた。そして、私たちはすてきな夢があったからここに残ってきた」とグリーナムの女性たちは言いました。アボリション2000は1995年に出発して、2000年までの核兵器禁止条約締結という目標を達成できませんでした。ではここであきらめるべきなのか。いや、私はそうは思いません。変化が起きるには時間がかかるのです。目標を引き出すための長い旅路に身支度をしておかなければいけません。
組織について。グリーナム・コモン運動は、特定のリーダーを持たない「自らを組織する」運動でした。「専門的」ではないけれども、英国から発してヨーロッパ全体を力づけるような影響力を持っていました。CND(英国核軍縮運動)やEND(欧州核軍縮運動)のような、より組織化された団体も独自の影響力を持っていました。マスコミは、運動とは反対側にありました。運動は、人と人との直接のコミュニケーションを通じて、また、日本や太平洋で核兵器の被害にあった人たちが語ることに接することを通じて、発展しました。これらはすべてインターネットの時代より前のことです。今や、私たちは友人たちと交信するよりすぐれた通信手段を持っています。
(ケイト・デュースさんは、多くの写真をオーバー・ヘッド・プロジェクターを使って解説しました。)
8年間の「世界法廷運動」では、700を超えるNGOと数多くの政府の支持を得ることができました。世界法廷運動は、「国際平和ビューロー(IPB)」、「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」、「国際反核法律家協会(IALANA)」が主催しました。1996年、世界法廷(国際司法裁判所=ICJ)は、核兵器の使用または威嚇は一般的に違法であるとの歴史的な勧告的意見を出しました。
この活動の中で、NGOは国連においてはもちろん、各国の政治家やその助言者たちを訪問することが重要だということを学びました。すべての政党の政治家たちに、よく調査され、かつ短くまとまった資料によって最新情報を提供し、国会質問の草案を作ったり、手紙や誓願の形でこの問題に世論の支持があるということを示したりすることが重要です。同時に、定期的に政策決定者たちと顔を合わせた会合をもって、彼らの行動を支えたり、抵抗する他の国に反論することを支援したり、この問題について同じ志をもつ議員たちが、政党の枠を越えてともに働くことができるネットワークを形成したりすることを助けることもまた重要です。
世界法廷運動においては、400万の市民の宣言署名が世界から集められ、議員たちへ、また総会会期中に国連へ提出され、最終的には口頭審問および評決へ提出されました。このようなNGOのプレゼンスは、裁判官たちに、世界が監視していることを分からせ、マスコミの関心を引いたのです。
世界法廷の勧告的意見はその後、幅広くNGOや各国政府によって核軍縮のために活用されるわけですが、中でも米国の同盟国が活用した点が重要です。1999年10月には、スコットランドの裁判所で、英国のトライデント潜水艦基地に破損を加えた3人の女性平和活動家に対して、世界法廷の勧告的意見が基になって、無罪評決が出ています。
ニュージーランド政府は、世論のプレッシャーを受けて、この勧告的意見を支持する国連決議に対して、西側ブロックの反対を押し切って、賛成票を投じるようになりました。そして、1998年に誕生した「新アジェンダ連合(NAC)」に合流したのです。
同じとき、世界法廷運動の主催3団体を含む8つの国際NGOが共同して、NGO「中堅国家構想」(MPI)を立ち上げました。
MPIの活動の一つは、ロビー活動に活用できる書籍「核兵器廃絶への新しい道――中堅国家構想」(原題:Fast Track to Zero Nuclear Weapons)を出版したことです。これは、英語版が原本で、日本語、ドイツ語、フィンランド語に翻訳されました(日本語版はピースデポ企画、高文研刊。注文先はピースデポ=Tel:045-563-5101)。この本は、世界的議員組織である「地球的行動のための議員連盟」(PGA)の1,300名のメンバーたちに送られ、「核軍縮議員ネットワーク」(PNND)を立ち上げることを助けました。
MPIは、代表団を新アジェンダ諸国のいくつかの国々、およびNATOの鍵を握る国々として、カナダ、ドイツ、ノルウェー、イタリア、オランダ、ギリシャ、ベルギー、そしてオーストラリアと日本に送りました(ここで、MPI代表団と、日本の民主党の鳩山党首と社民党の土井党首との会見の写真が映されました)。
MPIのロバート・グリーン企画委員長が執筆した「検証『核抑止論』――現代の『裸の王様』」(原題:The Naked Nuclear Emperor: Debunking Nuclear Deterrence。企画、発行元、注文先は先と同じ)は、本日日本語版が出たのですが、今週東京で主要な政策決定者とマスコミ関係者に配布されます。
MPIのこれらの書籍には、国連の軍縮担当事務次長やニュージーランドの首相から前書きが寄せられるなど、非常に高官レベルでの支援が得られています。このことが、他の国の首脳たちに影響力を与えることにつながっています。
MPIは、各国の外交官や政治家が、公に核廃絶を訴えることを鼓舞しています。例えば、2000年4月、核不拡散条約(NPT)再検討会議のときに国連本部前の広場でアボリション2000が開催した集会で、ニュージーランドのロブソン軍縮相が発言しています(写真を映す)。
MPIはまた、国連において、各国の外交官とNGO活動者の核軍縮前進のための協議を促進してきました。また、新アジェンダ諸国の外交官や、国連軍縮局のメンバーと、主要な国際NGO活動者が一堂に会して、長期方針を話し合うための会合を、MPIは主催しました。
このような、市民社会と政府代表者たちとの新しいパートナーシップは、核兵器廃絶への道を加速させる新たな動きを作りつつあります。各国政府にとってしばしば激しすぎると見られる市民サイドの主張は、NGOの協力によって、政府の政策や国連のシステムに合うように組み直されるのです。その良い例が、モデル核兵器禁止条約です。NGOが起草し、コスタリカ政府が1997年に国連に提出し、国連の公式文書として回覧されました。これに対する政府の反応なども含めて、核兵器禁止条約を考える冊子「安全保障と生存」(原題:Security and Survival。日本語版はない。英語版の注文は上記ピースデポまで)がまとめられました。このような、市民専門家による、慎重で非対立的な作業が、核兵器廃絶ということを不可能なものから実際のものに変えるのです。
NGOは、自ら選挙で選んだ代表者たちがどのような政策を採用するかについて、確かめる権利も責任も持っているのです。ですから、NGOは、政治家や政党と、政策立案を共に行わなければなりません。ニュージーランドでは、連立与党が今やアボリション2000、MPI、そして核兵器禁止条約の交渉を支持しているのです。ここにおいて、私たちは政治家と共に政策を立案していると言えます。
こうした過程の中で勇気づけられるのは、「核不拡散と核軍縮に関する東京フォーラム報告書(1999年7月)や、最近の国連での日本政府の核軍縮決議提案における、市民の関与です。日本の反核運動の長い歴史は、私たちが政府に影響力を与えるだけの力を持っていることを示しています。この力を共同の努力で持続させましょう。
個別のNGOがすべてを行うということは不可能ですし、その必要もありません。私たちのそれぞれが、自分たちの分野で一番効果的と思われる特別な仕事をして、その分野での経験を他のすべてのNGOと交換させ、協力すればよいのです。私自身の分野は、とりわけ国連における国際活動です。国連に拠点を置いて活動している軍縮NGOが、仕事を行っていく上で合意していることがらをリストアップします。
1. 私たちの目標をはっきりと示す。
2. その目標を、慎重な調査で支える。
3. 最近の進展について常に機敏でいる。
4. 世界中のNGOからアイディアを求める。
5. 成功に望みをかける。
6. ターゲットを慎重に選ぶ。
7. 実施のための具体的プランを作り出す。
8. 共に作業する共同体を作り出す。
9. 政府と協力的に仕事をする。
10. ロビー活動に必要な資料を提供する。
11. NGOの参加を不可欠なものとする。
2000年秋の第55国連総会第一委員会(軍縮、安全保障)は、同年5月のNPT再検討会議が全会一致の最終文書を採択できたことを受けて、調和的なムードで進みました。
政府代表とNGOの関係というのは非常に複雑なもので、しばしば、その立場は正反対です。私たちNGOが各国政府代表に認知されてきたのはここ最近のことです。いまだに多くの政府がNGOを誤解しています。その理由の一部は私たちNGOの振る舞い方にあることもあります。多くの政府はNGOをコントロールしたがります。自分たちの都合のいいときだけNGOを利用しようとし、それ以外のときはNGOを無視するという政府もあります。よりよい相互理解が、外交官とNGOとの間で改善されるべきです。「相互」という点に留意してください。それぞれの側に、もっと知らなければいけないことがあるのです。
私は国連を拠点にしていますが、このことは、皆さんがそれぞれの国内で政府関係者との関係を築き上げるときにも当てはまることだと思います。私たちは、外交官が、私たちと同様に、個人的には自分の子どもや孫たちのために平和を望んでいるということを分かった上で、活動する必要があります。そうすれば、その平和を達成し維持することに貢献する核兵器廃絶をどのように達成できるか、彼らと話し合うことができます。このことは容易ではなく、外交官の立場は、まちがった方向を向いていて、危険であることがしばしばあります。しかし、私たちは、紛争解決のときに用いる方法を活用して、実践する必要があります。つまり、相手を攻撃することを止め、よく聞き、信頼を築き、共に仕事をしようということです。
さらに、私たちは実践的である必要があります。すなわち、時間や資源は限られているわけですから、外交官の中でも誰と協力関係を築くことが一番効果的なのかを考えて、選んで接することが必要です。外交官が、法的枠組みの中で仕事をしている、ゆえにできることは限られているということをよく理解して、彼らにできることの知恵を授けましょう。
私たちに必要なのは、「動く協力関係(パートナーシップ)」であって、「友好関係(フレンドシップ)」ができるとしても、それはいわばケーキの上の飾りなのです。
今日まさに、世界は大量のプルトニウム民事利用を開始しようとしています。そして、日本は400トンのプルトニウムを分離しようと計画しており、この先頭に立っています。もしこれが実現すれば、核不拡散にとって非常に深刻な影響を与えるでしょう。
私たちの行っている反核運動は、人権や環境保護の活動と深くかかわっています。核兵器は究極の悪ですが、核エネルギー(原発)は、決して「平和的」ではあり得ず、それと表裏一体をなすものです。
日本政府は、現在、原子力利用長期計画を策定しています。それは、
● 六ヶ所村再処理工場の完成
● 高速増殖炉もんじゅの早期再開
● 使用済み核燃料の全量再処理(それによって、400トンのプルトニウムが分離されることになる)
といった内容です。もしこれが実行に移されれば、大量のプルトニウム民事利用が、世界に広がる可能性があります。専門家は、「技術的には、六ヶ所村再処理工場は、ほんの2週間以内に軍事施設に転換することができる」と語っています。
新アジェンダ連合は、核分裂物質の生産禁止(フィスバン)条約を早急に締結する必要性を強調しています。フィスバン条約の必要性に合意する人たちの中には、軍事用核分裂物質の生産のみを禁止し、民事利用については認めてもよいとする人たちがいます。しかし、プルトニウムはプルトニウム以外のなにものでもありません。民事用と軍事用プルトニウムに区別がないのは、あきらかです。たとえ「民事利用」の名によってであっても、大量のプルトニウムを蓄積することは、地域の安全を脅かし、非常に危険なものとなるでしょう。
1991年から私たちが行ってきた反プルトニウム国際キャンペーンの例を紹介したいと思います。日本の市民の認識は、1992年から93年にかけてフランスのラアーグから日本の東海村に1.4トンのプルトニウム海上輸送が行われたとき、目覚ましく高まりました。この時期、全国各地に反核市民グループのネットワークができました。プルトニウム・アクション・ヒロシマは1991年12月に結成されました。私たちは、はがきキャンペーン、講演会、政策転換を求める署名活動、デモなどの活動で、日本の危険で野心的な核計画を暴露しました。また、カンパを集めて新聞に意見広告もしました。市民たちは、輸送ルートの国に何百枚ものはがきを出し、約30カ国が、抗議や懸念を表明しました。輸送を止めることはできませんでしたが、そのキャンペーンは注目すべきものでした。なぜなら、それによって日本の矛盾、すなわち、日本は「最初で唯一の被爆国」とくり返しながら、きわめて危険なプルトニウム計画を追求しているという矛盾を明らかにしたからです。
1995年には高速増殖炉もんじゅでナトリウム火災、1997年には東海村再処理工場で爆発事故、そして1999年9月には東海村JCO臨界事故が起こり、二人の労働者が亡くなりました。にもかかわらず、新たな惨事が起こるまで、政府が方向を変えようとする兆しは見られません。
NGOによって達成された別の注目すべき業績として、MOX(ウランとプルトニウム混合酸化燃料)反対キャンペーンがあります。1999年、世界中の強い抗議の中を、ヨーロッパから日本に向けてMOX燃料が輸送されました。日本でMOX計画が実行に移されれば、大量のプルトニウムが日本の商業炉で使用されるということを意味します。
関西の市民グループは、関西電力高浜原発で使用されることになっていたプルトニウム・ペレットのデータを入手し、分析しました。データに疑惑があることがわかり、この怪しい燃料の装荷を中止するよう、彼らは訴訟を起こしたのです。ペレットを製造した会社BNFLは、データねつ造を認め、1999年12月16日、関西電力はその燃料を高浜原発に装荷しないということを発表しました。
この、市民の努力による輝かしい勝利は、国際間の協力とマスコミへの働きかけを通して、達成されたことでもありました。その後、ドイツでも、スイスでも、BNFLのスキャンダルが次々と明るみに出てきました。
核拡散の脅威を防ぐのは、国際関係をもった日本のNGOの自立した創造的な活動にかかっています。核兵器のない世界は、この惑星に住むすべての人々の熱い願いです。しかし、日本で原子力利用長期計画が通過し、見逃されるなら、汚染は急激に悪化し、大惨事の危険性は急速に高まり、そして核拡散への準備は全面的に整って、新たな核の悪夢への道が開かれることになるでしょう。私は、核問題にかかわっている日本のNGOに対し、日本政府が今の原子力政策を放棄するよう、圧力をかける緊急運動に立ち上がるように、強く求めます。会議場に座っていては、核拡散は止められないのです。
ピースデポは、「市民の手による平和のためのシンクタンク」をめざしています。「シンクタンク」というと、ふつうは、政府や企業の関係の調査・研究機関をイメージします。しかしピースデポの場合は、「市民の手による」というところがポイントになります。それは、運営資金が市民からの会費や寄付によってまかなわれているということでもありますが、より大事なことは、「市民の観点で」平和問題にアプローチするという姿勢です。政府が政策立案のためにする研究、企業が商業目的に利用するために行う研究、さらには学者が学術目的で行う研究と、ピースデポのような平和NGOが行う研究とは、よって立つ観点と姿勢が根本的に違っているのです。
ピースデポでは、『核兵器・核実験モニター』という情報誌と、『核軍縮と非核自治体』という年鑑データ・ブックを発行し、例えば、国連総会で、核軍縮に関してどのような決議案がどのように審議・採択されたかについて詳細に報告しています。
中でも重要なのは、新アジェンダ諸国提案の決議と、日本提案の決議です。両方の決議は、委員会で核保有国の一部を含む圧倒的多数の賛成で採択されています。日本の外務省は、「我々は新アジェンダ諸国よりも力強い核軍縮提案を通した」と胸を張っています。確かに、決議の文面だけ見ると、類似する点が多いばかりでなく、日本決議の方が勝る点もいくつかあります。しかし、それでは本当に日本が核軍縮に熱心なのかというとそうは言えません。
それは、日本が実際には、米国の核兵器に頼って国の安全を守るという、いわゆる「核の傘」政策をまったく変えようとしていないことを知っているからです。また、過去6年にわたって日本が、国連総会の場で、米国をはじめとする核兵器国に非常に気兼ねした慎重な決議しか提出してこなかったし、新アジェンダ諸国の決議にも同調しない姿勢を昨年までとっていたことを知っているからです。さらには、2000年NPT再検討会議でも、日本は交渉の蚊帳の外に置かれていたということを知っているからでもあります。
NGOの調査・研究というのは、このように、たとえば日本の核軍縮政策が国際的に見てどういう位置にあるのかということを客観的にあぶり出す活動でもあると言えます。そこで大事なのは、最初に触れましたように、外交ゲームを眺めたり評論したりするというような姿勢ではなく、あくまでも「核兵器廃絶」という原点に立って、核兵器を「非正当化」するという立場で、現在進行中の外交の本質をとらえ、問題提起する、という姿勢です。そこには当然多くの条約の名前ですとか、専門的な用語も登場してきます。しかし、それら専門用語は、覚えることに意味があるのではなくて、市民としての原点を追求するときに必要に応じて利用するためにあるものなのです。
「核不拡散と核軍縮に関する東京フォーラム」が、その報告書で、「米ロ両国が、戦略核を各1,000発までに減らす」ことを提言しました。これについてある被爆者の方が言われていた言葉が耳に残っています。「本当にゼロにするという前提での1,000発なのか、そういう前提のない1,000発なのかで意味が全然違う」。
ですから、専門的なことを専門家に任せてばかりではいけないのです。ふつうの市民の感覚を持った人が専門家になること、あるいは、専門家と市民が常に相互交流を図っていること、専門家がときどき机を離れて核実験に抗議するデモに参加すること、そしてそれらが常に国際的な相互交流の中で行われることが求められているのです。
5人の発言のあと、会場から非常に活発な発言が出されました。中でも、「平和と自由のための国際女性連盟」のフェリシティ・ヒルさんは、「NGOの活動は、まわりの人たちが一緒にやりたくなるような気を起こすような、魅力的でわくわくするようなものでなくてはいけない。そのことを一番の念頭に置いて、活動を進めるべきだ」との趣旨を発言しました。その他、活発な発言すべてを紹介できないのが残念です。
この分科会で私たちが学んだことは、次の3つに集約されると思います。
(1) 私たちのメッセージを、創意工夫あふれるコミュニケーション方法によって、多くの仲間の市民たちが運動に参加してくれるような形をとることの重要性。
(2) 私たちに近い考え方を持っている政策決定者やオピニオン・リーダーたちとの連携関係を築き上げることの重要性。
(3) 私たちの運動が持続することの重要性――ネバー・ギブ・アップ!
この分科会で、ものごとは変えることができる、そして、私たち皆が変化を作り出す大きな力を、その力を使おうと選びさえすれば、持つことができる、という力強いメッセージがこの分科会から発せられたのです。
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