from "Speed the Plough", No.9, Nov. 2000
スピード・ザ・プラウ 宸X(2000年11月)より


8月のファスレーンとクールポート (3頁)

8月1日に読み上げられた,平和行進の声明

「われら平和行進隊、ここにあり! 私たちはイングランド、スコットランド、日本、オランダ、スカンディナヴィアからやってきました。

ここには仏教徒、アナキスト、キリスト教徒、共産主義者、無宗教者、そして全く無党派の人々がいます。

私たちは修道士、プラウシェア活動家、学生、退役軍人、反核運動家、宗教者です。

みんな、オルダーマストンからファスレーンに向けて一緒に歩くために、5週間前に家を出ました。私たちは同じ陽に曝され,同じ雨に打たれ、同じ排気ガスを吸い,同じ丘の眺めを楽しんで歩いてきました。

私たちはイングランドとスコットランドで多くの地域の人々の援助によって歩き続けてきましたが、ここに来るまでに、これらの人々は私たちに食物を振舞い、私たちを支持し、援助し、励ましてくれました。

私たちは改革を求めて歩きました。そう、私たち自身と私たちが生きてきた共同体における、また社会における改革です。

私たちは核兵器の犠牲を思い起こしつつ歩き、サダコの心とともに歩きました。イングランドとスコットランドのいたるところに千羽鶴を残してきました。サダコの物語とともに−それは広がってゆくでしょう。

私たちが歩いたのは、生命が気がかりだからです。私たちはこの世界を大切に思うし、それが壊されるのを見たくありません。

私たちは、核兵器を悪、不道徳、不法、不要、そして罪深い浪費であると考えています。より良い平和な世界を創るためには、もはや私たちの指導者や専門家、権威者たちに任せておれないと認識しています。私たちの一人一人がみな、責任を取らなければならず、それぞれ自分のやり方で改革に踏み出すことは、私たち全員の務めです。私たちは非武装に向けて歩み続け、一緒にやりましょうと呼びかけるものです。」


ニュースと報告 (6頁)

公判の後で−TPのスタイル

10月4日は、24のTP事件が論じられて6つの公判が開かれるはずのヘレンズバラ地方裁判所における永い日々のうちで特別の日であった。結局、これら公判のどれも結論が出ず、我々はおきまりの延期の合唱に従わされ、次の年にずれ込むこととなった。

午後遅くに法廷は閉まったが、我々はそれで終わったというわけでは到底なかった。そんなことでは、我々の旅はすべて無駄骨になってしまわないか? 我々のうちの12,3人は西のかたクールポートに向かった。もっとも大きなグループは松林を抜け、ボルト・カッターを用意して、基地東側の石畳の左に向かい、他のグループは正門に下りた。大グループは周りのフェンスに着き、カッター役を展開して金網を切り始めた。ほぼ5分間ほどの作業で小さな門が開きかけると、国防警察が飛び出してきた。最初、カッター役が引っ張られ、襟首を掴まれたときはちょっとした緊張が走った。しかし、顔なじみと分かり、ジョークが交わされるようになって、事態はしだいに穏やかで和やかになっていった。切り手たちは中に連れてゆかれ、他は犬を連れた者によって丘の外れまで護送された。この警官は自分の立場を「ならず者国家」論で弁解したので、我々は再度おなじみの状況に居た。正門に戻ったところでモラーグがフェンスを破ったために取り押さえられ、カートで中に連れて行かれた。

数時間のうちにみんな釈放されて、この話は、翌日のスコットランドのTVの朝のニュースで、ゲア湖のトライデント潜水艦の図とともに流された。

10人のうち6,7人ぐらいが行動した。我々にはもっとフェンスを切る練習と良い作戦が必要である。この日は格好の訓練と実験台であったし、公判熱に対するすぐれた解毒剤であった。ここに、何とかして相当数の者が旅しなければならない場合の、公判の日々に備える先例があるのでは? 私はそう思う。

デヴィッド・マッケンジー
(真鍋訳)


記事見出し(太字が翻訳)

トラッシュ・トライデント裁判,3回目へ

大封鎖 2001年2月12日午前7時

Concourse or Concord?

ハリー・ポッターと仲間たちが核廃絶運動に加わる

平和行進の声明

UNCLE核検分チーム

Power in Diversity

法務総裁の事件付託 トライデントが裁判に

公判の後で−TPのスタイル

聖なる年のプラウシェアズ2000

Woodwoses in action at Aldermaston