グリーノック裁判所におけるアンジー・ゼルターの弁論

訳 真鍋毅(佐賀大学名誉教授)
(改訂00.4.17)

1999年9月27日開廷

即時印刷可能なpdf形式はここです


目次

【起訴事実(訴因)】

【はじめに】

【アンジー・ゼルターの証人席からの証言】

1.個人の経歴
2.反核のための活動
3.反トライデントの法的問題
4.トライデント・プラウシェア2000
5.メイタイムの非武器化

【法的抗弁】

1.強制或いは必要性の普通法上の抗弁
2.制定法上の抗弁
3.国際法上の抗弁
4.道徳上の抗弁

【註】

【いくつかの、国際司法裁判所判事からの有用な引用】

【まとめ】


【起訴事実(訴因)】

被告人アンジェラ・クリスティーヌ・ゼルター(1951.6.5生)、ボディル・ウラ・ローダー(1954.8.24生)及びエレン・モクスレー(1935.3.12生)は全員スターリング・コーントンヴェイル刑務所に収監中。

これらの者は法務長官ハーディ卿の要請により起訴されたが、その容疑事実は次の通り。

(1) 1999年6月8日、アルギル・ロッホゴイルヘッド近くのゴイル湖上に係留された「メイタイム」船上において、3人は有意的に、かつ悪意で同船に損傷を加えた、即ち同船の二つの窓にガラスカッター乃至類似の物で傷をつけ、一つの窓に穴を開けようとし、

(2) 同日、3人は同船から二艘のゴムボートを盗もうとした、即ちこの救命筏を同船の台から外して前述ゴイル湖上に離し、

(3) 同日、3人は悪意かつ有意的に「メイタイム」船上の装備、付属物及び家具を損傷した、特に、同船実験室の金網フェンスに穴を穿ち、電気装備棚の内容物を砕いて同棚の電線を引きちぎり、同船巻揚機の主コントロールスイッチをもぎ取り、同船のコントロール室に入るために金鋸でドアの錠を壊した後同錠を使えなくするために接着剤乃至類似の物を付着させ、電線や同船上部デッキにあるクレーンのコントロール、同船巻揚機のコントロール及び同船ハッチを保つ栓に接着剤乃至類似の物を注ぎ、同船上部デッキのクレーンに鎖を巻きつけてクレーンを動かせないようにし、同船のコンピュータ・モニターを砕き、同船実験室の壁時計を壊し、棚を空にして破壊することによって隣接プラットフォームを動かす装置を壊し、

(4) 同日、3人は悪意かつ有意的に多数のコンピュータ設備、電気及び事務設備、音響設備及びアンプ、録音装置、ファクス機器、電話、道具、文書、記録、電気器具、書類ケース、ラジオ装置、測定器、書物やケース等の物品を壊し、これらの物品をゴイル湖中に投棄して水浸しにし、使用かつ操作不可能にしたものである。

 

そうでないとしても(択一的訴因)

同日、3人は上記多数のコンピュータ設備、電気及び事務設備、音響設備及びアンプ、録音装置、ファクス機器、電話、道具、文書、記録、電気器具、書類ケース、ラジオ装置、測定器、書物やケース等の物品を取り出し、同物品を同船から移してゴイル湖中に投棄し、こうしてこれらを盗取したものである。

検察官

【はじめに】

本法廷で私はいくつかの法的抗弁を提起するものであるが、そこにはいくらか重複する議論があるかもしれない。敢えてそうしようとするのは、本法廷が然るべき法的根拠に基づいて、私を釈放してあらゆる訴因につき無罪と認定するのをできる限り容易にするためである。個人的に言えば、むしろ私は、愛と平和を念じて黙ってここに立っているだけにして、ただ私の行動をして自ずから語らしめたい−何故なら、あるレヴェルからすれば、事柄のすべては極めて単純だからである。核兵器の使用によって数百万もの人々、おそらくは地球上の全生命を殺そうとすることは、悪である。陪審員諸氏は自分の決定を説明しないで済むから、それぞれの根拠だけで私たちを釈放することもできようが、裁判官は詳細な法的論拠を必要とするのである。

私が用いようとする抗弁は以下となろう。

強制或いは必要という普通法上の抗弁 これは基本的に、極めて大きな悪を防ぐための他のすべての手段を試みたからには、私に残された選択が、実際的で安全な軍縮にかかわる運動に加わり、メイタイムを非武器化してトライデント・システムの一部を非武器化するのを分担することしかない、ということである。

制定法上の抗弁 これは、私に「合理的な免責事由」があれば、行為する権限があるというもので、ここで私は、大量殺人を防ごうとすることはこのような免責事由にあたると論じるであろう。

国際法上の抗弁 これは、私には国際法上犯罪とされることの実行を防ぐために行為する権限があると認めるものである。

そして最後に、

道徳上の抗弁 これは私が人間として有する権利であるが、本質的に、法の状態がどうであれ無辜の人々の大量殺人を防ごうとするのは正当かつ相当であるとするものである。

私は、本件の明白な事実をいささかも争うものではないということを最初にはっきりさせておく必要がある。私はウラ及びエレンとともに、DERA(生命絶滅の追求)実験室を非武器化したことを認めよう。ここでの議論は、私たちが高価な研究設備をゴイル湖に投げ込んだか否かではなく、これらの物品が、連邦王国の法律にそのまま入る法たるジュネーヴ協定の法の重大な違反を幇助・教唆するという、並びに世界のすべての国々におけると同様にスコットランドでも適用される他の国際的人道法に違反するという、違法かつ非倫理的な目的のために用いられることになるのかどうか、従って、私たちの非武器化の行為は合法で正当化されるかどうかに関するものである。

本件における最終的な責任と権限を有する者として陪審員諸氏に向けられた争点は、私たちが正当かつ相当なことを為したのかどうかを決することである。想起して欲しいのは、過去において陪審員はみずから決定し、必要とあらば、みずから正当かつ相当と感じたのならば裁判官の説示に反対する権利を得てきたことである。従って本公判の最後に、あなた方は、私たちが地球市民として、他の人々と共同してトライデント核兵器システムを非武器化して働かないようにする点で正しかったかどうかを決めることになろう。あなた方が問われているのは、私たち普通の女性が、決して合法的に用いられ得ない大量破壊兵器を政府に配備させず使おうとさせないようにする点で正しかったかどうかを決めることである。数百万もの人間の大量殺人及び地球上のあらゆる生命を破壊する可能性を防ぐのが正しいかどうかである。この争点は実際に緊急の重要性を持つものであり、あなた方が私たちの証拠をすべて聞いた後で最終的に私たちを釈放すると決定すれば−それは司法のみならず行政に大きな衝撃となろうし、全地球上の核廃絶をもたらす要因の一つとなるであろう。

6月8日のメイタイムにおける私たちの行動の表面だけを見るのでなく、私たちが公平な聴聞を受け、あなた方が事件の全般に亙って聞きかつ判断するために、私はトライデントの不法性と犯罪性について証拠を提出するつもりである。トライデントが不法であることを証明する必要はないが、その合法性について合理的な疑いを確定すれば足りる。ここで私が強調しておかなければならないことは、あらゆる核兵器が常に不法であるかどうかの議論の如何にかかわらず、今日ただ今の当法廷での争点が、現在配備中のイギリスのトライデント・システムが不法であり犯罪的であるかどうか、従って私がその一部を非武器化する権利を有していたかどうかだということである。

そこで私は、あなたがたが、国際司法裁判所が言うように「この問題が、事柄の性質上、国際社会に生じる極めて多くの問題を伴う事例の例に洩れず、政治的側面を有するものでもあるという事実は、その『法的問題』としての性格を奪うものではない」ということを理解されるようお願いする〔参照 核兵器の威嚇或いは使用の合法性に関する勧告的意見、国際司法裁判所〕。

さて、証人席に立って証言しよう。

【アンジー・ゼルターの証人席からの証言】

1.個人の経歴

48歳。未亡人、成人した子が二人。陶工かつ庭師。イングランド、イースト・アングリアの郊外ノーフォークに25年在住。

リーディング大学で学位取得後、に21歳のときに結婚し、アフリカに行った。夫とともに西アフリカのカメルーンで英国政府のために3年間働き、第三世界の貧困が世界の強国の財政制度及び軍事力に支えられた多国籍企業によってもたらされており、これら企業は連邦王国及び西欧世界に帰着する利益を供給すべく動いているということを身をもって学んだ。あなたが本当にカメルーンの人々や森を助けたいと思うのなら、帰国してあなた自身の国をちゃんとすべきだと親切に告げられた。イングランドに戻って、私の国がしていることにつきみずから責任を取り、地球の他の場所の生活や環境を破壊している政策と行動の支持を止める、と決めた。

以来、自発的に、平和と環境の運動の中で主として核廃絶のために、さらには原生林の保護及び先住民の権利のために働いてきた。数年に亙ってさまざまな運動に加わり、地球の友、グリーンピース、軍事貿易反対運動、反核運動(CND)のような組織に関わった。おおむねイングランドで活動していたが、マレーシア、カナダ、ポーランド、フィンランドのような他の国、並びにここスコットランドで生じる犯罪を防ごうとする運動も支持して来たし、これらの国々のいくつかでは投獄されもした。私の経験では、強い、目的のはっきりした国際的な公然の非暴力的直接行動の運動は、変化が起こりうる前にしばしば必要とされる。これは重要な点である、というのは、多くの人たちから、私たちがやったたかだか一つのトライデント・システム関連実験施設の非武器化が、どうして現実に核犯罪を防ぎ得るのかと問われるであろうからである。答は、それが持続的で一般に支持される非暴力的で責任ある運動の一環であれば、まさにそう為し得るのだということである。私たちの行動はそのような持続的で一般に支持される運動の一環であり−トライデント・プラウシェア2000(以下TP2000)と呼ばれる。

2.反核のための活動

ところで私の平和運動における活動の略歴を話したいと思ったのは、私がメイタイムを非武器化する前に、過去25年に亙り核の破局を防ぐために他のあらゆる合理的手段を試みたことを示す証拠を提出する必要があるからである。私が核の実験施設を非武器化したのは思いつきや腹立ちまぎれからではない。それは破壊主義者やテロリストの行為ではなかった。私は別のあらゆることを試みたのであり、その状況の下では他に合理的な法的選択肢はなかったのである。

核兵器の危険性は永年に亙って知られていたのに、合衆国によるヒロシマ・ナガサキの恐ろしい核攻撃の後1945年に始まった世界規模の反核運動があることを私が知ったのは、やっと80年代の初めであった。実際、新しく作られた国連のまさに最初の決議は、満場一致で「核兵器と他のすべての大量破壊兵器の廃止」を要求した。1978年、冷戦のピークのころ、国連核武装反対特別会議に提出するために数百万の署名が集められていた。私は背景説明の文書を丹念に読み、請願に署名し、署名をもっと集めるための地域グループに参加し、こうして私の平和運動への積極的参加が始まったのである。

私は地域のCNDグループを創るのを手伝い、合衆国の核空軍基地に囲まれていた私自身の地域で数多くの討論、ディベート、集会を組織した。その過程で、私は核兵器サイクルの直接の犠牲者の何人かに会うことができた−この人たちはウラニウムの発掘、核兵器の生産・テスト・配置の影響を受け、受け続けているのである。

私は何人かのヒロシマ・ナガサキ原爆投下で生き残った人たちから直接に聞き、荒廃の記録と写真を見、彼らの被害を直接に聞いた。

陪審員諸氏に、原爆投下についてのこの短い絵入りの説明を示したいが、それは、私が生き残りの人たちと最初に会って以来、ずっと自分の心を占めてきたイメージを含んでいるからである。また、私たちがDERAを非武器化した後にそこに残してきた写真も思い出してもらいたい。

〔提出 「記憶すべき日々−ヒロシマ・ナガサキ原爆投下の話」、DERA実験室に残したブックレット「ヒバクシャ」からのヒロシマの写真〕

写真を実験室に残した理由は、私たちがまかり間違っても再び起こらないようにしていたことを、技術者たちに見せることであった。私たちはみんな日々の生活の中で極めて容易に、自分自身の生活や仕事のことを考えるだけでもっと大きな状況を忘れ、もっと広い世界についての意味や結果を忘れ、自分が今していることが道徳的で正当かつ相当な仕事であるのか、自分はそれを為すべきなのか?と自問することを忘れがちである。私たちは、トライデントを隠蔽する仕事の最終的な結果をあからさまにしたかったのである。さらに私は、ある大衆的ディベートの際に、マーシャル諸島から来たダーリーン・ケユ−ジョンソンとロンゲラプから来たリヨン・エクニラングをノーウィッチの市長に紹介する悲しい栄を得た。悲しいと言ったのは、不幸にもダーリーンは今、彼女が核兵器実験の結果として受けた多発性癌によって死んでいるからである。彼らの物語は悲痛であり、私は決して忘れることができないでいる。

リヨンが話したこと:

「1954年ビキニでブラヴォー実験が行われた時、私は8歳だった……朝早く、目の前に閃光が走って目が覚めた……すぐ後、まるで大きな雷のような轟音が聞こえ、地面が揺れ始めた……少し経って……大きな雲が私たちの島に向かってくるのが見えた。雲は空を覆った。それからロンゲラプに雪が降り始めた……。何時間もの間、爆弾からの毒が私たちの島に降り続いた。午後遅くになって、私はとても気分が悪くなった……。大きな火ぶくれが私たちの手足に広がり出し、非常に痛かった。多くの人々の毛が抜けた。私たちは、死の灰がやってきてからも二日半の間、ロンゲラプに止まっていた。それからアメリカ人が来て、クヮヤレイン環礁にあるアメリカの基地に人々を避難させた……。私たちは家財や家畜を持って行けなかった……。その後マユロに移り、そこに三年間留まった……。1957年6月に戻ったが、私たちの島は変わっていた。作物のいくらかは……全く見当たらず……いくらかは実を結ぶのを止めていた……。物を食べると唇や口中に水泡ができ、烈しい胃痛や吐気を覚えた……。60年代に入ると、私たちは今罹っている病気を全て味わうことになった。多くの人が甲状腺腫瘍、死産、眼病、肝臓癌及び胃癌、白血病に罹った……。マーシャル諸島のロンゲラプその他の環礁でもっとも普通に見られた出産異常は、「クラゲ」ベビーである。この赤ん坊たちは生まれつき身体に骨がなく、皮膚が透き通っていた。その脳や脈打つ心臓が見える。脚のないもの、腕のないもの、頭がないもの、全て備わっているものがいる。これらの赤ん坊のいくらかは、8、9ヶ月の間胎内にいる。1、2日生きた後、呼吸が止まるのが普通である。多くの女性が異常妊娠で死に、生き残った者は紫色の葡萄の房のように見えるものを生み、私たちはそれをすばやく隠して埋めるのである」。

1985年、ロンゲラプの人々はグリーンピースの援助を得て彼らの汚染された環礁から別の島々にみずから避難し、それ以降、故郷を奪われたままとなった。彼らはその島に加えられた損害を全く補償されず、生計と遺伝子にまで担わされた損害はいずれにせよ、きちんと補償されることはあり得なかった。

ダーリーンの説明によれば、マーシャル諸島の人々は次のように告げられた:

「我々はこの爆弾を人類の善のため、全ての戦争を終わらせるために実験しているのである」と。

海軍当局は、ビキニの人々が故郷を見ることは決してないであろうとは告げなかった。ビキニは3万年間、立ち入り禁止である。

私は、ネヴァダにある自分たちの土地をアメリカ合衆国と連邦王国の核実験のために奪われたショーション族のメンバーにも会った。包括的核実験禁止条約は、平和運動の活動の成果としてついに調印されたが、この運動には過去50年間に亙る非暴力的市民的交渉の数千回もの行動が含まれている。しかし、先住民の権利剥奪とその土地の汚染はそのままである。

核兵器保有国のウラニウムに対する貪欲、核廃棄物を埋める必要、兵器と情報基地の建設、さらに核兵器の常時配備、これらによって無辜の先住民に科された災害、追立て、剥奪及び汚染については、他にも多くの話があり、ここでそれらを語る余裕はない。代わりに、あなた方や私のような普通の人々が太平洋地域で受けた災害を概観した、この小さな本を証拠として提出しておきたい。私は6月8日にこの人たちのことを思いながら行動したのである。

〔提出 「太平洋の女性は告発する」〕

私がこれらの人々に会い、地域で公開ディベート乃至討論を組織した際、それまで如何に無知であったかを思い知らされ、そこでブラッドフォード大学の平和研究で臨時の修士号を取った。ここで勉強したおかげで、核兵器に関する多くの問題を洞察することができたが、その多くにここで立ち入ることはできない。私は核兵器製造サイクルの全体に関する諸問題に目を開かされ、後に「将来の危険:放射能を帯びた地球の予測」と題されたロザリー・バーテル博士の著書を読むこととなった。これを読んで、根本的に影響を受けた。この本からごく一部を引用して読んでみたい:

「病室の薄明かりの中で、7歳のジミーは、自分が白血病にかかっていると知らされた日のことを思い出していた。彼は母親の涙、父親の行き所のない怒りを思い出した。病院という環境にそぐわない感情。放射線治療と化学療法によって引起こされる吐気と下痢、自分の抜け落ちた髪、自分を見て笑う子供などが心に浮かんだ……ジミーは穏やかに、沢山の血を失って枯木のように死んだ。彼の組織は完全に破壊され、身体のあらゆる隙間から出血していた。彼のベッドはまるで戦場のように見えた。……ジミーの話は、核時代に関連する数百数千の同様の話の一つに過ぎない。核兵器製造サイクルの各段階から出される、それに加えて核兵器実験の際に出される放射能は、目に見えない形でひっそりとこの惑星中に拡散している。この放射能は先天性の欠陥、精神的遅滞、免疫性破壊、癌、死産その他の疾患を起こしている。人間の観点から見ると費用は天文学的である。ロザリー・バーテルの評価によれば「核兵器の製造、実験、使用及び廃棄に関連する放射能汚染の全世界の犠牲者は、控え目に見ても1300万人に及ぶ」。

ブラッドフォードにおいて私は、核抑止政策への依存と偶発的核戦争の可能性に結びつく大規模な危険にも目を開かされた。

私はこの情報を昨年更新したばかりであり、この核事故に関する論文を6月8日の非武器化行動における私の知識及び精神状態の証拠として提出したい。これは非常に短いけれども充分参考となり、私が行動のとき、そして今もなお持っている、私たちが常にこのような事故の危険に曝されているという現実の事実の情報に基づいた合理的信念を示すであろう。これは私が切迫した危険に置かれていたことを証明する上で必要である。これは法律問題というより事実の問題である。〔提出 「事故」〕

事態が悪化しているという事実は当り前の経験である。私たちは、核兵器が途方もなく強力で破壊的なこと、人間が不合理、不注意、時には狂気にさえなりがちであることを知っている。この二つの事実の結合は、核兵器が偶発的あるいは計算外の発射に対して間違いない安全策の下に置かれているというような、どんな主張にも充分に反論し得る。予測できない事態の進行によって不注意に戦争が起こる可能性は世界にとって致命的な脅威であり、核兵器の配備は全体として軽率である。

起こり得る事故が公になるのは、その約20%にすぎない、というのは軍隊はどこでもその事故を隠し通そうとするからである。1961年のラーケンヒースの衝突が知れ渡るまでには37年かかったし、フォークランド戦争で沈没した英国軍艦シェフィールドが核兵器を積んでいたことがわかるまでには14年を要した。

若干の例だけを示そう。

1968年5月、米国軍艦スコーピオンがナポリ港で艀と衝突し、5月27日に水没した。98人の乗組員が殺され、原子炉と核兵器が「失われ」、徐々に放射能を海洋に放出している。

1979年11月、4つの合衆国司令センターにある画面の全てが、多数のソ連ミサイルが全面攻撃してくるのを映し出した。攻撃機による緊急報復体制に入った。幸いにも、当日人工衛星のセンサーが働いていて、初期警告レーダーがミサイルを何ら伝えないことにより、誤報と判明した。明らかに、演習用テープが誤ってコンピュータ・システムに流れたのであった。その時司令センターにいた上院議員は極度のパニックに陥ったと伝えている。

1986年10月4日にソ連のヤンキー級潜水艦が火災を起こし、全乗組員及び核ミサイルとともに合衆国東部沿岸で沈没した。これは海で「失わ」れた5番目の潜水艦であった−合衆国が「失っ」たのが2隻、ソ連が3隻である。

他の多くの事故において放射性物質が失われている。1966年B52が墜落したスペインのパロマレスで、別のB52が墜落したグリーンランドのツーレで、通常爆発の結果、プルトニウムが広範に撒き散らされた。巨大な量の汚染された土と氷が掘り取られ移されなければならなかったが、遺物はまだ残っている。1986年に、ツーレで汚染された氷を洗うのに働いていた800人のデンマーク人のうち500人が病気になり、90人を超える者が癌になった。

1956年7月27日、私が住んでいるところのすぐ近く、東イングリアのラーケンヒースにある合衆国の基地で、B47爆撃機の燃料から火が出て、炎が核兵器庫を包んだ。4人の乗組員が殺され、関係者はこの成行につき「剥き出しになっていた爆弾の起爆装置がどうしてか作動しなかった」のは「奇跡」だったと記している。合衆国の監督庁は「ひょっとしたらイングランド東部は砂漠になっていたかもしれない」と言ったとされている。これが私の故郷である。

1958年に軍の核廃棄物が過熱して化学爆発を起こし、ソ連のウラル地方に数百マイルにわたって放射性塵を放出した。無数の人々が放射性の病気で死に、広範な地域から永続的に立ち退かされた。

1965年8月9日、タイタンUICBMがミサイル格納庫内で爆発し、53人が死んだ。

グリーンハム、ラーケンヒース、ウィタリングのような核基地に近い多くの町で癌腫瘍が発見され、様々な事故に関係すると考えられる。1978年に高レベルのコバルト60がホーリイ湖で発見された。1980年11月にはニムロッドが王国空軍のキンロッスで核爆雷を積んだまま墜落した。1985年6月20日にはポラリスの弾頭を積んだ2台のローリーがヘレンズバーグで衝突した。行動中の潜水艦から洩れる放射能は既に知られており(例えば1994年6月、パトロール中のポラリス潜水艦から)、潜水艦に燃料を提供する原子炉で起こる事故、放射性物質の漏洩、所定の放出が知られている。その例はチャペルクロスでのトリチウムの放出である。事故はいつでも起こっており、数百もの「失われた」核兵器及び沈没した潜水艦がその放射能をゆっくり海中に放出しているとき、生態系に及ぼされる影響は既に私たちの地球環境とあらゆる種類の生物の生育能力に害を及ぼしている。また忘れてはならないのは、古い核潜水艦やそれに関する放射性物質の安全かつ継続的な処理と結びついている諸問題が、未だ解決されていないことである−ロシートとデヴォンポートには、解体を待って置かれている古い連邦王国の核潜水艦が11隻あるが、その間も放射能洩れの問題を提起しているのである。

次いで、所定の位置に引き上げられているときに落ちた爆弾の事故が、いくつかではあるが存在する。一つだけ挙げると、1981年にホーリイ湖で10の弾頭を持つポセイドン・ミサイルがアメリカ海軍の潜水艦ホーランドに積載されていたとき、ウィンチが空廻りしてミサイルが17フィート落下し、アメリカ海軍のロス・アンジェルスの側面にぶつかった。この時には極めて幸運にも起こらなかった弾頭作動システムの爆発は、起こっていれば、プルトニウムの塵をグラスゴー中心部にまで撒き散らしていたはずである。

これらの事故は予測不可能であるがいつでも起こり得る。私たちはいつも危機に曝されている。1993年までにも、衝突、転覆、破壊といった核輸送中の事故は12件知られている。例えば199710月31日に王国空軍ウィテリング(私の故郷の近くの基地)でのハリアーの墜落は、常設の複合基地に停まっていたフル装備のトライデント輸送隊の僅か200ヤードのところで起こった。

つい去年の7月、96個の核弾頭と135名の乗組員を乗せた英国海軍トライデント艦ヴァンガードで動力事故が起こった。艦はコントロールできないまま潜行したが、大きな人と核の破局は瞬時に避けられた。

事故による核戦争のニアミスについて、最も新しい例の一つは、冷戦後、つまり多くの人が危機は過ぎたと考えたときに起こったのであるが、1995年1月25日のことである。ロシアの初期警告レーダーがスピッツベルゲン近くで予期しないミサイル発射を探知した−モスクヮから僅か5分のところである。初期警告、指揮・命令系統は戦闘態勢に切り替えられ、ロシア大統領は彼が出す核命令の鞄を手にしていた。ごく僅かな時間で、ミサイルの攻撃地点はロシア国境の外であると決められた。実際は、ミサイルはノルウェーのものであって、北極光を探るために発射されたのであった。35カ国への通知は明らかにロシア国防省にも届いていたのであるが、彼らは勤務中の初期警告システムの職員に知らせなかったのである。

同じような事故は、特に核兵器が警戒態勢に置かれている場合、2000年「バグ」による軍事コンピュータでの可能なミスや誤った情報伝達によって、新しい千年紀に増えるかもしれない。

過去に起こった事故の知識と極めて合理的な破局の恐れは私のものだけでなく多くの人に共有されているが、その中にはリー・バトラーのような合衆国将軍のトップも含まれている。彼は1992年から94年の間合衆国戦略司令部の総司令官であり、合衆国のあらゆる戦略的核軍事力を託されていた。1996年12月、彼は、自分が何故、核抑止論の忠実な擁護者から核廃絶の公然の提唱者への長い困難な旅を辿ったのかを説明した。彼は次のように警告した:

「選択は失われている、緊急の問いが問われず、或いは答えられないから。旧い慣わしが冷戦のパターンと思考を永続させるから。そして核を動かす野心家の新たな世代は、主要な対立者たちが、自分たちが巻き込まれた不安について相互に約束された破滅以外に良い解決を見出し得ないでいるような、恐ろしい世界へとよろよろ後退しているから」と。

彼は、核廃絶を要求する17ヶ国の60人を超える司令官や将軍たちの声明を発表するときに語ったのである。2年後の1998年2月、彼は117人の民間指導者たちによる同様の声明を発表し、次のように述べた:

「核抑止論は……費用のかかる、頑迷で危険なものである」と。

核抑止が危険であると述べているのは、核兵器の司令官であって私ではない。

さらに今年の3月11日、リー・バトラー将軍はオタワでもう一つの演説をした。:

「私はあなた方に……戦略的核戦力、広範囲にわたって核弾頭をばら撒きかねない陸海に基地を持つミサイルと空軍の司令官であることがどんな意味を持つかを理解していただきたい。第一に、私の責任の下にあるのは、数万の乗組員たちの日々の作戦、規律、訓練であり、彼らが行動するシステム、それらのシステムがばら撒くように計画されている弾頭である。戦略核弾頭はほぼ1万発。私は、B52爆撃機のような個々の単位に命令するときさえ、これら兵器の多様な操作、維持、作戦行動から生じる日常の危険の大きさを決して考えなかったと、ある意味で認識するにいたった。私は、核時代における事件や事故の歴史を、合衆国に記録されている限りで深く読み込んだ。私は旧ソ同盟における歴史を理解し始めたばかりであるが、それは想像し得る何物よりも恐ろしい。それらの多くは、今や誰でも見得るにかかわらず、公けに知られていない。

格納庫の中で爆発し、格納庫のすぐ外に核弾頭を打ち出すミサイル。タンカーと衝突し、スペインの沿岸や沖合いにまで核兵器を撒き散らすB52機。核兵器を積んだB52爆撃機の1機がノースカロライナに墜落したが、調査の結果、その兵器の一つについて核爆発を防ぐ安全装置の7つのうちの6つが墜落の結果、壊れていたことが判った。破滅的事故を経て今や大洋の海底に横たわっている核ミサイル搭載潜水艦」。

リー・バトラー将軍の演説全文を提出したい。

〔提出 リー・バトラー将軍のカナダでの演説〕

このような情報と知識に照らしてみて、私は、そこに含まれる危険の大きさを知るにつけ、私たち皆が切迫した危険に曝されており、私たちが自らを守るために他と共同して核兵器システムを非武器化しようとする合理的手段を取るべきであると考えるのが合理的であると信じるものである。

しかし、ちょうど2年前まで、私は現実の実際的で安全な非暴力的で責任あるトライデント・システムの非武器化行動に移ろうとしなかった。それまでの年は、公然のディベート、議会の請願や陳情、デモや行進、徹夜の祈りや手紙発送を組織することに費やされた。これらのことは全て続けるが、今や実際的な非武器化を始めるときであると決心した、というのは核兵器の現状そのものが-非武器化しそうにないからである。

6月8日に起こったことを正確に話す前に、私がトライデントの合法性を調べるためにした若干の活動について話す必要がある、というのは、そのことが、私たちの行動が合法かつ道徳的にも正しいと信じた理由を説明する上で本質的だからである。

3.反トライデントの法的問題

私が最初に戦争法というものを発見したのは、「この世の地獄」という本の著者であるジョージ・デルフに出会ったときからで、私が無意識のうちに探していた道徳性と法の繋がりをとうとう見出した。私たちのほとんどが本能的に法を尊重するのは、それが無辜を害悪から守るという普遍的に認められる道徳的規範に基づく限りで、その限りにおいてだけである。戦争法或いは国際的人道法として知られる国際法の根幹は、まさにこのことを為そうとする。それらは基本的に無辜の市民を守り、環境に加えられ得る損害の量を限定して、戦後に平常の生活が続けられるようにする。これらの法を読んで、核兵器はこれらの笑いものとなることが全く明白であった。

そこで私は、一つにまとまった専門的証言を集めるのを手伝い、それらの多くはロンドンでの核兵器に反対する市民の戦争犯罪法廷で使われたが、これらによって、当時の首相マギー・サッチャー及びその閣僚たちを、ジュネーヴ協定の法及びジェノサイド法の重大な違反の共謀について私人訴追するために地裁に働きかけた。私人訴追は合理的にもイングランドでは普通であるが、スコットランドではそうではない。しかし私は、この法的手段に訴えることを否定された。別々の判事から別々のことを言われた。曰く、そのようなことを扱うのは公益ではない、政治を法廷に持ち込もうとするのは愚かで訴訟狂いの当事者である、裁判所は手続を引き受けた上で却下するだろうから訴は無駄である、云々。私は法務長官に直接働きかけようとしたが、犯罪を問題にするのは警察の仕事だと言われた。私は地域のノーフォーク警察に行って治安官に書類を出したが、自分たちが国の防衛政策に関することをするのは公益ではないと言われた。

しかし、これらの法は現存し、そのうちの2つは連邦王国で直接認められてさえいるのに、イギリスの核兵器がそれらに違反するという事実に、誰も関心を示さなかった。他の人とともに私は「告訴」キャンペーンを組織し、そこで私たちは、人々がそれぞれの地域の裁判所に働きかけて、どこかの何らかの裁判官が独立性をもって政府の不法行為に敢えて立ち向かうよう要望しようと勧めたが、ことごとく同じ固い壁にぶつかった。約50ほどの様々な働きかけが、数年に亙って国中の地裁に向けて為された−全ての裁判所は私たちが私人訴追を起こすのを拒んだ。

同じ頃、パクス・レガリス(法による平和)が同じ方向を目指して動き出した。これは1984年に組織され、10年以上もの間、裁判所に投げかけられた法の実質的問題を取り上げようとしてきた。「我々は、重大な犯罪を犯す共謀が進行中であると理解しており、我々の知るところでは訴追当局が動こうとしていない以上、法的措置を取るのは我々の権利であり、義務である」。10年後告訴が為されたが拒否され、逮捕状の召喚も断られ、事案の説明は引き延ばされるか引っ込められ、

「司法システムは事案の実質に聞く耳を持とうとしないというのが、パクス・レガリスの結論である」。パクス・レガリスは、司法府に公正に振舞わせようという彼らの意図について1冊の本を出版したが、それにはあらゆる法的文書のコピーが収められている。証拠として提出するには大部すぎると思われるが、彼らの活動を1頁に要約したものを、スコットランドの人々が同じ方向で検事総長に向けて為した働きかけの要約とともに提出したい。みな、同じお役所の固い壁にぶつかっている。

〔提出 裁判所に対するパクス・レガリスその他の働きかけ〕

これらの活動の中で、私はパクス・レガリスの一員を含む他の関係者たちに誘われて、INLAP―法と平和のための協会―と称される国民的事業を組織することに加わった。私たちは国際的人道法に関する教材を作り始め、どうやれば当局にこれらの法を支持させ、尊重させることができるかを追求した。これが12年ほど前のことである。INLAPの一員として私は、ハーグにおける国際法律家及びNGOの第1回集会に出席し、皆とともに核兵器の合法性に関する勧告的意見を要求して国際司法裁判所に対して為される働きかけを要請した。これがきっかけとなって長い物語となるのだが、ニュージーランドの裁判官による公開書状に始まって世界法廷計画に発展し、この過程を止めようとした核保有大国の多くの圧力を含む数々の問題を経て、ついに国連総会は勧告的意見を要求し、それを得た。

この勧告的意見は、核兵器に関する国際法を明らかにして、核兵器は一般に不法であると述べた。それは、自衛という極端な場合にさえ決して破られ得ない国際法の2つの原則に光を当てた。これら2つの枢要な原則とは第一に、

「諸国は決して民間人を攻撃対象にしてはならず、従って民間と軍事目標とを区別できないような兵器を決して使ってはならない」ことであり、

第二に、

「戦闘員に不必要な被害をもたらすことは禁じられる。従ってそのような害を戦闘員にもたらす、或いはその被害を無用に悪化させる兵器を使うことは禁じられる」ことである。

イギリスの100キロトン核弾頭を持つトライデントはこれらの要件を全く満たし得ず、従って不法である。

ごく最近、8月20日付のヘラルド紙は、1960年代の王国空軍の首脳部の計算によれば、核戦争の事態においてイギリスの爆弾がソ同盟の400万もの人々を殺傷するであろうことを認める秘密文書の公開を報じた。従って、ホロコーストやナチの「最終的解決」、或いはニュルンベルク裁判からまだ日の浅いうちに、私たち自身の政府は他国の人々の大量抹殺を計画していたことになる。私たちは第二次世界大戦から何も学ばなかったのだろうか? 私はこのことを全く恐ろしいと思う。普通の事務所にいる普通の人々が、数百万もの人々の死を計画するという恐ろしいことを冷静に合理化し得るとは。自分自身の政府がかくも人間性と想像力を欠いていた、今もなお欠いていること、どのようにして私たちの国を人間的で文明化された形で守り抜くかを生み出し得ないことは極めて恥ずかしいことである。これらの公開文書は今や、これまでの核戦争計画が犯罪的であることの証拠となっている。

だが、これが過去における全てではない。疑いなく、ロンドン官庁街のどこか奥まったところで、誰かが、いま現有のトライデント・ミサイルが発射されたとしたらどれだけ多くの人が死ぬことになるかを計算している。それは高度の国家機密に属する文書であろうが、これらの文書が公にされるまで、あと30年待っているわけにはゆかない。しかし、どれだけ多くの人が死ぬことになるかは、自分たちで明らかにし得る。現在配置されている144のトライデントの弾頭は、800万の子供を含む約3000万人の殺傷能力があることを意味している。そう、800万の子供を、である。

このように非人間的なことは犯罪行為でもあると口に出すことすら、冷淡で無感覚なように思われる。だが、私はいま法廷にいて、様々な犯罪のかどで起訴されている。私にとって最大限重要なことは、私の行動は合法であった、なぜなら自分の政府の恐ろしい犯罪的計画並びに行為を止めさせるのに必要であったから、ということをあなた方に証明できることである。トライデントの現在の配備は全く明らかに戦争犯罪遂行の共謀であり、人間性に反する犯罪である。私の非武器化行為は、大量殺人の防止というこの脈絡において全く明らかに正当化され、かつ合法である。

さて、私の法的抗弁をあなた方に提示して、これらのこと全てにもっと詳しく立ち入ることにするが、さしあたり、勧告的意見と「ヘラルド」紙の記事の各コピーを見ていただきたい。

〔提出 国際司法裁判所の勧告的意見、1999年8月20日付のヘラルド〕

国際司法裁判所のウィラマントリー判事の意見の29頁からちょっと引用して読んでみたい。私はそれが全てを尽くしているように思う。

「常識に照らしてみて、膨大な数の敵の人口を抹殺すること、彼らの環境を汚染すること、彼らを癌、ケロイド、白血病に罹らせること、 多数の胎児に先天的欠陥と精神的遅滞をもたらすこと、彼らの土地を荒廃させ、その食物供給を人の消費に合わなくしてしまうことが疑われ得るのかどうか−これらのような行為が『人間性の基本的考察』と両立し得ると考えられるのかどうかが怪しまれている。全き良心においてこれらの問いを肯定的に答え得るのでない限り、核兵器が人道法に違反するかどうか、従って国際法に違反するかどうかに関する議論はそこで終わる」。

勧告的意見の公表後、関心をもつ多くの市民からの手紙に答えて、政府はその不法な核兵器を依然として非武器化しない旨、明言した。私はこのことが無責任、非民主的で恥多いもの、並びに国際的法秩序を根底から蝕むものと考えた。8つの核兵器国(NWS)は基本的に他の180の非核国を人質としており、国際社会における法の規制を蝕んでいる。彼らはその力を濫用している。このことが、私が他の人たちとともにみずから国際法を支持することを基本とする計画−人民による非武器化のプラウシェア2000運動を始めた主な理由の一つである。

4.トライデント・プラウシェア2000

陪審員各位が「トライ・デンティング・イット・ハンドブック」のコピーをお持ちであることを確認したい。これは、私たちがメイタイムを非武器化する目的を説明する便のために、私たちの共同声明とともにメイタイムの非武器化された実験室に置いてきたものである。

〔提出 トライ・デンティング イット〕

私は、平和運動が数年に亙って集めた資料の助けを借りながら自分でこれを書いた。私がこれを私の証拠の基礎にしようと思うのは、それが6月8日の行動の前後を通じて私の精神状態、理由付け、信念を非常にはっきり示しているからであり、私の非武器化の行為が、永年間、変化をもたらす他のもっと通常の手段を試みてきた責任ある地球市民にとって合理的、平和的、道徳的かつ合法的な行為であったことを包括的に証するものであると思うからである。

第1部−5頁の「目的」というところから始まる黄色い部分を見ていただくと、私がそこにはっきり書いていることが見てとれよう:

「私たちの非武器化の行為は、あまねく認められた国際法の諸原理の下で、進行中の犯罪的活動を止めさせるために意図されたものである」。

43頁の第4・3部はイギリスの核の供給源を分かり易く概観しているが、それは4隻のトライデント潜水艦から成り、それぞれ100キロトンの核弾頭を48基搭載し、核弾頭はそれぞれ別々の目標を破壊し得る。ここで言っているのは、どんな特定の時間にも、1隻は入港していて、作戦中の潜水艦が3隻あって144基の核弾頭を配備しており、核弾頭の1つはグラスゴーやエディンバラのような大都市を破壊し得るということである。

トライデントの大量破壊兵器についてのもっと良い概観として、スコットランド反核運動のジョン・エインスリーによるブックレットを証拠として提出したいが、これは私がメイタイムを非武器化したとき常に念頭に置いていたものである。

〔提出 「トライデント−イギリスの大量破壊兵器」ジョン・エイスリー著〕

例えば彼は、1隻のトライデント潜水艦から発射される弾頭を使った、モスクヮ及びその周辺にある16の司令部掩蔽濠への限定攻撃の効果について、300万の死者が出るであろうと述べている。これは完全に不法であろうし、その時には同じような標的が連邦王国とNATO司令部及び管理コンピュータにあることを示す然るべき証拠がある。

47頁の第4・5部は、核兵器の効果を一般的に概観している。手引の7節は周知のところであるが、このところはほとんど一語一語、国際司法裁判所の勧告的意見に付属するウィラマントリー判事の少数意見から取った。これを核兵器の法的地位を概観している52頁の次節第4・6部と一緒に読めば、私が何故スコットランドに基地を置くイギリスの核トライデント・システムが不法で犯罪的と考えたかが全く明らかになる。

27頁の第2・7部をざっと見れば、政府との対話と交渉における私たちの意図が覗われよう。私たちは全体として公然と、責任もって、私たちが進めていることが法に適うものであるという信念−実際に法に違反しているのは政府であって私たちではないという信念に従って、この運動を組織したのである。

1998年3月18日、1998年8月の非武器化行動に先立って、首相に手紙を書いたが、主要閣僚たち、軍隊の長、スコットランド及びイングランドの司法の長に送ったコピーを添えた。手紙は、国際法と国際司法裁判所の勧告的意見に従って連邦王国が緊急に非核化する必要を述べたものである。またTP2000の意図と目的を述べ、手引「トライ・デンティング イット」のコピーとヴィデオのコピーを同封した。その後で、ファスレイン基地の港湾司令官から家に電話がかかってきて、本とヴィデオのコピーを送ってくれないかと頼まれた。TP2000は費用として彼から25ポンド受け取ったのである!

そこで、15分ヴィデオの一部をお見せしようと思うが、私とTP2000の運動が全体として、如何に公然とした、責任ある非暴力的なものであるかが示されよう。私は1997年12月にこのヴィデオを作るのを手伝ったのだが、これは、ファスレイン基地の港湾司令官と首相に送ったもの、また私たちの行動の背景を説明するためにメイタイムに残してきたものと全く同じである。

〔映写 ヴィデオ「トライ・デンティング イット」〕

TP2000は1998年5月2日まで公然と動かなかった。政府が私たちと穏やかに話をし、そして多分、政府が1996年7月8日の勧告的意見に示されたようにその国際的義務を果たしつつあること、従って私たちが運動を始める必要もないであろうことを伝えてくれるためには、そのほうがよいと思ったからである。もっとも私たちは最初の手紙の中で、彼らが国際法に従えば決して使用され得ないような大量破壊兵器の全てを非武器化する過程にまじめに携わらないと分かれば、TP2000が動くことになると警告していた。

さらに、非核化に向けての確かな9段階を列記したものを同封し(手引27頁)、これらを遂行する方向において何の進展も為されなければ、8月ファスレインにおいて私たちの公然たる非武器化行動を始めるであろう、その後に「秘かにではあるが責任ある」行動が他のトライデント関連地域で始まるであろう、と述べた。こうして私たちは5月2日、エディンバラ、ロンドン、ゴーテンブルク、ゲント及びヒロシマで動き出したのである。

当局には少なくとも3ヶ月毎に私たちの関心事を知らせ、関連問題を問うたが、答を拒否された。ここに私個人かTP2000全体として1996年から現在までに政府に送った手紙の束がある。もちろん私がここ数年に書いた手紙は数百通あるが、比較的最近のものがこの公判にもっとも関係すると考えた。それらは、私がここにいる友人とともにメイタイムを非武器化する前に、核兵器の脅威から自分と他人を守るためにあらゆる合法的手段を試みたことを示す証拠の一部となっている。

〔提出 諸官庁との通信物〕 これらの手紙は、どうしてトライデントが合法たり得るかという重要な問題に、明らかに答えたがらないことを示している。今年の3月23日に出したもっとも最近の公開質問状、それは未だに満足できる回答を貰っていない諸問題を要約しているのだが、各位のためにコピーした。

〔提出 1999年3月23日付のトニー・ブレア宛公開質問状〕

一部を引く:

「100キロトンに及ぶ核弾頭が使われる脅威がどうして、自衛の場合にさえ軍事目標と民間目標とを区別し得る必要性を特定し、戦闘員の不必要な被害を禁止し、環境に対する広範かつ長期に亙る重大な損害を禁止し、中立国の不可侵性を特定している国際法と一致し得るのか?」

また;

「一つの可能な目標はポリャーニ、ノルウェー国境に近い北ロシアの町である。人口28000強、近くにロシア海軍の造船所がいくつかあって、原潜の修理に使われている。造船所上空で爆発するトライデント弾頭は直径870メートルの火球となるであろう。町は完全に廃墟となろう。人口の約90%は、極度の熱、ビルの倒壊及び放射能が結びつくことで殺されるだろう。死者の中にはおそらく約7000人の子供が含まれよう。爆発は学校、病院、教会を破壊するであろう。僅かな生存者は全て重傷を負っているであろう。爆発地点から4.5キロのところでも屋外にいる者は3度の火傷を受けるであろう。10キロ離れたセヴェロモルスクの町には強い爆風の害、数百人の死傷者が出るであろう。以上のことは、ノルウェーの住民に影響するであろう強い第二次放射能には何も触れていない。国際法をどんなに解釈しても、このようなことがどうして合法であり得るのか、困惑するばかりである。あなたは、ポリャーニや同じようなところがあなたの目標一覧にないと確言できますか?」

また:

「トライデントが不法でないのなら、政府は、どのように、どこで、いつ100キロトンのトライデント核弾頭が合法的に使われ得るのかについて、一つでいいから詳しい例を進んで提供してくれますか?」

TP2000は3ヶ月毎にTP2000の会員による公然の非武器化の機会を広く公表した。会員の名前は全て政府に知られている−名簿は3ヶ月毎に更新される。現在、10ヶ国143人の会員がいる。

手引の77頁と88頁に「核犯罪防止の誓約」と「非暴力と安全性の誓約」の写しが載っている。だが私は、1998年3月8日に署名した私自身の誓約を証拠として提出したい。

〔提出 誓約〕

さらに、これらは私と他の人のTP2000行動の全ての基礎を非常にうまく要約しているので、ここでこれらを読み上げて、私たちの行動が初めから合法的犯罪防止の安全で責任ある行為であるように計画されたことをはっきりさせたいと思う。

〔朗読 「核犯罪防止の誓約」〕

1998年7月9日−メイタイムの非武器化のちょうど11ヶ月前、私がノーフォークの親しいグループとともに書いた手紙にも注意して欲しい。これをイングランドの法務長官に送り、スコットランドの法務長官にはコピーを送った。これはTP2000のことを説明し、グループの名前と住所を示し、私たちがトライデントを非武器化すると誓った理由を説き、彼らがスコットランド及びイングランドの最高法官として、私たちが正当な理由なく法に反する共謀に荷担しているという見解を取るのか、それとも政府が国際法及び人道法に違反しているという見解を取るのかを迫るものである。私たちは、彼らが前の見解を取るとすれば、私たち手紙の署名者に対しておそらく共謀の容疑という形で法的手続を取るのが公益に適うことになろうし、後の見解とすれば、首相ほかの連邦王国の核防衛政策に責任ある者に対して取るのが公益であろうと述べた。さらに手引、ヴィデオ、署名された誓約のコピーをも同封した。返事はこなかった。

〔提出 ウッドウォーズの法務長官と公訴局長宛手紙〕

全てこのことは、私たちが公けに責任を持つために置いた間隔と、行政及び司法にその誤りをみずから正させるために与えた充分な機会を示すものである。私たちの政府とその機関が責任を取らないのなら、私たちは地球市民としてそれを放置するわけにはゆかない。私たちには、責任ある安全で非暴力的な行動である限りで、みずから行為する権利と義務がある。

1998年9月に私はTP2000に関する論文を書き、「軍縮外交」−軍縮委に勤務する国連の外交官がほとんど読んでいる専門雑誌に掲載された。人民による非武器化についての議論を一般に出版することで、またスコットランドの地裁に何が起こっているかを説明することで、連邦王国の不法な核配備に対する積極的な抗議と抵抗が連邦王国自身の中から起こっていることを他の多くの非核諸国に知らせるばかりでなく、このような出版は軍縮のための別の合法的な形の圧力でもあろうと思ったのである。

〔提出 トライデントの非武器化:合法性、道徳性、連邦王国における抗議〕

本件の公判は、陪審員席にある人々に、正しい記録を残す機会、私たちを無罪と認定することによって、この世の悪に責任を取るという明確なメッセージを各人に送る機会、政府がみずから軍縮を完了するよう迫る機会を与えている。

私は、イギリス航空のホーク・ジェット機を非武器化して約150万ポンドとされる損害を与えた私と3人の友人を無罪とした、1996年のリヴァプールにおける陪審の勇気と強さに励まされた。このホーク・ジェット機はインドネシアに配備されようとしており、おそらくそこで東ティモール人民に対するさらなる無差別爆撃に使われていたはずであった。陪審は、スハルト・インドネシアのような抑圧的でジェノサイドをも厭わぬ統治に武器を売ることによって、ジェノサイドを教唆・幇助するのは道徳的に悪いばかりでなく、国際法に反してもいるという点で、私たちに同意した。私たちについて同じことを為す人間性を、あなた方がお持ちであることを願うものである。

5.メイタイムの非武器化

最後に、メイタイムの非武器化について少し触れておきたい。

私たちは皆、3ヶ月毎のトライデント・プラウシェア非武器化キャンプの最初の数日間、ファスレイン及びクールポートでの封鎖と小規模の非武器化行動に参加したが、そこでは200人以上の人が逮捕され、ヘレンズバーグの地裁で徐々に審理されていた。

1998年8月キャンプの間、フィンランド、オランダ及びアメリカ合衆国生まれの地球市民から成る会員の国際的チームが、ファスレインのトライデント潜水艦の数ヤード以内まで数回、なんとか泳いだが、乗り込みはしなかった。3人のスエーデン生まれの会員が、バロウでトライデントに接近し、公判までに数ヶ月収監されてから、ついに損壊罪実行の共謀について審理された。彼らは陪審に評決を出させなくし、今は釈放されて再審理を待つ身である。

2人のイギリス生まれの会員が今年の2月、なんとかバロウに泳ぎ入ってトライデント潜水艦ヴァンジェンスに乗り込み、展望塔の100万ポンドする実験装置を非武器化する前に、実際に中に入った。彼らはおそらく艦のバロウ出港を数ヶ月遅らせた。彼らは保釈されて2000年1月の公判を待っている。これまでに300人以上の人がTP2000行動のために逮捕されている。トライデント・プラウシェア会員によるこれらの行動は全て、安全で非暴力的な人民による軍縮をもたらす広範な試みの一環である。

私たち3人―デンマークのウラ、スコットランドのエレン、イングランドの私―は、行動の5ヶ月前に始めてグループとして出会った。私たちの次の非武器化行動はスコットランドに定められなければ、と決めた。いくつかの他のトライデント関連地(手引35頁3.3節にあるリストを参照)を避けて、最後にゴイル湖のメイタイムに集中しようと決めた。それは、4番目のトライデント―「ヴァンジェンス」(前にレイチェルとロージイによってバロウ出港を遅らされた艦)―が試運転のためゴイル湖に行く必要があり、私たちはそれを妨げるか少なくとも遅らせることができようから、そうやって連邦王国の核の源の4分の1が少なくともある期間、誰かを脅かすのを妨げられると考えたからである。私たちは、現に配備中の3隻のトライデント潜水艦が点検・保守のためゴイル湖のDERA実験室を使う必要があることも知っていた。

私たちが1999年6月6日に一緒に書き、署名した共同声明を読み上げたい。

〔提出 アンジー、ウラ及びエレンの共同声明〕

〔朗読 共同声明〕

6月8日午後7時、私たちは小さなゴムボートをロッホゴイルヘッドから出してメイタイムまで操り、この船に乗り込んだ。外部から開けられる窓を見つけ、注意深くそれを開け、メイタイムの主要な部屋−実験室に入り込んだ。すぐ、設備がトライデント潜水艦をテストするといった不法な目的に使われないようにするもっとも手早い、もっとも巧みで安全な方法は、設備を切り離して直ちに湖に投げ込むことであると見て取った。そうした。あらゆる動くもの、コンピュータ、プリンタ、キイボード、アンプ、電話、ファクス、ディスク、マニュアル、スペア部品を含む、とにかく動かせるものは何でも取り外した。私たちは慎重かつ安全に働いた。それから実験室の隅の堅牢な金属の檻に割り込み、そこには模擬潜水艦用のコントロール・ボックスと巻揚機が設置されていると思われたのだが、ボックスのワイヤを切り、それぞれの電気回路をハンマーで叩いた−それらを使えなくするためである。砂糖水と砂を混ぜたものを家具の艶出しと一緒に巻揚機に塗り付けた。私たちがしていることを警察や保安員、報道や一般に説明するため、船の外側に3つの旗を吊るした。実験室がとてもさっぱりしたのを確かめ、テーブルの上に私たちの共同声明、ハンドブック、ヴィデオ、新聞の切り抜き、核兵器の使用がヒロシマとナガサキにもたらした害の写真を置いた。

メイタイム船のこの部分を終えた後で、上部甲板に上がる階段の途中の外側に別の部屋があることに気付いた。それはメイタイムのコントロール室だった。実験室を空っぽにし、他の部屋を点検した後で、メイタイム船の全般的操作に繋げられたこの施錠されたコントロール室に、もう2台のコンピュータといくらかの別の設備を見つけることができた。この部屋に入ろうとした。ドアの頑丈な錠を開けることができなかったので、ガラスを破ろうとした。そうするのはかなり難しく、時間もかかることがわかったので、私たちは何をすべきかを話し合った。

私たちはやはりこの区域にあったニュートを調べてみようと決め、メイタイムに繋いでおいたボートのところに行った。残念ながらこの時までに既に2時間経っており、ボートは具合が悪くなっていて半分しか膨らまなかった。それを手放すことを決め、それが近くの海岸に着き、そこで後に支持者たちに拾われて、修理され、別の非武器化行動に使われるといい、と願った。メイタイムに救命筏があるのを見つけ、これらを使って私たちの核犯罪阻止を続けようと決めた。それを切り離して膨らませようとした。1艘目のものは転覆したようであり、2艘目は膨らまなかった。この時までにひどく空腹を覚え、疲れ切っていたので、メイタイムの上部甲板で即席ピクニックと洒落込み、どうすべきかを考えていた。私たちは美しい日没を楽しむ一方、当局はTP2000が非武器化しようとしているトライデント関連地のリストを与えられているというのに、また保安警備隊は極めて近く、DERA施設がある地にいるというのに、保安員は何故こんなにたるんでいるのかを訝しんでいた。それから作業を再開し、ちょうどドリルでコントロール室の窓を破ることができそうになっていたとき、警察のボートがやってきた。警察は私たちがしていることへの関心を報道によって促されていたことを後で知った。

私たちは全員手すりの傍に立って、警察に丁寧に挨拶し、自分たちが何者であるかを告げ、自分たちがそのボートに降りてゆくべきか、それとも今居るところに留まっているべきかを訊ねた。彼らは警察のランチに乗るよう要求し、それに従った。それから、私たちがニュートを非武器化しようと思って救命筏を放したが、動かし方が分からなかったと説明した。それはちゃんとしていたのだろうか、オールはどこにあるのか? 一人が言うには、オールは側面の蓋の中にあったのだ、と。私たちはクールポート基地に向かう途中ずっと、国際法、TP2000、引き続き行う非武器化行動について話していた。雰囲気は穏やかで礼儀正しいものだった。

私たちが警察のボートに乗ったのは午後10時半近くだったから、メイタイムにはたっぷり3時間以上はいたことになる。私たちは、3人の普通の女性として、私たちが受け持った犯罪的核兵器システムの非武器化をベストを尽くして完遂したと感じた。

6月9日の水曜日、私たちはダヌーンの執行官の前に連れてゆかれ、私はそこで正式の供述をした。ここに、その裁判所で当日作成されたテープから写した、手続報告書がある。私は、これを私の意図の証拠として提出し、併せてトライデントの不法性が裁判によって公正に名指されるよう、希望する。

〔提出 ダヌーン執行裁判所における手続報告 6月9日付〕

5頁から、そこで私が執行官に述べたことの若干の抜粋を読み上げたい:

「私は、トライデントが配備されているのは国際法に反するという事実によって犯罪が犯されていること、私の非武器化行為が犯罪防止であることを申し上げたく、また私は、貴裁判所が真の犯罪者、即ち世界中に大量破壊兵器を送っている政治家その他の人々を逮捕するよう真剣にお考え頂きたいと要求している……本件では事実に関する争いはないと思われ、争いはもっぱら、私たちのしたことが合法か不法かの争点に尽きる……つまり、自分たちの政府に国際法及びスコットランド法を遵守させようとすることは、実際に通常の市民の責任であるべきではないかということである」

これに回答はなかった。またしても堅い壁。私は保釈の条件に同意するかと尋ねられたところであった。それを受け入れることができなかったのは、率直に言って、世界中の大量破壊兵器を全て非武器化する活動を続けられないことに同意できなかったからである−続けることは、裁判所の意見では、保釈中に犯罪を犯さないとする保釈条件の第2に反する意味になろう。裁判所が私たちの行為を不法と速断しているとき、私たちの法解釈は裁判所の容れるところではないと知る以上、私たちは全員、保釈条件に署名できないと決めた。従って私たちは、これまでの4ヶ月をコーントンヴェイル刑務所で過ごし、本公判を待って、私たちの行動が犯罪的ではなくて責任ある道徳的かつ合法的な行動であるという点で、あなた方が私たちに同意されるであろうと望んでいたのである。

提出書類のリスト……省略(訳者)

【法的抗弁】

1.強制或いは必要性の普通法上の抗弁

1−0 スコットランド法において必要性の抗弁は被告人がそれ自体は違法であるが状況の異常性によって正当化されることを為した場合に用いられる。例えば、生命を救うために他人の財産を破壊することが許される−犯罪を犯すことによって、より大きな悪が避けられたのだ。「法に反する行為は、それがもたらすものよりも大きい悪を防ぐ場合には、処罰されるべきではない」という考え方は、普通法の本質的かつ基礎的な要素である。

1−1 重要な事例はモス対ハウドゥル事件(1997年)であるが、運転手は乗客がひどい痛みに襲われたために最寄のサーヴィス・ステーション目指して突っ走り、速度制限を越えた。この特定被告人に適用され得た必要性の抗弁は、従って私にも適用され得る。この特定事例においては、裁判所は、運転手が慎重に違反を犯さずに済むような別の行動を取り得たと認定した(つまり、運転手は速度を出さずに道路の一方の側に車を寄せることもできた)。裁判所は、運転手が現実に選択肢を持っていて、違反を犯すよう強いられていなかったと認定した。法務長官は「この抗弁は、状況が現実に被告人をして法に反して行為するよう強いたのでない場合には適用され得ない」と述べた。

1−2 必要性の抗弁の最小限の要件は以下である:

@ 被告人が死もしくは重大な身体の害の切迫した危険に直面して行為したこと

A 危険がどこから生じるかについて違いはなく、自然災害や病気、他人の意図的な脅し、その他何らかの危険からでよいこと

B 法に反することについて、他に合理的で合法的な選択肢がないこと

これらの要件の普通法上の基礎は、ここで参照したモス対ハウドゥル事件では著しく減殺されている。

1−3 これらの要件を一つ一つ取り上げよう:

@ 私が死もしくは重大な身体の害の切迫した危険に直面して行為したことを示さなければならない。

このような危険の有無は事実問題であって法の問題ではないから、イギリスの核兵器が国際法上合法か不法かに関する問題には重要でない。核兵器の使用が完全に合法的であるとしてさえ、もちろん私は争うが、この抗弁の有効性には影響しない。国際司法裁判所の意見はこの点で、法の論述としてではなく、核兵器が人の生命、健康及び生活に与える影響の権威ある包括的な検討として役に立ち、私は国際司法裁判所の勧告的意見に付けられたウィラマントリーの意見のコピーを当裁判所に託している。それは核兵器の現状の危険についての詳細な検討を含んでいる。これらは国際司法裁判所の手続を通じて口頭で証言した多くの証人の証言に基づいている。彼は空間的にも時間的にも収め切れない核兵器の破壊力の予測できない大きさを、地球の全生態系を破壊する可能性によって詳論する。

1−4 本法廷に、私の証人席からの証言、私がこれらの事実を知っていた旨を示す証言を想起して欲しい。私は事故が日常的に起こっていること、放射能が規則的に漏洩・放出されていること、環境が長く継続する放射性物質によって一貫して汚染されてきていること、この放射性物質は地球全体を、特に、ウラニウム採掘と核実験によってその土地を汚染されてきた先住民を害していることを証言で示した。先住民は確かに、核兵器のこれまでの50年が平和を守ってきたということと共存しない。核兵力に関する犯罪的な過失によってもたらされた先天性奇形などに苦しみつつ生きるという彼らの証言は悲痛である。私は、このような切迫した進行中の規則的汚染が継続するのを止めようとして行為したのである。

1−5 私はまた、いかなる瞬間にも核兵器の偶発が生じ得ること、従って私を含む皆がそのことからの切迫した危険に曝されていることを示す証拠を提示した。私たちが核兵器を使用する態勢にあり、核抑止政策というのは他国もその態勢にあることを意味するという事実−これが危機を増幅する。私だけでなく世界中の多くの人々は全て恐怖と不安を感じており、大量破壊の兵器によって守られているなどとは感じていない。さらに私は、イギリスの核兵器が意図的に使われ得ること、数百万もの無辜の市民が殺され得ることを、当然にも恐れていることを示す証拠を提示した。

1−6 緊迫性の問題、つまりこの抗弁の要件を満たすためには危険がどの程度に迫っていなければならないかについては、もちろん議論の余地がある。通常の生活において私たちは、電気配線を誤った家がいつ火事になるか、不完全なガス管がいつ爆発するかにつき、明確な警告を期待してはいないと考えられる。どんなに慎重で責任感のある人でも危険を回避するためには咄嗟に動く。ある不特定の期間中、数年の経過を超えてでも、事態が起こると合理的に予見され得るのであれば、もちろんそれは咄嗟に生じ得たのではあるけれども、危険は切迫しているのである。現実に核兵器が発射される時点では、合理的で平和的な市民が大量破壊の恐ろしい犯罪を防ぐために介入する時間もなければチャンスもないであろう−もっとも、いつ政府は確かに核兵器を発射するのかを私たちが全く知りたがらないというのなら別であるが。為すべき時は今である。1995年、ドイツのシュツットゥガルト高裁はこのような思慮深い考え方をした。裁判所は、反核活動家たちが核兵器基地に反対して行動したのは彼らばかりでなく他者にとっても切迫した危険であったからだと認め、彼らを無罪にした。

1−7 従って、私が死もしくは重大な身体の害の切迫した危険に直面して行為したことを示したと考える。1−8 A 危険がどこから生じるかについて違いはなく、自然災害や病気、他人の意図的な脅し、その他何らかの危険からでよいことを示さなければならない。

 先のことから、核兵器及び私たち自身の政府の「防衛」政策から生じる危険も、この必要性の抗弁に当然含まれうる危険である。

1−9 B 法に反することについて、他に合理的で合法的な選択肢がないことを示さなければならない。

モス対ハウドゥル事件で控訴院長は「問われるべき問題は、行為者が実際に選択肢を持っていたかどうか、つまり、彼は別のことを為し得たか? である。法に反する合理的、合法的選択肢があったとすれば、違法の決定は、『必要性』及び『人間本能』の命ずるところを超える何らかの主張によって動かされた、有意的なものになる」と述べた(1997年)。

1−10 さらに、刑法についてゴードンの言うところを参照したい。彼は必要性を次のように論じる。

「法に従うことが最高の価値とみなされれば、必要性の答弁の余地は全くないであろう、というのは、法の違反がそのような違反を含まなかったものよりも価値があるということはあり得ないからである……法的規律を絶対的なもの、或いは全て等価値なものとみなす理由はないように思われる−ある法的規律が他のものより重要とみなされるべきではないとか、ある場合に他の考慮が法的規律に反することを許すべきではないとかにも理由はない。法は絶対的知の具現ではなくて単に社会統制の手段に過ぎない、例えば、梯子や消火器を盗むというような行為によってビルの保護を妨げるのは、社会的に不都合であろう」と(G.H.ゴードン「スコットランド刑法」1978年)。

メイタイムの実験室を操作させておいてトライデントを大量破壊に使えるようにすることは、どれほど不都合であろうか?

この場合、6月8日の私たちのそれのような行動によってみずからトライデントを非武器化しようとする以外に合理的な選択肢はなかった。世界中の多くの人々は皆、政府に核兵器を無くさせようとして過去50年以上、考え得る限りの合法で通常の手段を試みてきた。TP2000のメンバーとして私たちは、政府、裁判所、警察その他に核犯罪を避けさせようとしてあらゆる努力を惜しまなかったが、無駄であった。

1−12 証人席からの私の証言を要約すれば、私が手紙を書き、陳情し、デモに加わり、徹夜で祈り、行進し、一般の集会を組織し、行動指示や論文を書き、正式に私人訴追を提起しようとし、裁判所や司法の長に働きかけたことを思い出していただけよう。最近の世論調査によれば、今やスコットランドの85%が核兵器の廃絶を望んでいるにもかかわらず、政府はそれを拒否している。世界法廷プロジェクトに多くの他国とともに参画し、核兵器に適用される国際法をこの上なく明確に述べた国際司法裁判所の勧告的意見を有利に得たというのに、それでも政府はこの意見を尊重しないでいる。100キロトンの核弾頭は国際法から見て決して使用され得ないのに、トライデント潜水艦は依然として配備され、政府は予見し得る将来のためには核兵器への依存を続ける必要があると述べている。これらのことから考えると、一般の人々がこのシステムそのものの非武器化を始めること以外に、この恐るべき兵器を無用とする有効な方法はなかった。極めて大きな誤りが人民の名を借りて行われ、人民の多数はこれらの犯罪が自分たちの名において為されるのを欲しないとき、人民はこれらの犯罪そのものを止めなければならない。誰かが集団殺人を防ぐ責任を負わねばならず、トライデント・プラウシェアの会員はこの責任を引き受けているのである。

1−13 私たちのような平和主義者を有罪とするか無罪とするかという同じジレンマに遭遇した他の裁判官が、必要性の抗弁の下で思い切って無罪としていることを知るのは、当法廷にとって有益であろう。興味深い法律雑誌の論文があるが、そこには、核兵器システムを非武器化して必要性の抗弁によって無罪とされた人の多くの例が示されている。例えば1995年、アメリカ合衆国イリノイ州の人民対ジャーカ事件で、裁判官アルフォンス・E・ウィットは陪審に次のように説示した:

「核兵器の使用もしくは使用の恐れは戦争犯罪かその未遂である、なぜならその使用は、必要以上の被害をもたらし、戦闘員と非戦闘員の区別をせず、放射能で目標を汚染する点で国際法に反することになるからである」。

1982年の人民対レムニッツァ事件では、アメリカ合衆国のローレンス・リヴァーモア国立研究所でこれ以上の核兵器の増強を防いで命を救おうとしたことが問題となり、ここでも被告人は必要性の原理に基づいて無罪とされた。さらに近く今年の6月8日、合衆国のトライデント潜水艦基地への運送を穏やかに阻止した8人の活動家が無罪と認定されたが、このとき裁判官ジェイムス・リールは陪審に対し、協議の際に国際法が一国の、州法及び連邦法に優先する事実を考慮するよう告げたのであった(オルドリッジ&スターク「サンタクララ・ローレヴュー」26巻1986年春季2号、「裁判官ジェイムス・リール」1999年6月10日)。

1−14 従って私は、普通法の下で全ての訴因について私を無罪とするよう裁判所に要求する。

2.制定法上の抗弁

2−0 私は、種々の客体に「有意的かつ悪意で損害を惹起した」ことで起訴されている。

2−1 私たちが何故、二つの窓をガラス・カッターで傷付けてメイタイムのコントロール室に入ろうとし、ハンド・ドリルを使ってまで入ろうとしたか、何故、実験室の物品を湖に投げ込んだかの説明を想起していただけよう。私たちがこのような損害を与えたという事実は争わない。しかし、私たちが悪意でそうしたのでないことは、私の証人席における証言から充分明らかである。私たちは純粋に、メイタイムが不法な目的で使われるのを防ぐためにコントロール室に入ってそれを為した−私たちはこの設備が犯罪的目的で使われるのを防ぐためにそうした。言い換えれば私たちは、トライデントと呼ばれる犯罪的な核兵器システムの一部を非武器化しようとしていたのである。

2−2 さらに、やはり私の証言から明らかなことは、私たちがメイタイムから設備を盗もうとしていたのではないことである。私たちは設備を盗んで何らかの個人的な物質的利益を得る意図を持たなかった−もしそうだとしたら、私たちは設備をさっさと自分たちのボートに積んで、陸揚げし、持ち去ることもできたであろう。そんなことは私たちの意図ではなかった。私たちの意図は全くいかなる犯罪をも犯すことでなく、犯罪、おそらく全ての犯罪の中でもっとも恐ろしいもの−核兵器の使用と地球上の全生命の破壊の恐れを防ぐことであった。トライデント・システムの一部を非武器化することであった。設備を湖に投げ込んだのは、塩水がこのトライデント関連設備を武器として使えなくするもっとも手っ取り早く安全な方法だったからである。救命筏を盗むことも私たちの目的ではなく、メイタイムに繋がっているもう一つの浮きプラットフォームであるニュートに行って非武器化作業を続けるために、それらを使おうとしていたのである。私たちには、私たちが為したこと全てについて法律上の免責−「合理的な免責」と呼ばれるものがあると信じる。

2−3 合理的免責があると示すには、以下の要件を示す必要がある:

@) 犯罪の防止がスコットランド法における合理的免責であること

A) 国際法がスコットランド法に関係していること

B) トライデント核兵器の脅威と使用が国際法上の犯罪であること

C) 私はこの犯罪が現に犯されており、切迫していると真面目に信じていること

D) 私は自分の行動と犯罪の防止の間に実践的な繋がりがあると合理的に信じていること

E) 私の行動はその状況において合理的であること、つまり別の形の行動を考えたが犯罪を防ぐのに有効なことは他に為し得なかったこと

2−4 @) 犯罪の防止はスコットランド法における合理的免責である。

スコットランド法において、財産罪に問われている場合に、より重い犯罪を防いでいる若しくは止めさせていると信じることは合理的免責である。

当法廷にマクドゥガル対ユクスン・ホー事件(1985年)に注目していただきたいが、この件で控訴院長は犯人であると(たまたま誤って)考えられた者の逃亡を防ぐために財産を毀損したことに「合理的免責」を適用することを認めた。被告人は、自分の店の窓を壊した責任があると思った(車の)占有者の逃亡を阻止するつもりで、車のフロントガラスを割った。ホーの無罪の中心的要素は、実際の行為客体が正しかったか否かに関わらず、自分はある不法な行動の犯人が逃げるのを阻止していると真面目に信じていたことである。彼の無罪を基礎付ける根本的理由は、この判例の最終節の最後の数行に極めて簡潔に述べられているが、それは次のようである:

「犯人と目される者が逃げるのを止めたいという彼の欲求を……認める一方……この状況でいかなる合理的免責もないということは……示されていない」。

2−5 そこで本件について論じると、100キロトンの核弾頭の配備を可能とする核トライデント・システムの全複合体はそれ自体、今この瞬間において不法な脅威である。しかし、本件は先の例に当たらず、私はただトライデント核弾頭の現実の使用という将来の犯罪を防ぎたいと言っているだけだとしてさえ、やはり先の例を私の抗弁に引用し得るのは、このような犯罪が将来に起こるのを防ぐ手段をも認めるのが論理的であり、先の判断と一致するであろうからである。

2−6 A) 国際法はスコットランド法に関係している。

「合理的免責」の抗弁については、私の意図した非武器化の行為が防ごうとしていた若しくは止めさせようとしていた事態が国際法において犯罪とされることになるかどうか、また国際法がスコットランドの裁判所で考慮され得るかどうかを決める必要がある。

2−7 スコットランド裁判所の立場は、慣習的国際法はスコットランド法の一部である、もっとも制定法や先例と矛盾する場合には制定法または先例を優先しなければならないというものである。注意すべきことは、破壊活動については「合理的免責」の意味について何ら制定法上のガイダンスがないから、この句の意味を決めるにはもっぱら慣習的国際法によるのが有効ということである。

2−8 有名なモーテンセン対ピータース事件(1906年)でキラヒー卿は「一地域の裁判権の存在は明らかに通常の諸国間の合意−即ち国際法によって確立された限界を超えると主張若しくは想定する一国の立法府に対しては、常に一定の推定がある」と述べている。

ここで言われているのは、スコットランドの制定法に「明文」或いは「明らかな含意」があるとはいえない場合には、国際法が立法(或いは普通法)の意味を決める上で有用であるということである。このように国際法はスコットランドの裁判所において高度に重要な役割を果たし得る。

2−9 裁判所が慣習的国際法の規律を適用するには、それが「文明諸国家によって国際的行為の規律として一般に承認された地位を得ており、国際条約乃至協定、権威ある学説、実務及び先例によって明らかなもの」でなければならない(クリスティナ事件(1938年)、マクミラン卿)。

2−10 イアン・ブラウンリー教授(勅撰弁護士)によれば「慣習的な国際上の規律は一国の法の一部と考えられ、そのようなものとして効力を持つとされるべきである」(国際公法の原理、1979年)。

私は進んで、慣習的国際法があらゆる国において拘束的であり、自動的にスコットランド法に一体化されると主張する。トレンドテックス貿易会社対ナイジェリア中央銀行事件(1977年)が一体化理論を支持しているのを参照。この事件でデニング卿は「今や一体化説が正しいと信じる。そうでなければ、かつて我が裁判所が国際法における変化を認め得たことが理解できない。国際法が変わることは確かである……。従って、国際法の規律が奴隷制を非難するように変えられた(一般世論によって)場合、イギリスの裁判所は国際法のこの新しい規律を適用するのが正しいとされる」と述べている。

トレンドテックス事件におけるデニング卿の意見は、マクレイン・ワトソン対通産省事件(1990年)でオリヴァー卿が賛同して引用されている。またごく最近、1999年3月24日、国対バウ街首都治安判事他事件

においてミレット卿は、「慣習的国際法は普通法の部分である」と述べている。

2−11 さらに私は、国際司法裁判所の勧告的意見が支配的であると主張する、というのは、それは核兵器の使用ないし威嚇的使用の合法性に関する慣習的国際法の権威ある一節だからである。従ってそれは当法廷に格別に重要なものである。さらに、最近の「タイムズの法レポート」1999年5月19日号は、各国の裁判所が国際司法裁判所の勧告的意見に留意すべきであることを示している。このレポートによれば、「マレーシアの政府には、マレーシアの国際的義務が守られ、クマラスワミ氏の免罪が尊重されるように、マレーシア裁判所に勧告的意見を伝える義務がある」。

2−12 今や人道法に関連するものとしての慣習的国際法を明らかに基礎とし、かつそれを明確に表現する旧ユーゴスラヴィア及びルワンダの戦争犯罪裁判も重要である。私が本件で依拠する国際法は、いかなる民族、またそれらの国内のいかなる個人にも地位や身分に関わりなく適用される。

2−13 ところで、慣習的国際法はスコットランド法の部分ではあるけれども、制定法や先例と矛盾する場合にはその制定法や先例が優先されなければならない。一部の人々は、トライデント計画が「公的な」ものであって年々国防予算はトライデントに膨大な額を宛てていることからして、核兵器計画は議会によって根拠付けられていると思われるという見解を取っている。実際には議会は最初全く知らされていなかった−アトリー首相は議会に知らせずに核計画に1億ポンド支出するよう取り計らい、チャーチルは1951年に再選された時このことを知って驚きを隠さなかったが、同じ秘密のヴェールを保った。議会は核計画について依然知らされないままであった。現在の議会は、トライデントについて一般に責任をもてる法的監査をすることすら拒否している。イギリスの核計画を根拠付ける議会の如何なる特別法もないし、そのようなトライデントを直接根拠付ける如何なる立法も私は知らない。予算の投票に関して、議会は政府の計画の全てに資金を割り振るが、ある違憲審査が暴露しているように、そのうちのいくらかは合法で、いくらかはそうでない。違憲審査の存在こそ、政府の計画が連邦王国の裁判所において問題にされ得ないと示唆することを明らかに馬鹿げたことにしている。国際法は、それが何らかの特定の制定法条項と矛盾しない限りでスコットランド法に一体化されており、私の知る限りトライデントに関してそのような条項はない。

2−14 B) トライデント核兵器の威嚇と使用は国際法上の犯罪である。

本節ではまず、核兵器が一般に何故どのように不法であるかを扱い、次いで個別的にイギリスのものが何故不法であるかに進もう。あらゆる核兵器の威嚇と使用がどんな状況においても常に不法であるかどうかについてはいくらか不確かさがあるのに比し、にもかかわらず個別にイギリスのトライデント・システムに分析が及ぶと、疑いの余地はなく、イギリスの核兵器システムが不法であることは全く明らかであると分かっていただけるであろう。さしあたり、ここに国際司法裁判所のウィラマントリー判事から引用したものがあるが、私はこれが全てを尽くしていると考える。よければ、私の抗弁をその一節に委ねたい。

「常識に照らしてみて、膨大な数の敵の人口を抹殺すること、彼らの環境を汚染すること、彼らを癌、ケロイド、白血病に罹らせること、 多数の胎児に先天的欠陥と精神的遅滞をもたらすこと、彼らの土地を荒廃させ、その食物供給を人の消費に合わなくしてしまうことが疑われ得るのかどうか−これらのような行為が『人間性の基本的考察』と両立し得ると考えられるのかどうかが怪しまれている。全き良心においてこれらの問いを肯定的に答え得るのでない限り、核兵器が人道法に違反するかどうか、従って国際法に違反するかどうかに関する議論はそこで終わる」。

2−15 国際法の法源

国際司法裁判所の勧告的意見は一般に核兵器に関連する国際法の法源に関して極めて明確であり、それらは以下のように簡潔にまとめられよう:

セント・ペテルスブルク宣言、1868年

不必要な被害がもたらされ、また民間人の生命の付随的損失が避けられないか減らせなければ、これに違反することとなる。

ハーグ協定、1907年

不必要な被害がもたらされ、また中立国の不可侵が保障されなければ、これに違反することとなる。

世界人権宣言、1948年

長期に継続する放射能汚染が無辜の人民の生命・健康の権利を害するとすれば、これに反することになる。

ジュネーヴ協定、1949年

怪我人、病人、弱者、妊婦、民間の病院及び保健所の勤務者の保護が確保されなければ、これに違反することとなる。

同上補足議定書、1977年

軍隊による重大な国際法違反、また環境の広範、長期的かつ重大な損害の禁止に全く従わないことがあれば、これに違反することとなる。

不拡散条約、1968年

連邦王国は即時完全核軍縮を取り決めようとしない点で、現にこれに違反している。

ニュルンベルク原則、1946年

上記のものは全て、この第6原則が平和に対する犯罪、戦争犯罪及び人道に反する犯罪を定義していることにおいて犯罪行為と定義される。特にニュルンベルク原則Y(a)は、平和に対する犯罪を「国際的な条約、合意若しくは誓約に反する戦争の……計画、準備、着手若しくは遂行……、前述の何らかの行為を実行するための共同計画乃至共謀への参加」と定義している。ニュルンベルク原則Y(b)は、戦争犯罪を「戦争の法及び慣習の違反」と定義し、ニュルンベルク原則Y(c)は、人道に対する犯罪を「何らかの平和に対する犯罪若しくは戦争犯罪の、実行或いは関連において行われる……場合に……民間人に対して為される殺人、抹殺……その他の非人道的行為」と定義している。

ジュネーヴ協定追加議定書、1977年

軍隊の国際法遵守。

環境の広範、長期的かつ重大な損害の禁止。

2−16 これら協定のうち2つは、1948年のジェノサイド法及び1949年のジュネーヴ協定法を通じて連邦王国法に直接取り入れられた。ゴードンの「スコットランド刑法」(前出)はこの2つをスコットランドの裁判所で適用される国際法として引用している。

2−17 国際法の2大原理

第一に「国は民間人を決して攻撃対象としてはならず、従って民間と軍事目標を区別できない兵器を決して使用してはならない」、

第二に「戦闘員に不必要な被害をもたらすことは禁止される。従って戦闘員にこのような害を引き起こす、或いはその被害を無用に悪化させるような兵器の使用は禁止される」(国際司法裁判所勧告的意見)。

2−18 裁判所は人道法の原則や規律がユス・コーゲンス(即ち、無視することが許されない一般国際法の決定的規範)の一部であるかどうかを考察していないが、何人かの判事は個人的声明や意見の中でこの主題に触れた。例えばベジャウイ長官は、慣習的国際法の原則と規律のほとんど、特に上に触れた2大原理がユス・コーゲンスの一部であることを疑わなかった。彼は「私は人道法の原則と規律のほとんど、いずれにせよ、無差別の結果を伴う兵器の使用と不必要な被害をもたらす武器の使用をともに禁止する二つの原則がユス・コーゲンスの一部たることを疑わない」という。

続けて彼は次のことを想起させる。「当裁判所は、これらの規律が『国際的な慣習法の不可侵の原理』を成すと明確に述べた」(国際司法裁判所勧告的意見、ベジャウイ長官の声明)。

2−19 国際法の拘束性

ここに挙げた声明、協定及び条約はひっくるめて、連邦王国において拘束力のある現代の慣習的国際法の核心を形成するものであること、連邦王国がそれらに従うことにずっと反対しなかったとおりである。実際に、連邦王国はこれらの条約が確かに一般的慣習法の一部を成すことに一貫して同意してきたし、それらの慣習上の地位を肯定した国際法廷による決定に調印してきた。

2−20 例えば連邦王国はこれらの慣習法を以下において確認した:

@)1929年ジュネーヴ協定の違反は戦争犯罪を構成するとしたニュルンベルク国際軍事法廷において

A)旧ユーゴスラヴィアが1997年のタディック事件で4つのジュネーヴ協定に共通する第3条に違反したことについての国際刑事法廷の審判会議決定において

B)第二次世界大戦の容疑者はそれらの行為が1945年に慣習法上の犯罪であったが故に不遡及原則に反することなく裁かれ得るとした、1980年戦争犯罪法についての連邦王国政府の承認において

言い換えると、核兵器使用に適用される国際法は、ルワンダ及び旧ユーゴスラヴィアで起こった戦争犯罪を裁くために何の遅滞もなく用いられているのである。

2−21 核兵器の一般的不法性

ここで、かつてヒロシマ・ナガサキの犠牲者のために提起された唯一の事例がシモダ事件で、原爆投下は国際法に違反し、実質的に戦争犯罪であったことを肯定したことに留意しておくのがよいであろう(リュウイチ・シモダ対国、1963年)。

2−22 国際司法裁判所意見の全文及び趣旨は、緊急の場合でさえ威嚇ないし使用が不法になりかねない旨を議論している。

国際司法裁判所勧告的意見は「核兵器の威嚇乃至使用は一般に、武力紛争時に適用される国際法の規律、特に人道法の原則と規律に反するであろう」と指摘した。

また国際司法裁判所意見は核兵器の使用が国際法に反しないような状況はないと想定しつつ言う、「小規模で低爆発力の戦術核兵器の『きれいな』使用というような、一定状況下で核兵器使用の合法性を主張するいかなる国も、このような限定的使用が実行可能と想定されても、このような使用を正当化する明確な状況が何かを示していないばかりか、このような限定的使用が高爆発力の兵器の全面的使用へエスカレートすることはないのかどうかも示していない」と。

国際司法裁判所は「核兵器の無二の特徴、特にその破壊力、測り難い人間の被害をもたらす力、来るべき世代に害をもたらす能力」を認識する。

これらの無二の特徴に鑑みて国際司法裁判所は「このような兵器の使用は実際にかの要件の尊重とはほとんど一致し難いと思われる」と判断した。

国際司法裁判所は「あらゆる核兵器の性質そのものとそれに関わる巨大な危機は、自衛の場合に比例原則に従って核兵器を行使し得ると信じる諸国が念頭に置くべき今後の考察である」と判断した。

国際司法裁判所は「国が武力行使の用意があると布告する場合、それは、国連憲章、武力紛争に適用される法の原則と規律に一致した武力行使でなければならないが、この中心には圧倒的な人間性の考察が据えられている」と判断した。ヨーロッパ人権裁判所は人道的考察が国の安全性に優先することを承認している。例えば1997年のチャハル対連邦王国事件では、ヨーロッパ人権協定第3条が「関係者の行為の如何によらず、拷問や非人間的或いは侮蔑的な処遇乃至処罰を禁止」していること、「そこからの如何なる後退も……一国の生命を脅かす一般的緊急事態においてさえ不可能である」ことが宣言された。

国際司法裁判所は「(人道法の)基本的規律は、それらを含む諸協定を批准したか否かに関わらず全ての国によって遵守されるべきである、というのは、それらは国際的慣習法の不可侵の原理を成すからである」と判断した。

2−23 結局、勧告的意見は全体として、不法と推定されることを示している。従って私は、この意見に照らしてトライデントが不法でないと証明する責任を負うべき者は訴追側であると主張する。訴追側がこの挙証責任を果たし得なければ、メイタイムの非武器化について私には「合理的免責」があったと論じられる。

2−24 核兵器の合法的使用の可能性

国際司法裁判所が残したと思われる唯一可能な抜け穴は、国際司法裁判所が次のように述べたところであった。即ち「全体としてみた場合の国際法……及びその裁量にある事実的要素の現状を考えると、まさにその生存が問われることになるような自衛という緊急状況における国による核兵器使用の合法性或いは不法性に関して、当裁判所は決定的な結論に達し得ないと認めざるを得ない」と。

2−25 しかし、国際司法裁判所長官が、そのことは「核兵器の威嚇ないし使用の合法性の承認にドアが半ば開かれているとは、どうあっても解釈され得ない」と述べたのは重要である。

2−26 全ての判事が意見を付け、その多くが極めて詳しく、細かく理由付けているのは注目に値する。これらの補足意見を読むと全く明らかになることは、14の裁判官のうちの6人(ラニェヴァ、ヘルツェフ、フェラーリ・ブラヴォ、シャハブディーン、ウィラマントリー及びコロマ)は皆、核兵器の威嚇・使用は常に不法となると考え、さらに2人の裁判官(ベジャウィとヴェレシェティン)は、核兵器の威嚇や使用は合法とは考えられないけれども、国際法の現状には核兵器のようなものは禁止されていると断言させ得ないものがあると論じたことである。このことは国際法の特定の学説を反映しており、そこでは、許容と禁止は個々に確定されるべきであって単純に他方の譲歩によるのではなく、これは国際法の不完全な性質(と考えられている)から来るとされる。ベジャウィは、105 2(e)節の採決に際して自分が何故キャスティング・ヴォートを行使したかを説明するために特に声明を書いた。声明の11節で彼は非常にはっきりと、「私は、当裁判所がこの状況陳述以上に進めないでいることが、核兵器の威嚇ないし使用の合法性の承認にドアが半ば開かれているというようにはどうあっても解釈され得ないという事実を、いくら強調してもし足りない」と述べている。また彼は「当裁判所は、核兵器が全人類を破滅させる可能性をもつ手段を成すという事実を見なかったときはない」と述べた。20節で彼は「従ってこの盲目の兵器の性質こそが、使用兵器のタイプの識別を規律する人道法を不安定にする効果を持っている」と言っている。要するに8人―多数―の裁判官は、核兵器の威嚇・使用が合法とは考えられないと信じたのである。

2−27 イギリスの核兵器の不法性

国際法の原則を、戦略的国防の再検討及びNATOの戦略概念文書に描かれているような現在のイギリス国防政策に従って配備中のトライデント・システムに適用し、これを核弾頭の破壊力とその仮想目標の脈絡に置くと、イギリスのトライデントが不法であることは明々白々である。100ないし120キロトンのトライデント核弾頭は、モスクヮ及びその周辺の特定の軍事目標に宛てられている。これら個々の核兵器のこのような使用は民間と軍事目標を区別することができないばかりか、そのように意図されてもいない。核兵器がこのように目標設定される理由は、大量破壊で威嚇して戦争を抑止しようとすることにある。恐ろしい問題は、核抑止が失敗して挑発が為されれば、大量破壊が現実に起こるということである。トライデントの目的は「測り難く認め難い」危機を恐れさせ、作り出すことである。「核抑止」の要点は、如何に粉飾されようと、大量破壊で威嚇することに尽きる。これは犯罪的である。

2−28 イギリスの戦争犯罪

核兵器の威嚇乃至使用は「武力紛争時に適用される国際法に一致し得る」ものでなければならない(国際司法裁判所勧告的意見)。

国際司法裁判所の確認によれば「諸国は決して民間人を攻撃対象にしてはならず、従って民間と軍事目標とを区別できないような兵器を決して使ってはならない……諸国はその使用する兵器における手段の選択について無限定の自由を有するものではない」(同前)。

2−29 従って、民間人を的にする威嚇は、挑発されたわけではない攻撃であれ、報復であれ、不法である。1995年11月15日、連邦王国が国際司法裁判所の前で為した口頭陳述においてニコラス・ライエル氏は「軍事目標でさえ、攻撃することが、予定された具体的かつ直接的な軍事的有利に比べて大きすぎるような間接的な民間の犠牲者や民間の財産的損害をもたらすことになれば、攻撃してはならない」と述べた(同前)。

100キロトンのトライデント核弾頭は民間と軍事目標を区別するにはあまりにも強力に過ぎ、その長く持続する効果は空間的にも時間的にも抑えられず、従って国際法に反する。

2−30 私たちは、一般的な問題を考察するよう要請された国際司法裁判所と同様には拘束されず、問題をより特殊化し得る「その裁量下の事実的要素」(同前)を持たなかった。私たちはイギリスの核兵器システムの特殊的事実を見ることができ、従って48基の100キロトン弾頭、或いは1基の100キロトン弾頭さえ、国際司法裁判所意見の原則と解釈に照らして合法的に用いられ得るかどうかを裁き得る。

2−31 私は、現にトライデント潜水艦に配備されているようなイギリスの核兵器の使用が、国際刑事裁判所法第8条(2)(b)C及びDに定義される戦争犯罪を構成することになると主張する。

「戦争犯罪とは……確立された国際法の枠組みの中で、国間の武力紛争に適用される法及び慣習の重大な違反を意味する、つまり以下の行為のいずれかである……(C)このような攻撃が、予定された具体的かつ直接の包括的な軍事的有利に比べて明らかに大きすぎる、付随的な生命の損失や民間人の被害、或いは民間財産の損害や広範で長期に亙る重大な自然環境破壊をもたらすであろうと知りつつ為す意図的な攻撃、(D)どんな手段によるのであれ、無防備で非軍事的な対象である町、村、住居や建物の攻撃乃至爆撃」(国際刑事裁判所に関するローマ制定法)。

2−32 私は、イギリスの核トライデント・システムが地球上の全生命に対する切迫した進行中の危険、国際平和の脅威であり、国際司法裁判所意見の用語に当たる不法であると信じる。

国際司法裁判所は事柄を極めて簡明に示す。「その性質自体から……核兵器は……巨大な量の熱とエネルギーのみならず強力かつ長期の放射能をも放出する……。これらの特徴は核兵器を潜在的に破滅的なものとしている。核兵器の破壊力は空間的にも時間的にも抑制できない。それらはこの地球の全文明と生態系全体を破壊する可能性を持つ」(国際司法裁判所勧告的意見)。核兵器一般に関するこの叙述は、個別にイギリスの核兵器システムに関してぴったり当て嵌まる。

スコットランドはイギリスの核装備トライデント潜水艦の母港である。ここには常に1隻のトライデント潜水艦が常駐し、24時間継続してパトロールしている。トライデント潜水艦はそれぞれ100乃至120キロトンの弾頭を48基持つ。100キロトンといえばヒロシマに使われた爆弾の8倍以上も強力である。このヒロシマの破壊はシモダ事件で戦争犯罪と規定された。

「現在、イギリスの核の能力の規模とその配置の仕方は、それが依然として主にロシアに向けられていることを示唆している。モスクヮ地域の仮想標的に対して1隻の潜水艦の弾頭を使う攻撃は、300万以上の死者を結果するであろう……また……大量の死の灰も市街地に降り注ぐであろう。数千の人々がこの灰によって4週から12週ぐらいの間に死んでゆくであろう」。考えられる別の標的はロシア北部のフリート潜水艦基地である。イギリスではどの主要な潜水艦施設の近くにも町や村がある。同じことはムルマンスク近辺のロシアの基地についても言える。これらの基地の上空で爆発するトライデント弾頭は広い地域に亙って荒廃をもたらし、どの場合にも市街地に数千の民間犠牲者を生むであろう(ジョン・エインスリーの証言、1999年3月)。影響を受けた地域は救助員や将来そこを使おうとする市民にも危険であろう。

2−33 文明国によって承認された法の一般原理によれば、人は自分の行動の必然かつ予見可能な結果を意図していると推定される。

2−34 戦争犯罪の準備はそれ自体戦争犯罪である

戦争犯罪の準備がそれ自体犯罪であることは、国際刑事裁判所法第25条(3)に明示されているとおりである。「本法により、以下の者は、当裁判所の管轄内での犯罪に刑事責任を負い、処罰に服するものとする……(c)上述犯罪の実行を容易にする目的で、その実行または実行手段の提供を含む実行企図において教唆、煽動その他幇助する者」(国際刑事裁判所に関するローマ制定法)。

これは「共同計画または共謀……に加わる煽動者、共犯者」についてのニュルンベルク国際軍事法廷憲章第6条の最後の節のような様々な先例の頂点である。

2−35 私が阻止しようとしていた犯罪活動は、イギリスの核兵器の配備、威嚇及び使用であった。首相以下国の閣僚は核兵器使用の計画と準備に携わり、そこにおいて彼らは、合法的には決して使われ得ないような規模で核兵器を積極的に配備している。これらのことは、国際法において個人的刑事責任を負う活動である。目下のイギリスの核兵器の如何なる使用も明らかに不法であろうから、政策作成者、国家公務員、研究者及び技術者は慣習的人道法の重大な違反の計画と準備、それ自体国際法上の犯罪に携わっている。言い換えれば、不法な大量破壊兵器の配備にとって基本的な研究をする実験室で働くことは、それ自体不法である。国際刑事裁判所に関するローマ制定法によれば、それは戦争犯罪実行のために手段を提供するものと考えられよう。-

2−36 イギリス政府はどうして自分たちがその核兵器を合法的に使い得るのかを、国際司法裁判所にもイギリスの世論にも決して説明しなかった−彼らは一つの仮定的な.を示すことさえできなかった。ここで、TP2000がこれらの論点について政府と交わした文通の中の、私が証人席から提示した証拠に触れよう。政府は実際に、自分たちが正確な状況を決して予見することができず、従って核兵器を使う時が来るまでは合法性を決めることができないと言うのに極めて慎重であった。私は、彼らが適切な独自の法的検討を明らかにすることはできないし、しようともしないのは明々白々であると考える。政府がお決まりのように使う表現は次のようである。「ある核兵器のある特定の使用が合法であるか否かは……そのような使用が考慮されている時点に関わる全ての状況に照らしてのみ決定され得る。起こるかも知れない状況を前もって、確信をもって正確に予想することは不可能であり、個々の仮定の事例をあれこれ考えるのは何の役にも立たないであろう」(1997年10月23日付、国防省ハーゼル・フィンチからアンジー・ゼルター宛の手紙)。

このような法的検討や演習が以前に為されなかったとすれば、核兵器の実際の使用の十分な法的検討は、そこにおいてまさにイギリスの生存が問われ得るような自衛戦争の真っ只中で為され得ると考えるのは、もちろん馬鹿げている。ところで国際司法裁判所意見によれば、このことは、核兵器の使用が正当化され得る唯一の状況なのである。イギリス政府が、法的検討のために世界共同体によって公の領域に提示され得るようなどんな仮定の事例にも到達し得ないという事実は、それがどこにも存しないことを示すものである。

2−37 自衛

国際司法裁判所は「自衛の法の下で釣り合いの取れた武力行使が合法的であるためには、同時に武力紛争に適用される法、特に人道法の諸原則と規律から成る法の要件を満たしていなければならない」と判断した。

2−38 1995年11月15日にニコラス・ライエル氏が国際司法裁判所に示した口頭の提案をごく簡単に見ることによって、連邦王国の主要な障害を指摘するのが有用と思われる。それは、この国の精神状態が核抑止の思考に慣れ切ったために人道法がある所以を忘れていることを見事に示している。「疑いなく、戦争に関する慣習法は核兵器のある使用を禁止し、同時にあらゆるタイプの兵器のある使用をも禁止する」ことを承認した上で、彼は、国が圧倒的な敵の兵力による侵略に直面するという状況を念入りに作り上げて、先のことを台無しにしている。彼は言う、「使える他の手段が全て不十分であるとすれば、核兵器の使用が何としても不釣合いであるなどと、どうして言えるのか? 侵犯の犠牲者は防衛手段が与えることになる被害の程度の故に自らを守ることさえもはや許されないところまで来ていると示唆されるのでない限り」(国際司法裁判所勧告的意見より引用)と。

しかし、これこそが国際的人道法の要諦である−戦争の恐るべき効果を限定し、紛争後にもなお生きるに値する世界と何者かがあるよう確保することが意図されている。そのことは、正当とされる自衛の真っ只中でさえ自己抑制することを意味する。

2−39 コロマ判事が述べているように、「自衛の権利は全ての国にとって生来的であ

2−40 裁判所長官、ベジャウィ判事によれば、「自衛―まさに国の生存が問題となる緊急の状況において行使される場合―は、国が国際的人道法の『不可侵の』規範の遵守を自ら免除するような状況を生み出すものではあり得ない……。従って、国の存亡をすぐにも他の全ての状況の上、特に人類そのものの存亡の上に置くのは、全く無謀であろう」(同前)。

2−41 連邦王国を代表して国際司法裁判所の聴聞に出たクリストファ・グリーンウッドさえ、後、1997年1月に国際赤十字委員会から出版された勧告的意見に関する一連の論文に寄稿したが、次のように論じた。「人道法の諸原則を踏み躙ってまで自衛の必要性を許すことは、過去の世紀に亙って作られてきたこの法における進歩を危うくするものであり、『正義の戦争』の理論への復帰という幻影を呼び出すものであろう。幸いにも、この裁判所はそんなことをするつもりはなかったと思われる」(1997年1月、国際赤十字委員会)。

2−42 TP2000は他の諸NGOとともに、連邦王国がトライデント核兵器の合法的使用であると考えることの明確さ、例を訊ねてきた。率直な答えは決して示されなかった。私たちは、イギリスのトライデント核兵器が『敵』の心に想像もできない恐怖の念を起こさせ、大量破壊を威嚇するために使われていると信じている。これは不法である。海の真中の軍事力或いは砂漠の真っ只中の1台の戦車を標的とする1キロトンの核弾頭の使用が合法とされることは考えられないではないが、通常兵器のほうが核への拡大という不当な危険を冒さずにうまくやると言えよう。いずれにせよ、このことはトライデントに考えられていることではない。今イギリスのトライデント潜水艦に配置された現実の弾頭を見れば、連邦王国が全ての弾頭を1キロトン以下にまで下げてはいないこと、国防省が考えている標的の全てではないにせよほとんどが街や都市、つまり市民の居住地の近くにあることが分かる。これらを現在のトライデント核弾頭で狙うことはいずれも、市民の生命を大量に失うことになろうし、従って不法となろう。

2−43 さらに、現在の連邦王国の公式の政策は明らかに、核威嚇の使用を「自衛という緊急状況」に限定していないことを示している。明らかに政府は、連邦王国が実際に「その生存そのもの」の恐れというような危険にないことを認めた。政府主導の「戦略的国防の再検討」は「冷戦の終結は我々の安全保障の環境を変えた。世界は冷戦の影の中に生きていない。周知のように、もはや西欧や連邦王国に対する直接の脅威はなくなり、如何なる我々の海外の地域に対しても重要な軍事的脅威は見当たらない」と述べている(1998年1月)。

2−44 今やイギリスの生存が脅威の下にない以上、トライデント潜水艦の現在の配備は、いくら政府が現実に配備されているのは1基が1キロトン以下の核弾頭でしかなく、1隻につき148乃至120発の弾頭しかないことを引き合いに出したところで、不法であろう。

2−45 不可欠の利益の防衛

明らかに、イギリスの核兵器の配備と政策が自衛や他の核所有国からの核攻撃に対する報復にさえ関わっていないばかりか、「我々の不可欠の利益を少しでも守るため」でもないことは、リフキン理論に表明されている通りである(「連邦王国の防衛戦略」、マルカム・リフキンのロンドン、1993年1月の演説)。「戦略的国防の再検討」(前出)は特に軍事力を「政治的目標を支えるのにどうしても必要な道具」と見るが、報告の後のほうではこの目標を経済・石油関連のものとはっきり同視している。政府は「再検討」の中で、トライデントが「準戦略的役割」を果たさなければならないこと、それらは核を持たない「ならず者」政府に対して、世界のどこであろうと不可欠の利益に対する攻撃に報いるために「低爆発力の」弾頭を使うよう予定されていることを述べている。これは不法である。

2−46 マレー卿(前スコットランド法務長官)が「核兵器と法」という講演で指摘したように、1キロトン爆弾でさえ「半キロ以内の建物を全て、1キロまでなら50%に及ぶものを吹き飛ばし、暴風は25キロの風下まで死の灰を運ぶことであろう」(1998年10月15日、オクスフォード・タウンホールでの講演)。

2−47 1998年2月のイラク危機の際、イラクに対して核兵器の使用も辞せずという話があった。いくら想像を逞しくしても連邦王国やアメリカ合衆国がイラクによって抹殺されるという脅威の下にはなかったから、このような使用はいずれにせよ不法であろう。国際司法裁判所によって未決定のままに残された唯一の合法性の抜け穴が「生存そのものが問われるような、自衛の緊急状態」であったことを想起して欲しい。

それでも2月17日、下院の討論において外相ロビン・クックは、サダム・フセインが空爆に対抗して化学兵器を使おうとすれば「相応の反撃があるであろうと知らねばなるまい」と述べた(国会議事録、1998年2月17日)。

後に外務省筋は、イラクによって米軍に加えられる化学攻撃に対する合衆国の反撃は「惨憺たるもの」になろうと述べた。

1月27日のペンタゴンの報道向け説明の中である職員は、大統領が「大量破壊兵器には我々の大量破壊兵器で応えることを除外して」いたかどうかを聞かれた。彼は「その点について我々が何かを除外するとかしないとかは考えられない。我々の立場は極めて積極的に応じるであろうということである」と答えた。

2月18日、4時のBBCラヂオのインタヴューで国防長官ジョージ・ロバートソンは核の選択を否定する機会を与えられたが、彼は否定しなかった。この間、トライデントは2月17日にファスレーン基地を後にして予定外のパトロール中であった。これらのことは全て、核兵器が考えられ得ることを示す信号と理解される。そう理解されると言われていた。

2−48 この見方は、シュウェーベル判事によって、その少数意見の中で確証されているが、彼は大量破壊兵器の地球規模の増大に関する上院の聴聞でエケウス大使の証言を伝えている。これは、イラクが自分に対して核兵器を使う脅威を感じていたことを示している(国際司法裁判所勧告的意見、副裁判長シュウェーベルの少数意見)。後、イラクとの危機が続いた年、合衆国及び連邦王国の空爆に加えて、トライデント潜水艦―ヴァンガード―は11月最後の数日間ジブラルタルに出没することで地中海におけるその存在を明らかにした。これはまさしく、政治的危機や技術的な間違いが意図せざる惨事をもたらしかねない類の状況である。

2−49 およそ留意すべきことと思われるのは、核抑止の目的が全体として意図するところを不確かなものにすることであるということである。このことは、連邦王国政府がその「敵」をして進んで法に違反させかねないようにすべきであるということを意味する。これはNATOドクトリンに全く明確である。例えば1991年のNATO戦略構想文書で38項は、核兵器が主要で常に必要なのは、それらが「如何なる侵害のリスクをも予想し難く受け入れ難いものにする点でユニークな寄与を為す」からであると述べている。

核兵器の効果が予想し難く受け入れ難いものとすれば、それは不法であることにもなる。核兵器は、それらが不法な脅威を生むのに使われ得る限りでのみ、有用なのである。しかし、このような政治的二枚舌は法の裁きでの争点となるべきではない。核抑止は公認の連邦王国の政策かもしれないが、そのことは核抑止を合法とするわけではない.

2−50 ここで国際司法裁判所意見に使われた表現を強調させていただきたい−国による、核兵器の唯一可能な合法的使用、従ってまた合法的威嚇は、この場合でも明確にではなくておそらく、「そこにおいて国のまさに存亡が,われている、自衛の緊急の状況において」であろう(国際司法裁判所勧告的意見)。どこか外国にいる軍隊の生存ではなく、まさに国そのものの生存である。

2−51 集団自衛

「まさにその存亡」と表現されたこの叙述には、国は、その存亡が問われている他国を守るために自分の核兵器を使い得ないということも含まれている。連邦王国及びNATOの政策は、核兵器が集団自衛に使われ得る余地を残している。言い換えると、連邦王国が、例えばイラクがクウェートを侵略したときのように、他国の防衛に核兵器を使う権利を留保していることは、国際法違反なのである。

2−52 核抑止の犯罪性

さて、イギリスの核兵器の使用が不法であり犯罪的であるのと全く同様に、それらを使う威嚇自体もそうであるが、この威嚇とは、トライデントの配備及び私たちの政府が核抑止に依っていることに他ならない。この点については、ボイル教授の論文「核抑止の犯罪性」(1999年)を参照するより良いものを知らない。フランシス・ボイル教授は第47節の全部を引用しているが−彼はここを勧告的意見の最も重要な部分と呼んでいる。この節は以下のようである:

「不法な攻撃のリスクを減らす、或いはなくすために、国は時として、その領土の保全或いは政治的独立を侵害する如何なる国に対しても自衛に用いる核兵器を保有することを伝える。一定の事態が発生したとき、伝えられた武力行使の意図が憲章の2条4項に言う『威嚇』であるか否かは、様々な要因に依る。目論まれた武力行使がそれ自体不法であれば、述べられた行使の用意は憲章2条4項の下で禁止される威嚇であろう。従って、国が、他国から領土を守るため、或いは一定の政策的若しくは経済的進路に沿わせるために武力の威嚇をするのは不法であろう。憲章2条4項の下での武力の『威嚇』及び『使用』の概念は、武力行使そのものが所与の場合に不法であれば―理由は何であれ―そのような武力行使の威嚇はやはり不法となるという意味に繋がっている。要するに、それが合法であるべきだとすれば、言明された国の武力行使の用意は憲章に合致する武力行使でなければならない。その他について、どの国も―抑止政策を唱えるものであろうとなかろうと―、意図された武力行使が不法であっても武力行使の威嚇は合法であることを当裁判所に提示しなかった」。

フランシス・ボイルは、勧告的意見からのこの章句が、いわゆる核抑止の基礎を全体として合法であるとすることを直接に疑わせると説く。彼は言う、「大量抹殺の実行が明らかに不法であり犯罪的である以上、大量抹殺を実行するという威嚇はやはり明らかに不法であり犯罪的である。従って核抑止は明らかに不法であり犯罪的である」と。

彼は続けて詳論する。「都市の抹消、数百万の人間の大量抹殺が明らかに不法である以上、国がそうすると威嚇するのも不法である。このことはそのまま、現に世界の核保有国によって実施されている核抑止の全てである。即ち、相互に約束された破壊、頭文字を取ればマッド、狂気である」と。

2−54 イギリスの、平和に対する犯罪

さらに、国際司法裁判所意見は「核廃絶に誠実に取り組む義務に関する、核兵器不拡散条約第Y項の真の重要性」を認めた(国際司法裁判所勧告的意見)。

全員一致で「厳格で効果的な国際的管理の下、全局面で、核廃,をもたらす取り組みを誠実に追求し、結果を実現する義務が存在する」と規定した(同前)。

「この義務の法的重要性は……厳密な結果−その全局面における廃絶……である」と特記する(同前)。

2−55 世界の核保有国のどこもがこの、慣習的及び協定上の国際法の義務を果たしていないことは明白である。これは実際にニュルンベルク原則Y(a)に定義されている平和に対する犯罪であり、そこでは平和に対する犯罪とは「国際的な条約、合意若しくは誓約に反する戦争の……計画、準備、着手若しくは遂行……、前述の何らかの行為を実行するための共同計画乃至共謀への参加」であるとされている(前出)。

2−56 連邦王国はそのトライデント・システムをすぐにも廃止するつもりがないことを明らかにしている。「戦略的国防の再検討」は中期的にトライデントの改良計画を特記し、長期的には交替させる選択肢を明記する。最近の報道が暴露し、「第二のシュヴァーリン・スキャンダル?」と題されたM.P.アラン・シンプソンのレポートが示しているのは、1億5千万ポンドを要するアルダーマストンの新しい更新計画と、核弾頭を改良する合衆国の「トライデント二世」計画との関連の証拠である。イギリス、フランス、合衆国の間で科学協力が進んでいることが証明されている。シンプソンのレポートは次のように結んでいる。「イギリスが今、現在のトライデント核弾頭に代わるモデル・デザインの進展に関わっていることの強い証拠があ

2−57 連邦王国がトライデントの廃止を拒んでいるのは、国際司法裁判所意見と核不拡散条約第6項を愚弄するものである。新たな核兵器の引き続く開発は、世界秩序にとって深刻な不安である凶悪な力の濫用であり、国際法違反を成すものである。

2−58 さて、証明すべき6つの要件のうちの4番目に移ろう。

C) 私はこの犯罪が現に犯されており、切迫していると真面目に信じている。

これまで引用してきた事実についてはほとんど争いがなく、約100キロトンの核弾頭を少なくとも48基搭載した少なくとも1隻のトライデント潜水艦が常時パトロールしているという事実についても、ない。歴代のイギリス首相(トニー・ブレアを含む)はみな、核兵器発射を認める必要があれば喜んでボタンを押すと述べてきた。

2−59 私が過去20年間、核兵器の非道徳性、非人間性、また不法性を真面目に信じてきたことは、証人席で宣誓の下で説明した通りである。私の言動と行動は、核兵器の配備によって重大な犯罪が犯されており、これらの犯罪は進行中の、直接的で現在の切迫したものであると私が真面目に信じ、信じ続けていることを、あなた方に充分確信させたと思う。あなた方の前に提出されている証拠はそれ以上に、私の信念が単に個人的な誤った信念ではなくて、実際に合理的で事実の証拠に基いたものであることを示していると望む。

2−60 D) 私は自分の行動と犯罪の防止の間に実践的な繋がりがあると合理的に信じている。

核兵器の威嚇と使用という国際的人道法の重大な侵害の防止は、複雑で、長期に亙る極めて多くの人々の行動に関わっている。犯罪という言葉は実際には一つの単純化である−それは、非常に多くの別々の犯罪から成っている。時々刻々、一つの核勢力が或いは国連の廊下の裏で、或いはその「機密」文書や交渉において、さらには公然とあからさまな脅しで、その核兵器を使うと威嚇し、時々刻々、トライデント潜水艦が核弾頭を積んでパトロールに出かけ、或いはまた、新しい弾頭が製造され、研究され、実験が行われているのだが、これらの一つひとつが別々の犯罪であり、全体としての地球規模の核犯罪の総体に加わっており、私と他の多くの人々はこれを止めさせようとしているのである。

2−61 言い換えれば、核兵器を使うと脅して現実にトライデント・ミサイルを配備する犯罪が進行中で切迫しており、地球市民のそれを阻止する行動が緊急に求められている。阻止には数年かかるかも知れないし、もっと効果的な多くの非武器化行動を必要としようが、だからといってそのことは行動の緊急の必要を無にするものではない。阻止に至る過程は永く複雑であり、多くの人と様々な行動に関わるからこそ、犯罪を阻止する実践の別々ではあるが必要な要素を無にしない。

2−62 私たちの行動のようなものは、もっとも単純なレヴェルにあるとはいえ、私たちの「指導者たち」が敢えて核兵器を使おうとするのを阻止する力を持つ。このような一貫した型然とした圧力がないと、指導者たちはしばしば、彼らが今やっているのよりもっと犯罪的で非人間的な行動さえ、うまくやれると思うであろう。民主国家というのは単なる贈り物や権利ではなく、むしろ責任である。自分たちの政府による非人間的な行為の実行に対して市民が責任もって反対し抵抗しなければ、政府は絶えず腐敗してゆきかねない。

2−63 核兵器犯罪は非常に巨大で、非常に頑強で、非常に動かし難く見えるから、私たちの多くは自分が全く無力と感じ、それを防ぐために何かできるなどと思わない。しかし私は、めいめいが平和的で責任を持てる仕方でできることをすれば、それが変化を生み、犯罪を防ぐことになると信じる。6月8日、TP2000運動の中でウラ及びエレンと共に取った私の非武器化行動はそのような行為であ

2−64 さらに私たちの行為は、トライデント及び核兵器の不法性だけでなく、一見、核犯罪と繋がっていないように見える、トライデント・システムを基本的に支え準備する部分の全ての不法性についても、一般の関心を向けさせることになった。既に明らかにしたように、戦争犯罪の準備及び支持はそれ自体戦争犯罪である。DERAがメイタイムで実施した研究は、トライデントを海洋の下に隠す基本的要素であった。その非武器化は包括的な犯罪を阻止するのを助ける。

2−65 私たちの非武器化行為はまた、核兵器を使うという脅しの不法性に当裁判所の関心を向けさせた−おそらく当裁判所は、世界の他の部分の人々と同様に私たちを釈放できると感じられたことであろう。無罪釈放は法の規律を強化し、法の基になっている基礎的な道徳性を再確認することであろう。司法の独立を強化し、法の基本原則を支えることであろう−即ち、全ての人及び機関は法を遵守すべきこと―政府及び軍は個人と同様に法を遵守すべきこと―何人も法の上にはないこと―何人も数百万の無辜の生命を脅かし得ず、永久にそんなことをやり遂げ得ないこと―正義が優先しなければならない時が全てのシステムに来ていること、である。

奴隷制が廃止されるまでには数10年の市民的抵抗を要したが、その間にも、逃亡奴隷法に違反して奴隷の闘争を助けた個人がしばしば無罪とされ、変化の過耽を助け、ついに奴隷制は禁止された。今日、ピノチェトを母国人民に敵対した罪について法廷に立たせる一貫した企てが見られ、ミロシェヴィチを基本的な人道主義的原則に反したことで国際司法裁判所に召喚する企てがある。願わくば、全ての裁判所が、核兵器システムは基本的正義に合致し得ないと認め、核兵器システムの非武器化によって「公の」大量殺人を防ごうとする者を無罪とする時が来ているであろうことを。

2−66 E) 私の行動はその状況において合理的であること、つまり別の形の行動を考えたが犯罪を防ぐのに有効なことは他に為し得なかった。

私の証言を思い出していただきたいが、その中で私は過去数年に及ぶ私の自発的な平和活動を証明した、つまり、事態を変えるために従来認められてきた手段の全てに訴えたのである−議会に陳情し、請願し、手紙を書き、デモをし、徹夜で祈り、集会を組織し、論文を書いて公表し、軍事基地の外側に座り込んだ。私と同じような世界中の数百万の人が、過去50年もの間、こういったことをしてきた。これは誇張に聞こえるかも知れないが、それは多分、冷戦のピーク時、ハイドパークのデモに25万の人々が集まったことを忘れているからである−しかもイングランドだけのことである。人類の大多数が、核兵器は不道徳、不法、危険、資源の浪費であり、廃絶されるべきであるということに同意する限り、私たちは続けている。

連邦王国においてさえ、1997年に行われたギャラップ世論調査によれば、連邦王国の計59%の人が全体として、イギリスは核兵器を持たないのが自分たちの共同体の安全にとってベストであ

2−67 現在のTP2000運動は、私たちのメイタイム非武器化もその一部であるが、特に公然かつ責任を持って、敢えて首相、法務長官、ファスレーンの基地司令官に私たちの核犯罪阻止の誓約、非暴力と安全の誓約、私たちの氏名・住所を詳しく書いて知らせ、私たちがいつ、どこで何をしようとしているのかをはっきり詳しく説明してきた。ファスレーンとクールポートにおける最初の公然非武器化行動についてはたっぷり5ヶ月前に予告をし、非武器化行動を極めてゆっくり広げていって、その間、定期的に更新した会員の名前とトライデントの不法性に関する一貫した質問によって対話のためのドアを開けていた。私が証人席から様々な会iの名前を読み上げ、首相宛の2通の「公開質問状」を含む少なからぬ数の手紙を示したことを思い出していただけよう(証人席からの陳述と付属資料−官庁との通信)。

2−68 私たちの誓約と共同声明から、メイタイムの非武器化がこの状況において合理的であったことは全く明らかであると思う。私たちの行動は、いつも非暴力的で穏やかで愛に満ちたものでありたいという願いによって限定されてはいるけれども、10の異なる国からの143人の会員を持つ運動の一環であり、全iが数年に亙ってトライデント・システムを非武器化する一貫した企てを為す、或いは他人がするのを支持すると誓っていることにおいて有効と考えられたものである。私たちには、支持する40人の連邦王国国会議員、120の支持組織があり、既に5000人以上の人が私たちを支える請願に署名している。この成長する運動は、既に第4のトライデント、ヴァンジェンスのテストと配備を遅らせることができたことを示しているし、他のトライデントが、たとえ一度に僅か数日或いは数週であっても、現実に使えないようにし得る機会をかなり持っており、圧倒的な圧力が、いつかは政府に私たちのために非武器化を遂げさせることも充分可能である。

どんな政府も、深刻な一般の関心の圧力にいつまでも抗し得ない。私たちの非武器化行動はトライデント・システムの一部をうまく非武器化したばかりでなく、一般の自覚を喚起し、司法、軍、政府に今一度、トライデントが示している認めることのできない危険な力の誤用について警告した。それは、彼らが彼らの制度の中で、核兵器を使うという連邦王国の威嚇を止めるために今やその力を使うことを可能にする。私たちのような人々が何もせず、ただ家に居て、今できることは全てしてしまったと呑気に言っていれば、変化が起こる可能性は極めて少ないであろう。歴史が繰り返し証明するところでは、変化はしばしば、私たちのような平和で直接的な行動によってもたらされる。

あなたがたを煩わせるであろう、従って私が特に話しておきたい事柄の一つは、私の行動、或いは実際、TP2000運動の中の誰かの行動が穏やかならぬ危険なものかも知れないという、あ

2−70 従って、結局のところ訴追側は私が行為について「合理的免責」を有しなかったことを示していない、と主張するものである。彼らは私たちの行動をあまりにも狭く見て、政府と軍隊は「公的に」事を運んでいるのだから、そのことがおのずから事柄を何とか「合法に」すると想定するという、大きな誤りを冒している。大量殺人、質的に遥かに大きい規模にある犯罪活動を止めさせようとしている人々に、窃盗や器物損壊を適用するのは、もっと大きな構図に取り組むのを拒否すること、私に言わせれば法の戯画を作ることである。

2−71 こうして私は、私が全ての訴因について無罪である、なぜなら私には行動について「合理的免責」があ

3.国際法上の抗弁

3−0 シャハブディーン判事は次のように述べた。「ある兵器の使用が人類を抹殺しかねないことが示された以上、その国際社会の良心との背離は、それがどんな場合にもそのような結果をもたらすわけではないということを示したところで実質的に減らないし、国際社会の良心は、奇妙かつ不可能でもあるのだが、あ

3−1 先の陳述において私は、何故連邦王国の核兵器が不法であるのか、どんな国際法に反しているのかを説明した。それを全て繰り返す必要はないと思うが、ただ、そこで提示した議論が、私が防ごうとしていた犯罪を説明し、メイタイムを非武器化する合理的免責があったと論じる点で、この国際法上の抗弁に等しく適用されることを想起していただきたい。要するに−現に配備中のトライデントに搭載されている連邦王国核兵器の如何なる使用も以下の国際法の全てに違反するであろうことを示したのである。

不必要な被害がもたらされ、また民間人の生命の付随的損失が避けられないか減らせない点で、1868年のセント・ペテルスブルク宣言に違反する。

不必要な被害がもたらされ、また中立国の不可侵が保障されない点で、1907年のハーグ協定に違反する。

長期に継続する放射能汚染が無辜の人民の生命・健康の権利を害する点で、1948年の世界人権宣言に反する。

怪我人、病人、弱者、妊婦、民間の病院及び保健所の勤務者の保護が確保されない点で、1949年のジュネーヴ協定に違反する。

軍隊による重大な国際法違反、また環境の広範、長期的かつ重大な損害の禁止に全く従わない点で、1977年の同上補足議定書に違反する。

連邦王国は即時完全核軍縮を取り決めようとしない点で、1968年の不拡散条約にも違反している。

1946年のニュルンベルク原則の下で、上記のものは全て、この第6原則が平和に対する犯罪、戦争犯罪及び人道に反する犯罪を定義していることにおいて犯罪行為と定義される。特にニュルンベルク原則Y(a)は、平和に対する犯罪を「国際的な条約、合意若しくは誓約に反する戦争の……計画、準備、着手若しくは遂行……、前述の何らかの行為を実行するための共同計画乃至共謀への参加」と定義している。

ニュルンベルク原則Y(b)は、戦争犯罪を「戦争の法及び慣習の違反」と定義し、ニュルンベルク原則Y(c)は、人道に対する犯罪を「何らかの平和に対する犯罪若しくは戦争犯罪の、実行或いは関連において行われる……場合に……民間人に対して為される殺人、抹殺……その他の非人道的行為」と定義している。

3−2 国際法にトライしてそれを支持し、戦争犯罪と平和に対する犯罪を阻止するのは、あらゆる市民の権利であり義務である。6月8日メイタイムを非武器化した私の行為は、まさにそうするために考えられた。私は、核抑止の犯罪性についてのボイル教授の論文で、最後の章句を読んで大いに励まされたが、彼はそこに次のように述べている。「世界中のあらゆる人は、世界の核保有国によって目下人間性に負わされているものとしての核抑止という犯罪的活動及びそれに伴う核絶滅という幻影から逃れる基本的人権を有する。全ての人間は国際法の下で、世界の核保有国において当該政府職員によって現在行われている国際的犯罪を阻止し、妨害し、或いは止めさせるという明確な目的のために考えられた、非暴力的な市民的抵抗活動に携わる基本的人権を有する」(前出)。

3−3 世界人権宣言は、基本的人権に関する慣習的国際法の主な典型として、ここで重要である。前文に曰く、「国連総会は、この世界人権宣言を、全ての人民、全ての民族が到達するところの共通の標準として宣言するが、それは、あらゆる個人、あらゆる社会組織が、この宣言を常に心に留めて努力せんがためであり……国の、及び国際的な発展の尺度によって、構成国自身の人々の間でも、その管轄下の地域にある人々の間でも、人権の普遍的かつ有効な認識と遵守を確保せんがためである」と。

のち憲章にまとめられた諸権利を核兵器の使用に調和させることは不可能である。例えば、私たち全員に互いに友愛の精神で振舞うことを要求する第一項を見ただけで、私たちが無差別大量破壊で脅かすとすればこれが不可能であること明白である。

3−4 従って私はこの国連人権宣言の下で、連邦王国の政府と軍部がこの宣言に忠実であるようにする義務とは言わずとも、平和的な特権を持つ。

3−5 ニュルンベルク憲章も、私が国際法の下で犯罪とされたことの実行を防ぐために行為する権限を認めている。国際軍事法廷は、国際法が個人の処罰を予定しているという論点に対して、以下のように判断した。「国際法が国と同様に個人に義務と責任を課しているという事実は、永く承認されてきた……。国際法に違反する犯罪は人によって犯されるのであって、抽象的な存在によるのではなく、かかる犯罪を犯す個人を処罰することによってのみ、国際法の諸規定は実効性を持ち得る……。程度の差はあれ、ほとんどの国の刑法に見られる真の基準は……道徳的選択が事実上可能であったかどうかである」(前出)。

3−6 この義務は国際軍事法廷の憲章第8項から出てくるが、それは次のように述べる。被告人が「彼の政府或いは上官の命令に従って行為した」という事実は国際法上「彼の責任を免れしめるものではない」(前出)。

3−7 同様、第二次世界大戦中に犯された戦争犯罪についてのドイツの産業経営者の公判において、法廷は私人に関して次のように述べた。「国際法はそのものとして、通常の国内法と全く同様にあ

3−8 一つの例は、ナチス・ドイツのガス室で用いられた毒ガス、ツィクロンBを提供し、その国際法違反の故に結局有罪とされ、死刑判決を受けた、ドイツの事業家たちの例である(ツィクロンB事件、「戦争犯罪者の公判報告」1947年)。彼らが事業をしていただけだと述べたこと、仕事を提供したこと、ガスが何に使われるのか知らなかったと言い張ったことは、抗弁にはならなかった。

3−9 私は、国際法が戦争犯罪、平和に対する犯罪、人道に反する犯罪及び人類の平和と安全に反する犯行の実行における共犯について個人を罰するのであれば、推論により、国際法はこれらの犯罪を防ぐために取られた行為の権限を認めるものでなければならないと主張する。数千人の殺人に協力して有罪とされたドイツの産業経営者に戻っていえば、ガスが部屋に届かないようにしようとした、或いはガス発生の研究を防ごうとした如何なる責任ある市民も、たとえ何らかの財産的損害をもたらしたとしても、合法的に振舞っていたこと、全く明白である。

3−10 1945年ニュルンベルク戦争犯罪裁判で首席検察官を務めたジャクソン判事は、ニュルンベルク原則が個人を拘束することをはっきり確認している。彼は次のように述べている。「ニュルンベルク憲章の精髄は、個人がその国によって課せられた国家的遵守義務に優越する国際的義務を負うということである」(フランシス・ボイル「国際法の下での市民的抵抗の擁護」から引用)。

3−11 トウキョウ戦争犯罪裁判は次のように宣言するに至った。即ち、「不法な活動であることを認識し、それについて何かをする機会を持つ者は、その者が犯罪の実行を防ぐ肯定的手段を取らない限り、国際法上潜在的な犯罪者である」(同前)。

3−12 ところで国際司法裁判所はニュルンベルク憲章が核兵器に適用されることを確認している(勧告的意見)。従って軍人は、その上官や政府によって逆の命令が出されていたとしても、ニュルンベルク憲章に従わなければならない。イギリスの軍法マニュアルは、実際にこの原則を強調して次のように言う。「然るべく任命された上司に従うよう拘束されている者が、上司から明らかに不法な作為或いは不作為を内容とする命令を受けるとき、彼はその命令を実行するのを拒否する法的義務に拘束され、彼が命令を実行すれば、そのことについて刑事責任を負うであろう」と。

これは、100キロトンの核弾頭の発射を拒否することを意味しよう。それはまた、トライデント潜水艦がその破壊主義的な大量破壊兵器を積んで波の下に隠れ得るような研究や実験をするのを拒否することを含む。

3−13 従って私は、自分が国際法の下で戦争犯罪その他の国際的人道法違反を防ぐために合理的で必要な手段を取る積極的な義務を有し、この義務がスコットランドを含む各国の国内法に比べて最優先すると主張する。

3−14 しかし私は、裁判所が、これは普通の人には過大な要求である−普通の人が犯罪を防ごうとするのは当り前、と考えたかも知れないのは理解できる。犯罪者は言うに及ばず、脅された人がアウシュヴィッツに向かう列車を止めなかったからといって、実際に道徳上非難に値し得ただろうか? 彼らが権利を有していたのは確かだが、義務を有していたと言うには程遠いものがあろう。国際法違反或いは違反への加担についての個人責任の原則が、誰もが犯罪を防ぐよう行為し得るために他人と同じ手段と「道徳的選択」を持つわけでないことはよく理解できるという理由で、違反を防ぐよう行為する積極的義務を示さないとしても、それは少なくとも、目的を実現するために合理的に計算される手段を取る権利を意味していなければならない。こうして私は、その合理的な行使が私のメイタイム非武器化を合法にするような行動を取る権利を国際法上持つと主張する。

3−15 こうして、私は国際的人道法の重大な違反を防ごうとする点において国際的な権利を実現していたのだという根拠から、全ての訴因について無罪と認定するよう、あなた方に要求する次第である。

4.道徳上の抗弁

4−0 子供、老人、病人その他無辜の人々を殺すのは悪である。大量破壊の威嚇は悪である。あらゆる生きもののまだ生まれていない世代に影響するような、環境の長期に亙る放射能汚染は悪である。このようなことを一度に為す核兵器は悪である。機械的な法的技術はどうであれ、私が私の良心に従うことには道徳的必然性がある。私たちは、当法廷が私たちを無罪とし得る名誉ある道を見出すよう努力したにもかかわらず、法体系が私を無罪と認定し得ないとすれば、それは肝心のときに役に立たないと言えよう。何故なら、法は共通の品位と道徳性の基礎的な人間的価値に基づくと言われるからである。法は、これら自然的正義の基礎的規範から遠く離れれば離れるほど、その正当性と尊重を失うのである。

4−1 従って私は、私たち3人全員が全ての訴因について無罪と認定するよう、あなた方に促す次第である。ご清聴に感謝する。

参照文献のリスト……省略(訳者)

【註】

1.国際司法裁判所勧告的意見の拘束性

勧告的意見が国を拘束しないのは、拘束手続に関わるものがいないからである。しかし、裁判所に出席した国及び国際的組織は、提起された問題の適切な法的解決について情報を提供し、自分の見解を主張する。意見は、求める組織に対して、その後の組織の行動を導く法の状態や内容に関する助言を提供するものである。

国際裁判所の活動に関するもっとも権威ある評釈書はローゼンヌの「国際裁判所の法と実務、1920-1966年」(ニョフ、1997年、4巻)であり、選ばれた国際司法裁判所判事たちに宛てられている。その3巻1758-59頁で著者は「勧告的意見はおよそ法、いわゆるエルガ・オムネス(全ての人々に関して、即ち全ての国を拘束する)を叙述する。如何なる国も勧告的意見に基づく国連の国際的権限を否定し得ない……」と述べている。

従って、この勧告的意見はこの問題に関する慣習的国際法の権威ある叙述であり、それ故それが含む慣習的規律は全ての国を拘束している。さらに、それは慣習を述べるものであるから、それが展開する規律は事実上スコットランド法の一部を成すものでなければならない。

2.連邦王国政府の自衛論の批判

法務長官の回答は、国際司法裁判所が「国際法においては核兵器の使用そのものに関する包括的、普遍的な禁止は存しないと、大多数で結論した」(105 2(b)節)と述べた。しかし、このことが11対3の投票で裁判所によって認められたとするのは−彼が引用する措置のごく最初の部分を無視することによって国際司法裁判所意見の全体的メッセージを完全に歪めるものである。つまり「核兵器の威嚇若しくは使用を特に権限付けるようなものは、慣習的国際法にも合意を見た国際法にも存在しない」(105 2(a)節)−ここは全員一致で認められた。次いでより重要なことには、どんな種類であれあらゆる兵器の使用の基礎そのものに論を進め、核兵器の威嚇若しくは使用は「武力紛争に適用される国際法の要件に合致」(105 2(d)節)すべきことになると明記している−ここも全員一致で合意された。措置のもっとも議論を呼んだ部分(105 2(e)節)がこの後に来るが、ここで述べられているのは「上に触れた要件から、核兵器の威嚇若しくは使用は一般に武力紛争に適用される国際法の規律、特に人道法の原則と規律に反するということになろうが、国際法の現状及び裁量範囲にある事実的要素を考えると、当裁判所は、まさに国の生存が問われるような自衛の緊急状況において、核兵器の威嚇若しくは使用が合法であるか不法であるかにつき、明確な結論を出すことができない」ということである−ここは7対7となり長官のキャスティング・ヴォートで通過した。

この点について、最も重要なことは、勧告的意見の一部にもなっている個々の判事のそれぞれの補足意見及び声明を全て参照することである。判事が全員、このような陳述を為し、その多くが極めて詳細、厳密であることは注目に値する。これらの補足意見を読むと全く明らかになることは、14人のうちの6人の判事(ラニェヴァ、ヘルツェフ、フェラーリ・ブラヴォ、シャハブディーン、ウィラマントリー、コロマ)は皆、核兵器の威嚇・使用は常に不法となると考え、さらに2人の判事(ベジャウィとヴェレシェティン)は、核兵器の威嚇若しくは使用は合法とは考えられないが、国際法の現状にはこの種のものの禁止があると確言させないものがあると論じたことである。このことは国際法の特定の学説を反映しており、そこでは、許容と禁止は個々に確定されるべきであって単純に他方の譲歩によるのではなく、これは国際法の不完全な性質(と考えられている)から来るとされる。ベジャウィは、105 2(e)節の採決に際して自分が何故キャスティング・ヴォートを行使したかを説明するために特に声明を書いた。声明の11節で彼は非常にはっきりと、「私は、当裁判所がこの状況陳述以上に進めないでいることが、核兵器の威嚇ないし使用の合法性の承認にドアが半ば開かれているというようにはどうあっても解釈され得ないという事実を、いくら強調してもし足りない」と述べている。また彼は「当裁判所は、核兵器が全人類を破滅させる可能性をもつ手段を成すという事実を見なかったときはない」と述べた。20節で彼は「従ってこの盲目の兵器の性質こそが、使用兵器のタイプの識別を規律する人道法を不安定にする効果を持っている」と言っている。要するに8人―多数―の裁判官は、核兵器の威嚇・使用が合法とは考えられないと信じたのである。

国際司法裁判所勧告的意見の104節は非常に明確に、本措置の意味を理解するには意見の全体が重要であり、「この意見の最後に、当裁判所は、総会によって提起された問題への回答が当裁判所の先に示した(20節乃至103節)法的根拠の全体に依拠しており、そのそれぞれが他の部分に照らして読まれるべきことを強調しておく。これらの根拠のいくらかは、本意見の最後の節における公式の結論の対象を為すようなものではないが、にもかかわらずそれらは、当裁判所の見るところでは、全てその重要性を保持している」と述べている。

3.人道法の7原則

国際司法裁判所勧告的意見は明確に、国際法の諸法源をそれらが核兵器に関連し、不必要な被害、比例性、無差別性、非交戦国、ジェノサイド、環境汚染及び人権に関する7原則を列挙するものと述べている。それは明確に「核兵器の独特の性質に照らしてみれば……このような兵器の使用は事実上先の要件にほとんど調和し難いように思われる」(95節)と述べる。「まさにその生存が問われる自衛という緊急状況における」(105 2(e)節)核兵器の使用に関してさえ、国際司法裁判所は「(人道法の)基本的規律は、国際的慣習法の不可侵の原則を構成するものであるから、全ての国はそれらを内容とする協定を批准したとしないとによらず、守らなければならない」(79節)と判断した。

4.1949年ジュネーヴ協定についての1977年補足議定書

連邦王国は1998年にこれらを批准したが、「これによって導入された規律は何ら効果を持つものではなく、核兵器の使用を規制或いは禁止するものではない」とする「確認書」を作った。1969年の条約の法に関するウィーン協定の19項は、如何なる留保も条約の対象及び目的に一致し得ないものであってはならないと述べる。ジュネーヴ議定書Tの対象及び目的は武力紛争において市民を保護することである−核兵器はそうし得ない。これが、連邦王国が1998年2月11日付の外務連邦省からの手紙において、その陳述が「広範な立場を反映する、批准の際のいくつかの他の当事者国及び1978年の署名の際の連邦王国によって作られたものと同様である」ところの「確認書」であると述べた所以であろう。

このような陳述は、ロンドンのキングス・カレッジで国際法を講じるルパート・ティスハーストによれば「国が解釈されるべき条約をどう考えているかを示すものに過ぎない」。その理解が多くの他の国が同意しないという点で誤っているとすれば、それは絶対に効力を持たない。従ってそれは留保よりも弱い。連邦王国は「我々は理解についての陳述をしているから、議定書に拘束されない」とは言い得ない。

議定書の第4部は言う、「民間人とその財産の尊重と保護を確保するためには、紛争当事者国は常に民間人と戦闘員を区別することになろう」と。

5.使用の恐れ−所持の定義

意見47節は、それ自体不法なことを威嚇するのは不法であることを全く明らかにする。「目論まれた武力行使がそれ自体不法であれば、公言されたその使用の用意は2項4節で禁止された威嚇となろう」と。連邦王国は核兵器を所持するが、それらは、場合によれば使用する用意があるという声明と共に、常に潜水艦上に配置されて使う態勢にあり、私たちはそれらを政府の政策文書に見ることができる。私は、これが公言された使用の用意というものであると考える。

また意見48節は「核兵器の所持は実際に、それらを使う用意があることの推測を正当化するであろう。効果的であるために抑止政策は……核兵器使用の意図が信頼に足るものであることを要する。これが2項4節に反する『威嚇』であるかどうかは、特定の武力行使が必然的に……必要性及び比例性の原則に反するかどうかによる。このような状況において武力行使と行使の威嚇は憲章の法の下で不法であろう」と述べる。合衆国の判事シュウェーベルさえ、その少数意見において(1頁)「核兵器は50年ほどの間、合衆国で作られ、配備されてきた。その配備には使われる恐れが内在する」と言う。彼は続けて説く、「それらはその使用を、核兵器の所持と配備の冷厳な事実と抜き差しならない関連によって、1年365日、1日24時間、核兵器が発射される態勢にあるという状況によって、核兵器で進められ時に暴露される軍事計画、戦略戦術によって威嚇するが、ごく僅かな国際的危機においても核兵器の使用が威嚇されている。抑止の理論と実践にこそ、核兵器が使われる恐れが内在する」と。

私が連邦王国の100キロトン核弾頭は必要性と比例性の原則に合致しては決して使われ得ないと主張するように、だから継続した積極的な配備は、必要な時に使用するという公言された用意と共に、私見では不法な核兵器使用の威嚇であり、そのものとして不法である。

【いくつかの、国際司法裁判所判事からの有用な引用】

アルジェリア ベジャウィ判事

2節−「核兵器によって人間性は一種の執行猶予の下で生きている。半世紀の間、今やこの恐るべき大量破壊兵器は人間の条件の一部を成してきた。核の……恐怖はしだいに人の天性になってきた……その終末の悪夢を人は未だに予見できないでいる」。

6節−「人間性は自ら邪悪な絶えざる核の恐喝に服している。問題は如何にしてそれを止めるかである」。

20節−「核兵器は―少なくとも科学の発達の現状において―戦闘員と非戦闘員の無差別の犠牲者、並びに両者間の不必要な被害をもたらすと予想され得る。従って、この盲目兵器の性質こそが、使われる兵器のタイプを識別してかかる人道法に不安定な影響を及ぼす。核兵器、この究極的悪は、より少ない悪の法である人道法を不安定にする。従って核兵器の存在はまさに人道法の存在に対する挑戦であり、それが人間環境に与える損害の長期的効果は言うまでもなく、それに関して生きる権利が試され得る。科学者が戦闘員と非戦闘員を区別するような「きれいな」核兵器を開発し得るまでは、核兵器は明らかに無差別の効果を持ち、人道法への絶対的挑戦を成すであろう。従って、私には原子力戦争と人道法は相互に相容れないと思われる。一方の存在はおのずから他の非存在を意味する」。

21節−「ほとんどの人道法の原則と規律、そしてどんな場合でも2つの原則、つまり無差別の効果を持つ兵器の使用を禁じるものと不必要な被害をもたらす武器の使用を禁じるものは、ユス・コーゲンス(無視することを許さない一般国際法の決定的規範)の一部であることを私は疑わない……。当裁判所は、これらの基本的規律が『国際的慣習法の不可侵の原則』を構成するという見解を明示する」。

24節−「核廃絶は常に核兵器の分野における全ての行動の最終到達点であり続けるであろう……この到達点はもはや非現実的ではなく……その達成をこれまでになく活発に追及することは万人の義務である」。

イタリア フェラーリ・ブラヴォ判事

220頁―全ての核兵器を除去するための最初の国連決議について語る―「事実問題としてこの決議は、それが兵器庫にあること自体不法と考えられた原子力兵器の全てを除去するという、神聖な性質を持った現実的事業があ

221頁−「既に述べたように、私見では核抑止の考え方は何ら法的力を持たず、私はむしろ、抑止の理論が核保有国及びその同盟国の実践を生み出す一方、国際的慣習の創造のための基礎として役立ち得るような法的実践を生み出し得ないということを付け加えたい……抑止理論のために、憲章2項4節の画期的領域は狭められ、同時に他方、伝統的論理に従ってそれに逆行する憲章51項の領域は、全体として因習的構造の連続が規範の周りに形成されているように、規範がありながらも一方で太平洋同盟を、他方でワルシャワ条約をそれぞれに統べる二つのシステムから見られるように、広げられている」。

フライシャウアー判事

2節−「核兵器は多くの面で、武力紛争時に適用される法の基礎を成す人道的考察の、また中立性の原則の否定である」。

ハンガリー ヘルツェフ判事

1頁−「国際的人道法の基本的原則は……核兵器を含む大量破壊兵器の使用を絶対的かつ明白に禁止する。国際法はこれらの原則に如何なる例外も認めない」。

連邦王国 ヒギンス判事

4節−「当裁判所は慣習的国際法の下で自衛の行使において比例性の規律が存在することを確認した」。

10節−「武力紛争の法及び人道法に関して条約から生じる一定の一般原則は、条約上の義務を延長するものとして、或いは慣習的国際法の規則として拘束的であるという点で、当裁判所に同意するものである」。

12節−「敵の軍事力の無力化を求める場合でさえ、採り得る手段には限界がある。これらの規定は民間人の保護に向けられるのではなく−他の規定がこの目的に宛てられる。どんな事態においても、核兵器によろうと他の兵器によろうと、民間人を攻撃することは絶対的に禁じられる。民間人への攻撃は、その不法性につき、『不必要な損害』或いは既に無力化された者の被害を悪化させることの禁止に依っているのではない」。

14節−「一定のレヴェルの暴力は必然的に自衛の行使においては許容され得、人道法はその力を……『バランスを保つ』諸規範を提供することによって抑制しようとしている。従って、これらの正当な目的を達成するのに必要とされることを超える被害と荒廃を招くのは不法である。この命題の適用は、必要性と人間性とのバランスを保つことを必要とする」。

20節−「不可避的に問われることは、目標にするのは正当だが、核兵器がその目標を破壊する唯一の方法であるとすれば、およそどんな必要が民間人に大量の付随的損害を引き起こすほど必要であり得るのかどうかである」。

24節−「兵器は軍事目標と民間のそれを区別し得るものという要件は……民間人は攻撃目標であり得ないという基礎的な規律から出てくる……。特定の核兵器がこの区別を為し得ないものである限り、その使用は不法となろう」。

30節−「どんな状況で、どのような兵器を用いることが本質的であるかを、説得的に説明したものはないとする当裁判所の見解を分かち持つものである」。

41節−「人道法の解釈という困難な問題においてであれ、或いは競合する規範間で主張される緊張の解決においてであれ、裁判の指導原理は、国際法が促進し保護するような価値でなければならない。目下の事案において我々が常に考えておかなければならないことは、人々の物理的生存である」。

コロマ判事

1頁−「国際法の下では核兵器の使用はどんな状況においても不法となる、これが現存する法と用い得る証拠に基いて考えた私の意見である」。

3頁−「自衛権はあらゆる国に内在する基本的なものである。それは法の内に存するのであって、外や上にではない」。

10頁−「私が考え抜いた意見では、核兵器使用の不法性は、使用される状況如何にではなくて、むしろ、どんな状況の下でも使用すれば国際法に反することになるという、この兵器の独特なはっきりした特性に基づいている」。

マダガスカル ラニェヴァ判事

379頁−「核兵器の法は、国際社会のメンバーが全体として承認する価値を表明する最小限の倫理的要件なしには考えられない、国際法の分肢の一つである……。人類の重大な争点に関して、実定法と倫理の要件は共通の根拠となり、核兵器は、その破壊的効果の故に、このような争点の一つである」。

384頁−「正当な自衛の行使は法の規律に服する」。

387頁−「各々の交戦国が武力紛争において適用される人道法の規律を尊重しなければならないという義務は、自衛の場合に限定されるものではなく、義務は攻撃側や犠牲者の状態に関わりなく存在する。さらに、『きれいな核兵器』の存在を示す証拠は、当裁判所に何一つ提出されなかったし、国は、核兵器使用の合法性と人道法の規律との間には両立するかどうかの問題が確かに存在すると論じたに過ぎない。私見では、このような批判は『自衛という緊急の状況』からあらゆる論理的、法的基盤を奪うものである」。

シャハブディーン判事

9頁−「ある兵器の使用が人類を抹殺しかねないことが示された以上、その国際社会の良心との背離は、それがどんな場合にもそのような結果をもたらすわけではないということを示したところで実質的に減らないし、国際社会の良心は、奇妙かつ不可能でもあるのだが、ある特定の使用の結果が人類の破滅であるかどうかを見るために成行を待つであろうと期待するのは不合理である。考察すべきことは抹殺のリスクであ

9頁−「放射能は境界を越えて浸透する高度の蓋然性を持つ……。中立国の領土は不可侵とする1907年ハーグ原則は、この場合に違反とは考えられなかったとしても、その意味の多くを失うことになろう」。

19頁−これらの原則の人道的性格は、社会的良心を抜きにして確認することはできない……社会的良心は、核兵器の使用が、そこからどんなに軍事的優勢を引き出し得ようとも認めることのできない被害をもたらすと考える」。

21頁−「マーテン条項が慣習的国際法の規律であることは認められている。このことはそれが規範的性格を持つこと−何らかの国の行動の規範を定めることを意味する。全くこの条項なしに存在する行動規範を国に想起させることがその全てであるとすれば、それが国の行動のどんな規範を定めるのかを知るのは困難である」。

26頁―特に影響される国という争点に関して―「争点になっていることが、人類を抹殺する、従ってあらゆる国を破壊することが可能な兵器の使用の合法性である場合、どの国が特に影響を受けるかというテストは兵器の所有ではなくて、その使用の結果に関わる。この観点から、全ての国が等しく影響される、というのはそこに住む人々と同様、国は全て等しく生存権を持つからである」。

29頁−「戦争法によって特定の兵器の使用が禁止されている場合、その兵器の使用の否定は、攻撃された国の自衛権の否定ではない。つまり、憲章51項に言う内在的自衛権は、そのまま問題の兵器の使用を含むものではない。攻撃された国に考えられる窮状に対する法的回答は、1948年2月19日ニュルンベルクでの合衆国軍事法廷が詳述しているように、『国際法の規律は、それが戦闘乃至戦争の損失を結果するときでさえ、守られなければならない。便宜,必要はその違反を担保し得ない……』という原則によって示される」。

30頁―核不拡散条約が核兵器の合法性を認めるものではないことに関して―「これは即座には期待され得ない事実の承認、その事実を過渡的に許容することであって、使用の権利を黙認するものではなかった」。

アメリカ合衆国 シュウェーベル判事

1頁−「核兵器は50年ほどの間、合衆国で作られ、配備されてきた。その配備には使われる恐れが内在する」。彼は続けて説く、「それらはその使用を、核兵器の所持と配備の冷厳な事実と抜き差しならない関連によって、1年365日、1日24時間、核兵器が発射される態勢にあるという状況によって、核兵器で進められ時に暴露される軍事計画、戦略戦術によって威嚇するが、ごく僅かな国際的危機においても核兵器の使用が威嚇されている。抑止の理論と実践にこそ、核兵器が使われる恐れが内在する」。

7頁−「このような核兵器の大規模な『応酬』は都市ばかりでなく国をも破壊し得、大陸を、おそらくは地球全体を、一度にではないとしても死の灰の長期に亙る影響によって住めなくし得よう。無差別の地獄における、また遠くに届く死の灰による数百万もの死をもたらし、明らかに空間的及び時間的に致命的な影響を及ぼし、地球の多く或いは全部を住めなくするであろう―或いはし得るであろう―ような規模での核兵器の使用が合法であり得るとは認め難い」。

中国 シ・ジゥヨン判事

1頁―意見96節に関連する「国際社会の目立つ部分」について語りつつ、これは―「一定の核保有国と『核の傘』の保護を受け入れている国々とから成っている。確かにこれらの国々は国際社会の重要かつ有力なメンバーであり、国際政治の舞台で重要な役割を演じている。しかし……国の国際社会には185ヶ国以上のメンバーがあり……国際社会の仕組みは主権平等の原則に基づいている。従って、この『目立つ部分』の実践を不当に強調することは、まさに主権平等の原則に反するばかりでなく、兵器使用に関する慣習的規律の存在について正確で適切な見解を示すことをいっそう困難にするであろう」。

スリランカ ウィラマントリー判事

3頁−「核兵器の使用若しくは使用の威嚇は、どんな状況であろうとも不法である、というのが私の考察である。それは国際法の基本原則を侵し、人道法の構造の基礎を成す人道的関心事の否定そのものを示す。……それは、全ての法が依拠する人間の尊厳と価値についての基本原則と相容れない。それは、地球上の生命全体を脅かすというやり方で人間環境を危うくする」。

29頁−「常識に照らしてみて、膨大な数の敵の人口を抹殺すること、彼らの環境を汚染すること、彼らを癌、ケロイド、白血病に罹らせること、 多数の胎児に先天的欠陥と精神的遅滞をもたらすこと、彼らの土地を荒廃させ、その食物供給を人の消費に合わなくしてしまうことが疑われ得るのかどうか−これらのような行為が『人間性の基本的考察』と両立し得ると考えられるのかどうかが怪しまれている」。

53頁−法のあらゆる根本原理は、それらが法に支えられた共同体の継続的存在という前提に寄与し、その中で機能することを想定している。この継続的存在という前提がなければ、如何なる法の規律、如何なる法体系も、どんな有効性、どんなに魅力的であろうとその基礎になっている法的理由付けを主張し得ない」。

68頁−核兵器の内在的危険が「小型」、「きれい」、「低爆発力」或いは「戦術的」な核兵器に依存することによって最小にされ得るかどうかの議論において、彼は次のように述べる:「(@)当裁判所には、放射能を出さない核兵器、環境に有害な影響を及ぼさない核兵器、現在及び以降の世代に健康上の悪影響を及ぼさない核兵器が現にあるということを示す資料は何ら出されていない。先にこの意見において概括された独特の質のいずれをも持たないような核兵器が実際にあるとしても、そのような兵器が使われる目的について何故通常兵器では具合が悪いのかは説明されていない。我々は知っているとおりの核兵器を取り上げることしかできない。(A)小型核兵器の実用性は、高度の軍事的及び科学的権威によって争われている。(B)反撃を限定的或いは最小限の反撃と言われているものの範囲内に保つことは……政治的に困難であると……言われている。エスカレーションをコントロールするという想定は核攻撃の脈絡においては非現実的と思われる。(C)『小型』或いは『戦術的』……核兵器の使用についてさえ、核の閾を越えている。このような核反撃の目標である国は、反撃が小型兵器を意味する限定的或いは戦術的なものであることを知らないだろうし、その国が同じように、つまり小型兵器で反撃するように気を使うであろうと推定するとは信じ難い。全面核戦争に向けてドアは開かれ、敷居は越えられているであろう」。彼はさらに論を進めている。

71頁−「戦争の人道法に違反する兵器の使用の威嚇は、それが呼び起こす圧倒的な恐怖が相手を抑制するという心理的効果を持つからというだけでは、これら戦争の法に違反することを止めない。当裁判所は、恐怖に基礎をおく安全というパターンを認証することはできない……。当裁判所が関わるのは法の規律であって、力や恐怖の規律ではなく、戦争法の人道的原則は国際法の規律の不可欠の部分である」。

次の判事からは有用な引用を何も見出さなかった。

フランスのジローム、オダ、ヴェレシュティン

【まとめ】

私たちはあなた方に証拠を提示して、私たち3人全員が合理的で確かな証拠に基礎付けられた確固たる信念を持っていること、現在のイギリスの核抑止政策と現在のトライデント潜水艦上のイギリス核弾頭の配備が、恐ろしく危険で不道徳なばかりでなく、不法で犯罪的でもあることを示した。

また、私たちが数年に亙って、その核兵器を廃止することによってイギリス政府に私たちを核ホロコーストから守らせようとして、できる限りの通常手段を全て試みたことを示した。私たちはこれらの方法では駄目なことを知った。

私たちは、地球市民として、イギリスの核兵器を自分たちで非武器化する、非暴力的で安全な、責任の持てる実際的な行動を取るのが私たちの責務であると感じている。私たちの政府や裁判所が核犯罪を阻止しようとしないのなら、私たちが自ら阻止しようとしなければならない。私たちは、私たちには大量破壊兵器が配備されるのを阻止しようとする道徳的責任があるのみならず、国内法及び国際法の下でこのような行動を取る権利があると信じている。

私たちは3人とも普通の女性であり、責任ある地球市民であろうとしてできる最良のことを成し遂げた。私たちは自分たちにできる全てのことを為し、それを明確な良心をもって成し遂げた。私たちは今、安心してあなた方の手中に我が身を委ねる。

司法の独立は、常に市民的自由の最も重要な防塁の一つであった。従って私は、あなた方が自由な、独立した陪審としてその力を発揮されるよう、私たち3人全員を全ての訴因について無罪と認定されるよう、要請するものである。ご清聴を感謝する。

                  (以上)

1