スコットランド反核運動ニュース

「ゴイル湖の三人」裁判 グリーノック地方裁判所

公判報告第12日・10月13日水曜日

要点:アンジーが証言を終え、反対尋問を受けた。裁判官ウルフ・パンツェルがドイツの裁判官のムートランゲン封鎖について証言した。

 アンジーは証人席から証言を続けた。彼女は、自分たちがメイタイムでしたこと、終わってからはピクニックと洒落込んで美しい日没を眺めたことについて述べた。警察は、彼女らが乗船してから3時間以上も経ったとき、ようやく到着した。警察は彼女らをボートでクールポートに連行した。翌日、彼女らがダヌーンの裁判所に出頭したとき、アンジーは声明を出し、それをコピーして陪審に持たせるよう希望した。それは、彼女らが保釈条件を守ることが出来なかった理由、先の4ヵ月半の間コーントン・ヴェイルに居た理由を説明するものであった。ジョン・メイヤーはアンジーに、誰が彼女の声明を書いたのか、ボイル教授か、と訊ねた。彼女が自分で書いたと言うと、彼は彼女を誉め、それを用意するのにどれぐらいかかったか、と訊いた。彼女は12年と答えた。メイヤーはアンジーに質問して、太平洋における核実験、国際的なトライデント・プラウシェアがどうなっているか、議員たちの支持等について述べる機会を与えた。検事はアンジーに、議会に出ようと考えたことがあるかどうかを訊ね、彼女は緑の党の候補者だったことがあると述べた。アンジーは、行動の最も重要な局面が来ることになろうと述べた。自分たちが釈放されたら、政府に重要なメッセージを送ることになるだろう、と。検事は、政府を妨害するのが行動の動機だったのか、と訊ねた。彼はまた、彼女たちが捕まりたかったのかどうかを知りたがった。アンジーは「いいえ、私は、何人かの警察官が私たちに同行して、私たちに同意してくれればいいと思っていましたから、『行きましょう、何とかしましょう!』と言ったのです」と述べた。トライデント・プラウシェアの活動家として彼女たちは止まって責任を取らなければならなかった。検事は、動機の一部には宣伝ということもあったのでは、と訊ねた。アンジーは、進行している事態を理解すれば、誰でも何かをすべきなのです、検事さんも含めてね! と述べた。次いで検事は抑止理論を正当化しようとしたが、アンジーはそれに見事に答えてのけた。検事は、核兵器が禁止されていない旨を述べている国際司法裁判所の見解105・2b節を引用した。アンジーが、核兵器が承認されているわけでもないと述べている105・2a節を引用したのは言うまでもない! 双方は所持について論じ、アンジーは、他の国の殆どが我々の核兵器を脅威と考えていると述べた。昼食のため休廷。

 午後2時20分、裁判官ウルフ・パンツェルが証人席に。ウルフはまず、1975年来裁判官であること、国際法の諸会議に出ていること等々、自分の資格を証明した。国際法に関する最初の訊問のところで検事が異議を申し立て、陪審が退席させられた。長たらしい討論の後で、判事は、ウルフが国際法について語ることは出来ないが、一市民として行為する権利について証言することはできると裁定した。ウルフ(及び陪審)が席に戻り、メイヤーは彼に、ドイツのパーシング・ミサイル、「平和の判定者と訴追者」なる組織について訊ねた。彼は、彼らが組織した会議、裁判官250人のデモ(彼は、250人のイギリスの裁判官が「ファスレーンの周りをデモしていると想像」してくださいと述べた)、また裁判官550人が署名した新聞の意見広告について語った。彼は、自分と他の裁判官20人が行なったムートランゲンの基地封鎖、その結果がどうであったかに論を進めた。彼が証言を終えると、判事は彼が遠路やってきたことを謝し、彼に安全な旅を願った。ウルフは個人的な意見を述べてもよろしいかと訊いた。判事は、異例なことだが、いいでしょうと述べた。そこでウルフは、法廷のすばらしい雰囲気、彼女の訴訟指揮の見事さについて、判事を称えたいと述べた。すると、陪審を含む在廷者たちの間から自発的に拍手が起こり、しばらくは止まなかった!! (訳 真鍋 毅)