ダブリン無罪判決関連記事
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われわれは続ける

アイルランド人民がわれわれを解放した。あなた方の支持、友情と連帯に感謝する。シャノン空港でのわれわれの反戦レジスタンスを続けよう、そしてシャノンだけでなく!

彼らは,われわれの代わりに法廷に立たされた!

われわれは彼らの代わりに自由の身でいられる!

イラクに対する不法な侵略・爆撃の前、反戦カトリック労働者運動のメンバー5人が、シャノン空港に入って合衆国海軍の軍用機を非暴力的に非武器化したのは、2003年2月3日の未明であった。この人たちの行動は、イザヤ書2:4「剣を鋳て鋤に変えよ」の考えに示唆されたものである。ピット・ストップ・プラウシェアズ(阻止の鋤)のデアダー・クランシー、ニューイン・ダンロップ、カレン・ファロン、シャロン・オライリー及びデミアン・モランは、ライムリック刑務所に4乃至11週の間入れられた。2005年3月、この人たちは100ユーロ及び250万米ドルの害の2件の損壊罪について審理された。有罪ともなれば、刑罰は最長10年の拘禁に及ぶ。

05年3月の審理は6日目、オドンネル判事が誤判であるとし、陪審を解散し、誤判の理由を伝えないようメディアに説示したところで不成立となった。

05年10月の再審理は10日目、ドナー・マクドナー判事が、彼が2001年のブッシュ大統領就任式に出席したことは(他のブッシュとの会合にもまして)その役割が「先入観」で歪められる点で本件の除斥乃至忌避理由に当るという弁護側の主張に同意した後、不成立となった。

ピット・ストップ・プラウシェアズ公判の3回目の審理は2006年7月10日に始まり、12日間の証言と法律論の後、両訴因につき全員一致の「無罪」評決で終わった。ミリアム・アンダーソン判事は訴訟の9日目に、制定法上の「法的免責」抗弁の適用可能性についての付加的提案及び法律論を経て、弁護人に同意した。

4時間半の審議を終え、7人の女性と5人の男性から成るダブリン法廷の陪審が戻ってきて、次のようなその決定を示した。即ち、被告人全員は、自分たちがイラクとアイルランドにおける生命と財産を守るために行動していると誠実に信じていたのであるから、無罪とされるべきであり、この人たちの非武器化行動は、あらゆる事情を考慮すれば合理的である、と。

アイルランドの良心が力強く明確に、いまこそシャノンを非軍事化しよう!と語ったとき、プラウシェアズの5人とその支援者たちから涙と喝采がおのずから溢れ出た。

100人以上の、外国の,そして無数のアイルランドの反戦活動家たちがこの二つの審理のためにダブリンに結集した。これらの人びとは、非武器化活動を祝う夕べや,アイルランドがイラク戦争に関り続けている問題についての市民集会を持つことで,戦争に対する公然たる目撃の機会をもたらすものとなった。

ニュルンベルク要件

「個人には、国家に従うという責務にもまさる国際的義務がある。従って[個人には]平和と人道に対する犯罪が起こるのを防ぐためには、国内法に違反する義務がある」ニュルンベルク裁判 1945‐1946

合衆国と連合王国は、イラクに対する大量虐殺に備えて軍事力を増強して来た。1991年、さきのイラク侵攻の際には、合衆国と連合王国の武力によって、平和に対する恐ろしい犯罪、人道に反する犯罪が犯された。ニュルンベルク裁判の判決は、市民には、現にいまイラクに対して犯されつつあるような平和と人道に対する犯罪を防止する権利と義務があることを明らかにしている。

2006年8月5日0時12分21秒 ルアイリより発信

(次の二つの記事をまとめたものです.)

Posted on 2006-08-05 00:12:21 by ruairi
posted on 2006-07-26 13:44:50 by ruairi

(真鍋,豊島訳)