十二名の日本市民はいかに英国の核基地を封鎖したか

豊島耕一

 

(「世界」08年1月号掲載),

 

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この八年来、筆者はある偶然から「トライデント・プラウシェアズ」というイギリスの反核運動と関わりを持ち続けてきた。それも単なる署名や集会といった形態にとどまらない、非暴力の直接行動でイギリスの核を廃絶しようとする運動である。これまでは、英国の活動家を日本に招いての講演やウェブサイトの翻訳など、この運動を日本に紹介することが主な活動だったが、昨年からは、現地の活動に直接参加するための準備に着手し、より深くコミットするようになった。

 

トライデント・プラウシェアズの主要メンバーが提唱して昨年一〇月に始まった「ファスレーン365」というプロジェクトがそれだ。英国で唯一核が配備されているスコットランドのファスレーン基地(グラスゴーから約四〇キロ)のゲートに各国の市民が一年間交替で座り込み、非暴力の抵抗をすることで基地の機能を麻痺させ、核兵器が国際法に違反することを際立たせる。それにより世論を喚起し、英国での核廃絶を実現しようというものだ。すでにプロジェクトは一〇月一日の大規模な封鎖で成功裏に終わった。行動の総日数は一八九日にのぼり、一三一のグループが参加した。

 

私は、このプロジェクトの一環としての、〇七年一月の「大学人によるセミナーと封鎖」に個人として参加し、また七月には日本の市民一二名の責任者として現地に赴き、封鎖行動を実施した。もしかすると後者は、日本の市民による海外での組織的な非暴力直接行動としては、初めてのものかも知れない。その経験と運動論、そしてイギリスの核をめぐる状況の一端を紹介する。また、この行動形態の反核運動以外への拡張についても考えてみる。

 

市民による法の執行

「非暴力直接行動」と言うと、たとえ非暴力であっても法を犯すもので、良識ある市民とは縁遠いものと思われるかも知れない。しかし日常生活においても、誰しもこれに相当する行動を求められる場面がある。目の前で犯罪が行われる時、可能であれば人はその犯罪者を逮捕しなければならない(現行犯における私人による逮捕)。通常、逮捕・監禁は違法行為であるが、より重大な犯罪を防止するためなど正当な理由があれば「違法性阻却」とされるのである。むしろ、「私人=市民による法の執行」と言えるかも知れない。

 

犯罪は私人によって行われるだけではない。最大規模かつ最悪の犯罪は、疑いなく国家という組織によって行われる。したがって市民による法の執行の対象も、国家機関の命令で動く人間に及ぶこともありうる。汚職などの不正行為の類は別として、戦争準備のような国家意志として行われる犯罪では官憲による取り締まりはまず期待出来ず、したがって市民の役割が決定的になる。およそこのような考えに基づき、“核戦争の準備”という核兵器国による最悪の現行犯に対して、その「取り締まり」に乗り出した市民たちがいる。この一つが一九九八年に結成されたイギリスの「トライデント・プラウシェアズ」(以下TPと略)だ。

 

TPの活動の最も劇的な成功例は、九九年の原潜関連施設の非武器化と、それに対する無罪判決である。六月八日の夕刻、アンジー・ゼルターらTPのメンバーの女性三人が、グラスゴーにほど近いゴイル湖(入り江)に浮かぶ「メイタイム」と呼ばれる実験室に侵入し、中のコンピュータを海中に投げ込み、操作盤などを家庭用のハンマーで破壊した。この施設は、核ミサイル潜水艦の隠密行動が可能になるよう、その音響・磁気特性をテストするためのもので、これなしには原潜は「まる見え」となり大量破壊兵器としての能力が低下する。したがって核兵器システムの重要な一部であり、彼女らはこの行動を「非武器化」(disarm)と呼んだ。

 

四ヶ月後に開かれた裁判で3人は無罪となり、権力の不法行為への積極的な介入の正当性が裁判所により認められることになった。この判決は世界中に、特に大西洋を挟んだ核に固執する英米両国の首脳に衝撃を与えたが、また地元スコットランド議会でのトライデントの違法性に関する議論に火をつけた。(アンジー・ゼルターは翌年筆者らの招きで来日し全国八都市で講演した。その内容が本誌二〇〇〇年九月号に掲載されている。註1参照)
その後もTPによる大規模な基地封鎖の繰り返しや、核弾頭輸送車両の「非武器化」などの直接行動が、さらにはスコットランド議会内での「反核オラトリオ」の上演のような文化的イベントも取り組まれた。そしてスコットランドの世論と政治の流れを大きく動かすことになる。TPは二〇〇一年に「第二のノーベル賞」と言われる「ライト・ライブリフッド賞」(Right Livelihood Award) を受賞した。  

核兵器の違法性

核兵器の使用が、必要以上の苦痛を与える事を禁止したハーグ陸戦条約や、住民の無差別殺戮を禁止したジェノサイド条約など国際人道法に違反することは明かである。また、そのような不法な戦争の計画や準備も、ニュールンベルグ原則(2)の第六により禁止されているため、その配備も違法である。さらに、一九九六年の国際司法裁判所の「勧告的意見」は、「核兵器の威嚇または使用は、一般的に、武力紛争に適用される国際法、とりわけ人道法の原則および規則に反する」として、核兵器が国際法違反であることを明言した(3)

 

核兵器の違法性は、核保有の決定が一国の民主主義的な手続きによるものであったかどうか、あるいはその存在を前提とする条約があるかどうかとは全く無関係である。したがって、核兵器の廃絶は、政府間の交渉や禁止条約などを待つまでもなく、市民みずからの手でこれを「非武器化する」という道筋で実現することが原理的には可能であり、これを実践し成果を上げているのがTPである。ただし「非武器化」と言っても、もちろん核弾頭そのものに手を付けるのではなく、周辺施設などを機能不全にして使用不能にするものだ。

 

核廃絶のきっかけがイギリスにあり---「ファスレーン365」運動

米ロを中心に、世界には今なお二万六千発もの核弾頭が存在する(4)。核拡散も憂慮すべき状態にあり、さらにブッシュ政権は小型の「使える核」の開発を始めかねない状況にある。核拡散問題では、日本自身が重大な状況にあることも認識しなければならない。青森県六ヶ所村の核燃料サイクル工場が本格稼働すれば、わが国も大量にプルトニウムを増産することになり、核武装への誘惑が強まる。

 

このように、核をめぐる状況は絶望的にさえ見える。しかし実は、核廃絶の突破口になるかも知れない条件がイギリスに存在している。イギリスの核兵器は四隻の原子力潜水艦に積まれた「トライデント」と呼ばれるミサイル二〇〇発がすべてで、それが配備されているのはスコットランドのファスレーン基地一カ所だけである。しかも、これらの核兵器システムは二〇二四年頃に耐用年数を迎えるとされ、それを更新すべきかどうかの議論が行われている。

 

イギリスの世論は、この更新つまり核を保持し続けることに反対が多数である。それはイギリス全体で五九%、スコットランドでは実に八割にのぼる。これは今年五月に実施されたスコットランド議会選挙にも反映し、結党以来イギリスの核廃絶を掲げるスコットランド民族党(SNP)が労働党を抑えて第一党となった。緑の党などとの連立を経て、スコットランド政府の首相(First Minister)に同党の党首サモンド氏が就任した。

 

最近の報道によると、サモンド氏は、核弾頭輸送車両のスコットランド通過を阻止するために、EUの環境法などもふくめ、あらゆる手段を考えると述べている(スコッツマン、九月一〇日)。原爆の起爆システムには放射性物質が使われているため、その部分を定期的に交換しなければならない。そのため年数回、イギリス南部のオルダーマストンの核兵器工場と、実際に配備されるスコットランド・ファスレーン基地との間で、核弾頭を積んだ車列が一般の公道を往復する。これが実際に阻止されれば核弾頭はいずれ「安楽死」する。

 

これより先、三月に英下院は、トライデントを維持更新するという当時のブレア首相の提案を可決したが、与党内から八八人の造反があっただけでなく、これに反対するために閣僚を辞任する議員も出た。スコットランド議会選挙の結果は、このイギリス政府の動きに対する痛打であろう。

 

このように英国では、世論、地方政府、そして市民運動の盛り上がりという三つの条件が非常に有利な状況にあり、この好機をとらえて、イギリスを一気に非核化しようというのがファスレーン365である。運営グループの言葉を借りれば、イギリスは核廃絶まで「あと一押し」のところにある。二〇〇発という核弾頭の数は世界全体から見ればわずかかも知れないが、五つの「公認」核保有国の一角が崩れることは政治的に大きな意味を持つだろう。

 

警察とも対話し「味方につける」直接行動

TPの運動の特徴は、直接行動であるが言葉の暴力も禁止する徹底した非暴力主義と、説明責任の尊重、そして何よりも警察に対する「対話」の姿勢にある。警察は本来市民の安全を守るためにあるのだから、それを脅かす核兵器は警察こそが取り締まるべきだと考える。そこで基地封鎖などの前には必ず地元の警察署長に手紙を送り、「大量破壊兵器関連施設の疑いがあるので取り締まって欲しい」と訴えるのである。

 

この姿勢はファスレーン365にも受け継がれている。その開始に際しての、運動の責任者と所轄の警察の責任者(警視正)とのメールのやりとりでは、互いにファーストネームで呼び合い、内容もきわめて実務的である。警視正は、これまでのTPと警察との関係を振り返り、「民主的な抗議の権利を真剣に受け止め、その権利と自分に与えられた公共の安全とのバランスを取ることに努めてきた」が、過去四年以上にわたって、このバランスが良く取れてきたと評価している。また、運動が非暴力であることを十分理解しているので、あらためて参加者にはそのことを徹底してほしいとも求めている。

 

ただ、警察は基地ゲートの封鎖まで認めたわけではないので、長時間の封鎖に対しては逮捕で臨むのが普通である。しかしその際もきわめて穏便で手錠なども使われない。起訴されることもほとんどなく、ほぼ確実に一晩の留置で釈放され、記録も抹消される。このような警察の態度は(少なくとも部分的には)長年のTPの「対話の姿勢」が功を奏したためと思われる。

 

日本実行委員会の結成と準備

私がこの「ファスレーン365」プロジェクトのことを知ったのは、一昨年一一月のアンジーとのメールのやりとりによってであった。それ以来、このような重要な国際プロジェクトに被爆国日本が「欠席」するわけにはいかないと、メジャーな反核団体を中心に、東京まで出かけるなどして参加を呼びかけた。

 

当初は、このようなエキサイティングな活動には多くの団体が引きつけられるだろう、特に反核団体なら二つ返事で参加したがるだろう、そのような大組織に「丸投げ」すれば自分の役目は終わりと思っていたが、それは私の希望的な思い込みに過ぎなかった。この行動が「逮捕覚悟」のものだということも大きな障害になったようだ。

 

そこで筆者らで独自に英国派遣チームを組織する決心をしたのが昨年九月のことだ。福岡を拠点に実行委員会を設立したが、ネット、特にブログの威力には感心した。私のブログでも当然この宣伝をしていたが、実行委員会に集まったメンバー一〇人ほどのうち四人が、私のブログやメールなどでこの情報を知ったという。

 

日本チーム、スコットランドへ

約九ヶ月の準備を経て、七月上旬になってようやく「日本チーム」の顔ぶれが決まり、七月二五〜二六日の当番日の直前に二波に分かれて現地に向かった。メンバーは、福岡から大学教員や語学スクール経営者など五名、長崎から「長崎の証言の会」のメンバーを中心に被爆者と被爆二世の計五名、広島の大学院生、そして東京の主婦と、多士済々の一二名である。これに、現地でレベッカ・ジョンソン(5)らファスレーン365運営グループのメンバー三名に加わってもらった。

 

現場まで直線一〇キロの風光明媚なロッホローモンド湖畔のユースホステルに拠点を構え、全員がホステルに揃った二四日の夕方から、準備のミーティングでプログラムが動き出した。折り鶴による封鎖と「バンブー・ロックオン」の練習も繰り返し行う。「ロックオン」とは、プラスチックなどの筒の中で二人が手と手をカラビナでロックするもので、これを警察が解除するには、その筒を端から徐々に切り開かなければならず、かなりの時間を稼ぐことができる。現地の活動でよく行われる手法だが、日本のカラーを出すために、この筒として、バンブーつまり太い孟宗竹を日本から持ち込んだ。

封鎖、逮捕、留置場、そして釈放

現場には二五日午前一〇時過ぎに到着して準備を始めた。しばらくすると地元のクエーカーの人たち約一〇〇名が支援に駆けつけてくれた。基地ゲート前での原爆パネルの展示に始まり、長崎平和公園の「平和の泉」から持ってきた水を参加者の手に注ぎかけるという即席のセレモニーと続く。20枚ほどの写真と絵画のパネルを、歩道横の柵に立てかけて並べる。これを日本から持ち込んだ九大教授の三好永作氏が、頭骸骨の横に若い女性が呆然と立っている一枚の写真を、この骸骨はこの女性のお母さんだと警官の一人に説明した。その警官は真顔で真剣に頷いたと言う。またある警察官は、長崎のメンバーの一人に、「自分も核兵器には反対だ」と公然と述べている。

 

封鎖行動は、現地時間一四時頃、先ず女性のメンバーを中心とした五人が折り鶴をゲート入り口に並べてその後ろに座り込み、ゲートの通行を遮断して始まった。警官はこの五人が道路に出るのを阻止するのではなく、ちょうど基地に入ろうとしていた大型トラックの方を止めた。五人は互いに手をつないで「原爆許すまじ」を歌って座りつづけたが、五分ほどすると警察官がまず折り鶴を撤去、その後五名の手を引いて歩道に排除した。

 

この「折り鶴封鎖」の最中に、長崎の被爆者、フィンランド人女性、大学教授、広島の大学院生、そして私の五名が「ロックオン」による封鎖を試みた。長崎の森口正彦さん(長崎の被爆者で「長崎の証言の会」運営委員、六八歳)と私は道路に出たところで警察官に逮捕されてしまったが、他の一組は首尾よく道路に展開し、ロックオンを成立させることができた。クエーカーの人たちの存在は、われわれの「バンブー・ブロック」の成功の鍵となった。その人垣でバンブーを直前まで警察の目から隠しおおせたのだ。護送車の中では気付かなかったが、仲間が撮ったビデオには、護送車を見送るクエーカーの人たちの「アリガトー」という声が入っていた。

 

逮捕・留置というのは私にとって初めての経験だったが、TPの延べ二千回以上の逮捕の経験を知っているので、すべて予想どおりの展開だった。とは言え、初めて独房に入った瞬間はやはり新鮮な印象を受けた。四角四面の窓のない部屋、隅のむき出しの便器、唯一外界とつながるドアも内側にはドアノブはない。時折、ドアにあけられた横長の四角い小さな窓を看守が開ける金属音が、唯一外界との接触の時を知らせる。

 

予想どおり翌日の昼過ぎに無条件で釈放された。年齢に配慮してか、森口さんだけはすでに逮捕の当日、数時間後に釈放されていた。結局全員が何の罪にも問われず、調書や写真などの記録は全て破棄され、押収した孟宗竹なども返還される。

 

翌日、現地のおそらく全ての新聞が日本チームの行動を大きく報道した。スコッツマンは日本チームのメンバー数名の発言にスペースを割き、また長崎からの参加者2人の被爆体験も掲載するなど好意的であった。長崎組の一人は、「あなたが新聞に出ていた人か」と街角で呼び止められたほどだ。反核運動においては、日本市民、特にヒバクシャは特別の地位を占めるが、ここスコットランドでも例外ではなかった。日本チームのメンバーは誰もが「面白かった」「貴重な経験だった」と口々に語った。何よりも全員が自分自身をエンパワーできたことは大きな成功と言える。

 

ファスレーン365は一〇月一日の「ビッグ・ブロッケード」で幕を下ろした。これにはスコットランド議会議員を含む六〇〇人が参加し、またスコットランドのサモンド首相が支持を表明している。これまでTPが呼びかけて年に数回だけ実施されていたファスレーン基地の封鎖行動が「拡散」し、幅広い団体や個人に共有されることになったことの持つ意味は大きい。今後のスコットランド議会や政府の動きが注目され、スコットランドでの核弾頭輸送を実際に止めることも視野に入るかも知れない。

 

民主主義制度の補完としての非暴力直接行動

仮に国民の意思を正しく反映してトライデントの更新を決めたとしても、国際法違反としてそれは不当であるが、イギリスの場合は、世論調査の結果からもわかるようにその民主主義の前提さえも疑わしい。このような民意との不整合は、核問題以外でも、イギリス以外でも、あるいはもっと身近な自治体や、各種の組織でも見られる。我が国では辺野古の新基地建設問題や、各地のダム建設問題などを想起するだけで十分だろう。

 

そこで、これまで述べた「市民による国際法の執行」という考えに基づく非暴力直接行動をさらに一般化して、民主主義制度の機能不全を補うための活動としてもっと幅広く認めることができるのかどうか、また有効かどうかについて考えてみよう。たとえば、大量の非正規雇用の人々の待遇や地位を改善するといった目的での非暴力直接行動は許されるのだろうか?

 

形式的には、候補者が政策を示し、国民が代表者を選んで政治が行われるのだから、それは多数の意思に合致しているはずである。しかし、そのルートが迂回的であることや、国民の判断を誤らせる、あるいは判断を困難にする要素が様々に介在するため、実際にはこれが機能せず、むしろ少数者の意思に基づく政策が行われる場合が多い。

 

いったん政治権力を握った集団は、明示的な政治制度以外でも支配の網の目を張り巡らせ、支配される側をいろんな意味で縛り付ける。なによりもメディアを支配することで、支配される側の政治的認知力を低下させ、あるいは欺く。これにより支配される側は、認知力低下のため、それとは知らずに次の選挙でもみずからの利益と正反対の勢力に投票してしまうのである。これは正のフィードバックループを形成するため、この状態に落ち込むとその状態にロックされてしまう。
 
物理学者アインシュタインは、「私的資本が主要な情報源(新聞・ラジオ・教育)を直接・間接に操る」ため、「個々の市民が客観的な結論に達して、政治的な権利をうまく使うということは非常に難しく、多くの場合に全く不可能である」と述べている(6)。「ラジオ」をテレビに置き換えれば、一昨年の「郵政選挙」の結果の評論であったとしても決しておかしくない。アインシュタインがこの文章を書いた五八年前から今まで、社会はこのような政治システムの不具合を解消する方法を見つけることができていない。
 
このような民主主義制度の機能不全と「ロック」状態から離脱させる一つの方法としても、非暴力直接行動は有効かつ必要と思われる。少人数でも、非常に勇気ある、自己犠牲的な行動というものは多くの人の心を打つものだ。アンジーらの九九年のメイタイム非武器化と無罪判決はその典型だろう。現在、辺野古で闘われている新基地建設反対運動も、現地で直接行動という言葉が使われているかどうか分からないが、わが国における重要な例であろう。
 
重要なのは、これはあくまでも民主主義の補完のためであり、革命のためではないので、司法システムから逃げてはならないということだ。これは人々の支持と信頼を得るための必要条件であるだけでなく、独善を防ぐ最後の保障でもある。直接行動は多かれ少なかれ社会の日常的な秩序に挑戦することになるので、正義のつもりの行動が単なる独善に過ぎないとすれば社会は迷惑を被るだけである。「悪法も法なり」という命題は法の上下関係を無視した俗説だが、「悪い裁判所も裁判所である」という命題は受け入れなければならない。もし法廷に出されたら、国際法の代わりに、より根底的な「抵抗権」や「自然法」という概念で闘うことになるだろう。

 

(1)アンジー・ゼルター「わたしたちはなぜ核兵器を破壊するのか」(「世界」67947頁・200010月)参照。

(2)ニュルンベルク裁判所規約で確認された基本原則が国連総会によって国際法の一般原則として認められている。

(3)同「意見」はまた、「国家の存亡が危険にさらされている自衛の極端な状況において」は違法かどうかの判断を留保したため曖昧さを残したが、これも含めてアンジー・ゼルターは核保有のあらゆる言い訳を徹底的に論破している。“EXTRA FOR LEGAL PRESENTATION”(「アンジー・ゼルター日本講演ツアー」89頁・2000年、ゴイル湖の平和運動家を支援する会・日本反核法律家協会発行)。

(4)ピースデポ発行「核兵器・核実験モニター」286-7号6頁参照。

(5)ロンドンに本拠を置き軍縮問題を研究する「アクロニム研究所」(The Acronym Institute for Disarmament Diplomacy)の所長。

(6)アメリカの左翼月刊誌「マンスリー・レビュー」の創刊号(1949年刊)に掲載。日本語訳が「科学・社会・人間」(日本物理学会内のサークル「物理学者の社会的責任」の機関誌)の2005年9月10日号にある。

 

写真キャプション

water8.jpg:「平和の水」のセレモニー。井手尾弘氏提供。

P7250051.JPG:貞子の折りヅルは「祈りのツル」から「行動するツル」へ。アダム・コンウェイ氏提供。

DSC_0899t.JPG:エジンパラの集会でナイジェル・グリフィス議員に原爆瓦を渡す森口正彦さん。筆者撮影。

P7250059.JPG:成功したバンブー・ブロック。アダム・ コンウェイ氏提供。